映画 「悪は存在しない」
ちゃんと読んでないので、にわか知識になりますが・・・たしかサルトルさんが書いた『嘔吐』という小説に、主人公が木の根っこを"木の根っこ"と認識できなくなりゲロを吐くというシーンがあったはず。
サルトルさんの場合、なにかじぶんの外にある対象(および"対象を見ている"自分の認識)がゆらいでいるわけですが、濱口さんが一貫してやってるのはその逆かな、と思います(誤解だったらごめんねサルトルさん)。
濱口さんの映画でほころぶのは、役がみた"対象"ではなく、"役"自身なので。キャラ本人が認