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百代の後に

 私はしかしと思ふ。
 しかし誰かが偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好いい望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。
 私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が如何いかに私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。
 けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。

(芥川龍之介『澄江堂雑記』)

 この芥川の甘い夢想は見事に裏切られた。

 みな読み飛ばして読んだつもりになっている眺者に過ぎず、読者は一人として現れなかった。読むのではなく眺めただけなのだ。

 いや、私?

 だってこれ大正七年に書かれていて、つまり1918年だから100年には間に合わなかったけれど、……百代は「長い時間」のことだから、いいのか。

 読んだよ、龍之介!





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