尻尾の先
岩波書店『定本 漱石全集第一巻』ではここに注が付かない。
もともと日本固有種である三毛猫の尻尾は短い。それが最近まで野
良猫に尾の長いものが増えたのは、シャム系の猫の尾が長く、繁殖力が高かったせいではないかと考えられる。どうも吾輩の尻尾は長いようだが、これはイギリス留学をした漱石の自負がそうさせているのではなかろうか。
日雇婆
これは今でいうレンタルおばさんか。
そうした職業はドイツにもあったようだ。
ごろつき書生
昔の役所は過激だ。
この記事で、書生=学生ではなく色々あると書いた。その色々の極端がごろつき書生であろう。
また漱石の日記に、
……などとある。一体何をしたのか解らないが、嫌われたものだ。
飯焚
ここで飯焚は男のようだが、飯焚には男も女もいた。
須永市蔵の家の飯焚は女のようだが、松本恒三の家の飯焚は性別が怪しい。とりあえず飯焚は車夫と話すものらしい。
今戸焼の狸
岩波書店『定本 漱石全集第一巻』注解では今戸焼の説明はあるが狸の顔には触れられていない。写真で見る限り、その顔は信楽焼の狸の様に笑顔でこびてはおらず、しょぼくれた情けない顔である。
また、
……とあるが、これは説明が簡素過ぎないだろうか。
このような詳らかにしないところの話から採ったもののようだが、今戸焼の由来はこの書に詳しく記録されている。
当時の武蔵国豊嶋郡は台東区も蔽う。
また今戸とは台東区というより、浅草の今戸だった。
寒月でも、水月でも
寒月でも、水月でも右クリックで調べられる時代に説明は不要かもしれない。しかし寒月が冬のさむざむしいさえ渡った月であるのに対して、水月とは水面に映る月影、そこから転じて「万物には実体がなく、空であることのたとえ、幻のようなもののことであり、ここでは仰いでは俯き、空と池との対が出来て詩が生まれ、実体のない水月と中身がスカスカの糸瓜で洒落が出来ていることをどうしても書いておきたい。『吾輩は猫である』の旨味はこうした細部に宿る。
[余談]
迷亭のモデルは寺田寅彦と云われているが、やはりそこには松根東洋城なんかの要素も混ぜられているような感じがする。寒月も単独モデル説には嵌らないだろう。
今戸焼の狸風猫。