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芥川龍之介 「大学にほめられたんじゃ佐藤君もうかばれない」

黒潮の佐藤君の小説は成功の作ではないような気がします
部分部分は例の如くうまいけれど
あれを堀口大学がほめたそうですが大学にほめられたんじゃ佐藤君もうかばれないでしょう

[大正六年六月十日 江口渙宛]








堀口大学は越後長岡の藩士の家に、父九万一の東京帝国大学に遊学中、その本郷の寓に生れたといふ。僕と同じく明治二十五年生であるが、彼は一月僕は四月で僕より百日の長である。ともに十九歳の一日、新詩社の歌会で落ち合つたのが初対面で与謝野晶子さんに紹介されて交を結んだ。爾来四十七年間、常に好謔悪謔を戦はして談笑を喜ぶがまだ一度も争ふ事のない莫逆の友で分身の感がある。

(佐藤春夫『分身の感あり第二部 堀口大学』)

第一に僕は感謝しなければならぬ。君のこの立派な仕事が僕におくられてある事を。自ら省みて過分なやうな気がする。それから次に報告しなければならぬ。僕が君のまことの友であつたのが、今はつきりした事を。そのわけはもしこの美しい――内容外形ともに、美しい堂々たる書物が、君の手によつて出来たのでなかつたら、僕はきつとその著者に、多少のねたみを感ずるに違ひない。しかも僕には今、唯よろこびがあるだけだ。思ひ見よ。これが僕の君に対する友情のしるしでなくて何だ。して見れば僕はやつぱり、君にこの書物をおくられてもよいらしい。

(佐藤春夫『訳詩集「月下の一群」その著者堀口大学に与ふ』)

「針金細工で詩をつくれ」
 ――といふのは、わが畏友堀口大学の一般詩人に対する忠告であつて、亦、実に彼が近代詩の創作に赴かんとするに当つての宣言であつたやうに思はれる。いはゆるウヱットな詩情を放れて、ドライなところに詩を求めようとしたのでもあらうかと思ふ。かくて彼は感傷の野に詩の花を摘まず、知性の山に詩の石を求めた。

(佐藤春夫『針金細工の詩』)

「文学青年といふ奴はどうしてかうも不愉快な代物ばかり揃つてゐるのであらう。不勉強で、生意気で、人の気心を知らない。ひとりよがりな、人を人とも思はぬ、そのくせ自信のまるでない、要するに誠実も、智慧もない虚栄心の強い女のくさつた見たいな……」
 そのほかこの種の形容詞をまだまだ沢山盛り上げようとしてゐるところを、堀口大学がいつになく横合から口を出して、
「それでいゝのだよ。文学といふものは、一たいがさういふものなのさ。そのままでだまつて十年か二十年見てゐてやると、その不愉快千万な代物が、それぞれ相応に愉快な、見どころのある奴に変つてくるのだ。それが文学といふものの道だね。有難いことさ。たとへば我々にしたところが十年か十五年前を回顧して見ると、お互立派に不愉快な文学青年であつたらしいからね。」
 あとは笑つた。それはもう十年位以前の事であつたらう。

(佐藤春夫『或る文学青年像』)

 仲良しなんだからしょうがない。最後の話は結局太宰の話になる。

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