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震災遺構と戦災遺構
13年前の東日本大震災の遺構である宮城県石巻市の門脇小学校を訪ねた。遺構で現場を体感し、亡くなった方々に思いを馳せ、生き残った方々の語りを聴く事により、震災の記憶を風化させず、教訓を伝承する為の貴重な施設である。文字や映像では伝えられない大切なものがそこにはある。そして、災害が起こらない事を祈るだけではなく、再び必ず起こる事を前提に、次の災害発生時には一人でも多くの命を救うことに繋がってゆく。
一方で戦災遺構、資料館等はどうか。亡くなった方々を偲び、悲惨な現場を体感し、生き残った方の話を聴き、犠牲者の死を無駄にしないと決意するまでは震災遺構と同じだと思う。しかし、次の行動への繋ぎ方が全く違うように感じるのは私だけだろうか。
戦争は、悲惨だ。絶対に起こしてはならない。これは当然だ。しかし、思いだけで思考停止していてはならない。なぜ戦争が起きたのか?なぜ犠牲を覚悟で戦わなければならなかったのか?どうすれば戦いや犠牲を回避できたのか?それでも戦わなければならない時はどういう場合で、その時はどうすれば被害を極限出来るのか?ということについて深く考え、具体的な行動に繋がらなければ犠牲者は報われない。それは災害も戦争も変わらないと思う。