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谷崎潤一郎の『嘆きの門』を読む センセイ、センセイは書生の聲ではない

 谷崎潤一郎の『嘆きの門』は、まるで二つの話が無理やり閉じ合わされたかのような感のある作品である。美しい顔故に「華族様」というあだ名のカフェドパリのウエイター菊村千太郎は、店にたびたび通う少女から何度か贈り物をもらう。そしてある人が菊村を引き取って世話をしたいと言っていると妙な話を持ち掛けられる。このあたりまでは探偵小説風な雰囲気を持っている。少女の正体、世話したいという男の企み、その裏にあるものをあれこれと想像させるようなところがある。

 案内された西洋館に辿り着いて、その殺風景な様子を述べるあたりも探偵小説風である。「藤原寓」という表札も妙な塩梅である。寓は仮住まいの意味だが、表札としては適当ではない。何か「探りたくなる」。実際谷崎にもその気があるらしく、わざわざ

「此の家には何か祕密があるに違ひない。此の家の主人が己を引き取らうと云ふのは、事に依ると單純な物好きではないかも知れない。」(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 …と菊村をして考えさせている。その一方で

さうして、門の板戶を押し明けて獨りすたすたと這入つて行つた。


その向つて左側に不釣合なほど背の低い、田舎の驛長の官舍などにあるやうなケチな黒塗りの板の小門があつて、門の奧の突きあたりに、又一と棟の三角形の屋根が見える。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 …とある通り、さして門には、こだわる気配は見えない。『嘆きの門』という題名なのに。しかし、

菊村は、彼が今迄に讀んだことのあるさまざまな探偵小說の中から、此の場合に適用されさうな筋だの場面だのを、彼れか此れかと頭の中に描いて見た。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 …と谷崎はあくまで何かを探らせるような読み方を読者に指示しているのだ。この時代、まだ探偵小説は数えるほどしか現れて居ない。今では探偵小説というジャンルが徹底的に掘りつくされて、最早新しい探偵小説などあり得ないのではないかと思われるほどだが、なんのことはない、谷崎は探偵小説を放り出す。築地の居留地を抜けて永代橋がぼんやり見えている腰前堀の海岸通りの西洋館で菊村を待っていたのは「岡田敏夫」という男だった。

「私が格別怪しい人間でないと云ふことを明かにする爲めに、此の名刺を君に渡して置かう。」さう云つて、主人は抽き出しから一葉の名刺を出して其れをデスクの上に置いた。


ここまでが第二章。第三章から急に別の話のようになる。

駿河臺の方からお茶の水橋を渡つて、左の方へ一丁ばかり行つたところ、ちやうど本郷元町の停留場のあたりを右へ曲つた坂路の左側に、數年前から住んで居る四人の家族があつた。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 第三章はこう始まる。つまりこの家は今でいう順天堂大学あたりにあることになる。「岡田敏夫」の寓居は、入船あたりか。とにかく距離がある。ではこの四人家族とはなにかということがまず解らない。解らないがどうやらこの家に二十六七の気難しい顔をした無口な、勤め先のない男が戻ってくる。

その話に依ると、主人は老母の實の忰で、つひ此の間大學を卒業した文學士ださうである。が、惜しい事には學生時代から道樂の味を覺え初めて、それが未だに止まない爲めに、御隱居さまも奧さまも苦勞の絕えた例がない。現に今の奧樣ももとは赤坂の藝者であつたのを、若旦那が其の時分存生中の父親にせがんで無理往生に落藉させて貰つたのである。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 …こうしてどこか谷崎テイストのある男が登場する。この男が「岡田敏夫」である。

なぜかと云ふに、岡田は其の頃やうやく世間に認められかけた新進の作家で、その徹底した享樂主義の思想と、官能の匂の高い、極端に人を蠱感するやうな生々しい色彩を帶びた、一種の新しい技巧に充ちた詩風とが、そろそろ文壇のを集めて居る時代であつた。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 この岡田敏夫の放蕩のおかげで女房のヒステリーは激しくなり、大正四年に剃刀でけがをして、なんだかんだで心臓麻痺で死んでしまう。

 それから暫く、敏夫は生れ變つたやうに神妙な人間になつて居た。彼の發表する感想や詩の中にも今までに見られなかつた感傷的な悲哀な情緒が織り込まれるやうになつた。かくて夫人の一週忌が済んだ大正五年の正月に、彼は亡妻の意中を察して、彼女の忘れ形見である幼兒の逸太郞が、母親のやうに戀ひ慕つて居る義妹の房子と結婚したいと云ふ希望を、自ら進んで申し出でた。それには無論老母も房子も異存はなかつたので、四月の末に滯りなく結婦の式を擧げた。房子の歲は其の時十八になつて居た。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 どこか釈然としないが、まあ、そういう家族の形もあるのだろうなと納得しかかったところで、突然二つの話が結び付けられて幕となる。

二度目の妻を迎へてから今日までに二年餘を過して來た敏夫は、さういつ迄も最初のやうな殊勝な態度を續けて居る譯には行かなかつたが、しかし此の頃越前堀に「藤原寓」と云ふ怪しい隠れ家を持つていることは、世間では誰も知らなかつた。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 そう書かれてようやく、あれやこれやが結びつく。「藤原寓」と云ふ怪しい隠れ家には唖の書生がいた。岡田敏夫は、格別に怪しい。だから『嘆きの門』なのだ。この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ、とは書かれていないが、菊村にとってはそれは地獄の門だつたのだ。だから菊村なのか、菊の門なのか、だからバナナと水蜜なのか、だから小柄で太っていたのか…。

 確かにこうも書かれていた。

現にニコニコと笑つては居るけれど、いつ此の顏が意地の惡い顰めツ面に變るかも測り難い。さう思つて見るせゐか、ちやうど彼の肩の上に聳えて居る木像の、眼を瞋らし口を歪めた鬼神の容貌が、いかにも此の主人の本性を曝露して居るやうに菊村には感ぜられた。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 なるほど、しっかり仄めかされている。つまり鸚鵡が、

「センセイ、センセイ」と云つて、籠の鸚鵡が俄かに朗らかな聲を擧げた。少女はついと走つて行つて、籠から鳥を出してやると、兩手で膝の上に抱きかゝへながら、毛皮の上へごろりと足を投げ出して居る。(谷崎潤一郎『嘆きの門』)

 …と真似したのは、そういう瞬間の聲なのか…。だから『嘆きの門』なのかと妙に納得がいく。書生は声を発しない。この話は一応未完とされてはいるが、十分バナナで水蜜である。



築地の居留地

南京下見の囲い板

水氣の來た からだがむくむこと。

扇骨木

面窶れ おもやつれ
















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