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映画「ケアを紡いで」

なかなかセンシティブな内容の映画なので、さっそく脱線します。が、みてよかった映画だったということだけは書いておきます。

〜 以下、脱線 〜

コロナとか自分のさまざまな体調不良との付き合いとか、そういうものを通過するなかで発酵してきた考えだけど、「病気とか体(とか心)のことをほんとうにわかっておこなわれている"治療"って、いまのおこなわれてる医療の何割程度なんじゃろうね?」という疑念は、日々大きくなっています(まあ、かと言ってわたしが答えをもっているわけではないが)。
西洋医療をうけてて思うのは、人間の体をマシーンのように扱うな〜、ということです。
からだを"計測"して、なにか"病気"と判ずることのできるの値とか印のようなものがあれば、そこの除去orパーツ交換するような・・・体(その人個人の)トータルとしての在り方&生き方&動き方をかなり無視したようなスタンスだなあと感じます。つーてもわたしも虫歯ができていたけりゃ抜くでしょうが。

「治す/治される」という一見すばらしそうな名目で医者と患者が向き合うわけだけども、わたしの体感は「よくしりもしない修理屋のオヤジに、はじめましてにもかかわらずいきなりすっぱだかにされ、そして事情もよくわからんままいじくり回されるという強姦めいたプレイ」です。まあ、わざとわるく言ってます。
ほいで、お医者の方も、その「強姦めいたプレイ」であるじぶんの治療スタンスを省みる気などさらさらなく、むしろ「医療とはこういうもの。ありがたくプレイに従いなさい。疑問や反論はゆるさん」という雰囲気でツッコミの入れようもありません。

なんだかな〜と思いつつも、べつに自分で治せるわけでもなし、からだがキツイのはいやだし、とじぶんのニーズに応じて"医療プレイ"を我慢するわけなのだけど、さいちゅうは"医療"ってなんなんだっけ?"治る"ってなに?私の体はだれのものなんだったっけ?てゆーか"病気"ってなんなんじゃろう?だれが決めたんそれ?
みたいなドツボにハマるのはきっと、「『1』ってなんなんだっけ?」みたいなことを置き去りにしたまま『1』でさまざまなものを構築しちゃってる的な脆さに近く、「からだ」とか「いのち」ってなんなんだっけ?ってことを置き去りにしたまま組み上げられちゃったのが今の西洋医療だから・・・という気がしてならないです。

死とか病気とか医療とかと、今後じぶんはどう関わっていくとよいのだろうな〜、とよい距離感やウィンウィンなポイントをぼんやりぼんやり探る日々です。
そのさぐりの一環として見せて頂いた映画でございました。
被写体のゆずなさんは、いわゆるふつうの"献体"とはちがった切り口の"献体"をしてくださったという印象を受けました。ありがたし。

https://care-tsumuide.com/?fbclid=IwAR0q4LfvHedJ7f5Fn88VCf1KcGwBRjVNjLFvAkBcCXQktBX36D1TKS8BLoI

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