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映画「ひとくず」

昭和大阪ver「LEON」みたいなストーリーです(わるいいみではなく)。
いま『母親になって後悔してる』というドスの効いたインタビュー集を読んでるんですが、んま〜おもしろいです。

人それぞれなんですが大半は、子どもの存在を悔やんでいるのではなく、社会から負わされる"母"たるものへの耐えがたさから、その後悔が生まれているというお話。
「"母"になった後悔や弱音を吐けば即座にキチガイあつかい。結局、社会が求めている『お母さんになってよかった。苦労もあるけどしあわせ〜☆やっぱこどもが愛しくてしかたがない!』という、清らかな母親像に、じぶんを押し込めて生きるしかない」とのこと。ダーティで生々しい部分は一切出すなと。

これまで、いろいろなお母さん方から、この手のプレッシャーを嗅ぎ取ってきました。
モチロンわたしも例外ではないです。「こういう時って、こういうこと言っとかないと異常に思われちゃうんだろうなあ」と遠い目をしながら、迎合したり、しなかったりしながら生きていくしかありません。最近はめんどくせぇので沈黙して時がすぎるのを待ちます。
正直、当人同士(親子)がうまくいってりゃ基本的に他人からガタガタ言われる筋合いないと思うんですが、そうじゃないとこで母が圧力かけられることの、なんと多いことか・・・。

それぐらい、社会が母へ負わせるものの大きさ(&多さ&細かさ)と・・・救いの手のなさったらないです。
えらそうに"母たるもの"を押しつけてくるんなら、キッチリ助けてから言えよなと思います。順番がちがうだろ。
保育の現場の人でもなく、市役所の人でもなく、今の社会の構造をつくったオッサン(おそらくオムツすら替えたことのないオッサンでありましょう)&「今のままでいいよね♪」と言ってるオッサンが憎くて仕方ない。
欲を言えば、保育の現場の人、市役所の人にも、そういうオッサンに「ふざけんなよな」と思ってもらえたらたすかるのはたすかります、ひとりの母として。いままで、あまりそこの問題意識を持ってる人と現場でお話できたことはないです(話題が話題だからでしょうか。それとも、立場が立場だからでしょうか)。

・・・っていう惨憺たるバックグラウンドから虐待が起こって(マジでここは直結すると思います)、虐待された子が親になり、また自分の子を虐待するという連鎖が起こっている、ということをハッキリ描いた映画です。
世は愛をもらえなかった人であふれてるから、回復する(愛をもらう)機会、実質ゼロやんけ・・・ていうディストピアな世界で「カネマサ」というアウトローな男が、愛をありったけ注いでみたぜ!というお話です。

自戒をこめて言いますが、愛を補給してからでないと、理屈とか正論ってまったく意味を持たないと思います。あれ、ひょっとしてキリストのアガペーってそゆこと?

https://hitokuzu.com/

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