あそどっぐインタビュー3日目 その1 「人と人のあいだにある "障害 "」
あかほし(以下「ほし」): あそさん「何でも聞いてくれ」って言ってくれてるけど・・・
あそどっぐ(以下「あそ」): うん。
ほし: やっぱりあれって聞いていいんかなあ?っていうのがあって。
あそ: ああ、もうそれは気にしない方がいいよ。どんなことでも聞いてもらった方がいいと思う。
ほし: ありがとうございます。相方さんの話も聞きたいけどどうしようかなあと思ってたら、先月のインタビューに自然な流れで相方さんの話になって、ほんとうにうれしかったです。
あそ: ホントなんでも聞いてもらって、うん。話せない部分は話せないって言うから。
ほし: あ、うんうん。よかった!安心しました。
〜〜〜
ほし: すごく昔の話なんですけど、まだ私が幼稚園にいた頃、ある集まりへ連れて行かれたんです。そうしたら、そこに電動車イスのおっちゃんがいて、その時はじめて電動車イスを見た私は「車イスすげえ!」ってなって。ずっと車イスに乗っている方だったみたい。
あそ: うんうん、まあちっちゃい頃はそうなるもんね、うん。
ほし: 興奮しながら「いいなあおじちゃん、いいなあ車イス」ってはしゃいでいたみたいなんです。
あそ: かっこいいもんな、車イスね。
ほし: でも、大人になるとそういうことは言っちゃいけないっていう教育を受けるじゃないですか。乗りたくて乗っているわけじゃないからっていう。子どもの頃は言って大丈夫だったのに、大人になると言っちゃダメみたいなセリフって山ほどありますよね。だからもし、今私が車イスのおっちゃんに会って「車イスいいな」と本当に感じていたとしても、それは言えない。なぜなら「言ったらあかん」という社会からの教育をもう受けてしまっているから。
あそ: 大人になったらなかなか言わないよね。
ほし: でも、それってどうなんだろう?と思って。とても難しい問題だと思っていて・・・そのへんの経験はあそさんはたくさんあるんじゃないかなあと思って。
あそ: そういうのはけっこうあるあるだよね、障害者界隈では。今は少なくなったけど、ぼくが子どもの頃とか若い頃は・・・例えば、車イス乗って出かけると子どもが近づいてきて、車イスを指さしながら「わ、これなに」みたいなことをいろいろ聞いてくる。その時、お父さんとかお母さんが「ダメよ」って言って引き離して連れ帰るみたいなんはよくある。それはね、あんまりね、いい思い出ではないよね。聞いてくれて、せっかく楽しくその子としゃべってたのに・・・。で、ダメよって言われた子どもは「あ〜やっぱり障害者に近づいちゃダメなんだ」って思っちゃうから。そういうのはあんまり好きじゃないなっていう経験はね、多分ぼくぐらいの年代の人はみんなしてるんじゃないかな。
ほし: そういう話って、そういう経験がある人同士でしゃべったりするんですか?
あそ: ああ、やっぱりこういうのあるよねっていうのは話すよ。
ほし: そういう時どうして欲しいのかっていうのは、個人差あると思うんですよね。
あそ: まあ、そうだと思う。例えば中途障害で車イス生活になったばっかりの人とかは、車イスのことを聞かれるのはすごい嫌だと思うし、うん。ぼくみたいに最初っからの人はかえって聞いてもらった方がね、なんかね。楽しくフレンドリーになるからいいし・・・むずかしいんだよね。
ほし: ね、非常にね。育児施設へ子どもを連れて行った時もそういう雰囲気ってあります。子ども同士でおもちゃ取り合ったりするんですけど、子ども同士で解決できるんなら、それが一番いいと思うんですよ。
あそ: うん、そうね。
ほし: だから危険になるギリギリ手前まで私は見ておきたいんですけど。
あそ: うんうん。
ほし: けっこう早い段階で親がね、取りあげちゃうんですよね。
あそ: あ、それあるね。うん。
ほし: 介入するのが早すぎるというか、もうちょっとこう、当人同士で探り合いをさせてくれたらいいのにって。互いの探り合う機会が奪われるのはなんとも切ない。
あそ: そう、うん。だからやっぱしまあ、こっちとしては「見守ってもらう」っていうのがいいのかなと思うね。親の立場である人には。で、見守っててこちらが嫌そうな感じを出してたら、ぼくと子どもの間に入って「大丈夫ですか?」ていう感じが一番いいんだと思うんだけどね。
ほし: むずかしいですよねえ・・・。少し話変わるけど、バリバラの出演者さんは表に出てきてる人たちだから「そういうのバンバン聞いてくれ」みたいな人が多いんだろうけど、でも、そうじゃない人もいるんだろうなって思います。
あそ: あ〜、そうじゃない人もいっぱい居る。
ほし: ね、おそらく居ますよね。はじめましての時なんかは、近づいていってOKな人か、そうじゃない人なのかが判断付かないじゃないですか。それで、安全に倒して「話しかけんとこ」みたいになってしまうと思うんですよね、大人になると特に。そこへ非常な難しさを感じます。
あそ: うんうん。
ほし: 障害がどうのっていうより「何か起こっても面倒だし、近づかないでおこう」みたいな、そういう・・・。そういうものに抵抗したくて、私はこういうインタビューとか、文通とか、やっている気がします。そういう「なんか触らんとこ」みたいな諦念をあちこちで感じるので。目の前の人をまるで「いない」かのように振る舞うというか・・・。もし、面倒なことが起こっても嫌だったら嫌って気楽に言えるし、嫌って言われた方も「あ〜そっかそっか、ごめんな!」で済む・・・そんな状態にお互いがなっておくというか。そこが突破口な気がするんですけど。
あそ: うん、そうだよね。まあ子どもがね、興味あってどんどん聞いてくるっていうのはそれはそれでアリで。で、大人になってからのコミュニケーションは、やっぱり、ね、お互い、障害がどうのこうのというよりは、人として接していくうちに、だんだん関係性を持っていって「どの程度聞いていいか」っていうのがだんだん分かってくるみたいな流れ・・・なんだろうね。
ほし: うんうん。
あそ: まず入り口としては、「人と人」として接せられるかっていうとこなんだろうね。で、よくぼくたちが言うのは・・・ぼくたちっていうかぼくが言うのは、子どもの頃から障害者といっしょに過ごしてないから、いろいろややこしく考えちゃうと思うんすよね。たとえば同じクラスに障害者の友達が何人も居たとかいう人は、最初っからやたらとフレンドリーっていうか、なんか、すごい接しやすい感じの人が多かったりする。だから育ってきた環境にかなり・・・左右されるのかな。
前回の記事はこちら 「あそどっぐの初恋」
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