映画「こどもかいぎ」
おとな「人間ってなんでうまれてきたと思う?」
こども「(じぶんは)人類をふやすため(に産まれてきた)!」
試験的に、こども同士が対話する場をつくりはじめた保育園。
を記録したドキュメンタリー。
「『こどもかいぎ』という取り組みが新しくてすばらしい!」
とか、
「こどもの可能性は無限大☆」
とか、
そういうことは、たぶんほかの方がさんざん言っておられると思うので言いません。
子供にひとりまざって「こどもかいぎ」の進行役をつとめるカッキー先生が秀逸だった。
順々に発言されたことばに、常にフレッシュな反応をかえし、発言者を活気づける(これが、白々しくない。たぶん本人もおもしろがってやってるんじゃなかろうか)。それが場のエネルギーになり、次の発言をもゆたかにするのだと思う。
冒頭のような安易な感想をもち、コンセプトに飛びついて「自分もやってみよう」としても、きっと痛い目みるんだろうなあと思った。
かたちだけ真似てみても、「かいぎ」の発言内容がイヤに大人におもねた内容に偏ったり、かと思えば、ウケねらいでトンデモな方向に走ったり・・・進行役の技量次第で、いくらでもざんねんな感じになると思う。
それぐらいむずかしいことを彼はやってのけてるんだろうなあ・・・相当、会話に対する審美眼がないと、あの試みは成り立たないはず。
というわけで、カッキー先生の技量、または彼自身にフォーカスしたバージョンの映画が見てみたいな・・・とか、彼(カッキーさん)がじっさいに場をさばいている現場に、自分も身を置いてたのしんでみたいわあ、なんてことを思いました。
たしかに万人受けする構成(まるっと園の生活と、こどもかいぎのシーンを行き来して、卒園・・・)だけど、映画をみてなにかをカンチガイした人がカンチガイしたまんまになる可能性、十分にあるだろうなあ・・・
と、ねちねち書いたけど、おとなだが「こどもかいぎ」ぐらいネジのはずれたこと言ってもゆるされる場がほしい〜、とはつよく思いました。
小・中・高・大、社会人になってもそういう場があれば、ここまで発達障害がどうとか、精神病がどうとか、きっとならずにすむんじゃなかろうか。じぶんのなかの、社会にふさわしくない部分を、歯の根が合わなくなるほどひた隠してぶっ壊れるか、社会にまるっと洗脳されて違和感を消去するか。なんてオソロシイ二択なんざんしょ。
軍隊かよ、な運動会とか部活とか、そういうのより100倍いい教育やと思う。教育と呼ぶのもはばかられる、ネイティブなたしなみとして。
https://www.umareru.jp/kodomokaigi/