見出し画像

岩波書店・漱石全集注釈を校正する23 寒月でも水月でも

尻尾の先

 岩波書店『定本 漱石全集第一巻』ではここに注が付かない。

帰ると唱歌を歌って、毬まりをついて、時々吾輩を尻尾でぶら下げる。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

髯の張り具合から耳の立ち按排、尻尾の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

煩悶の極尻尾をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾は餅と何等の関係もない。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾の曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振る景色なども到底形容が出来ん。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 もともと日本固有種である三毛猫の尻尾は短い。それが最近まで野
良猫に尾の長いものが増えたのは、シャム系の猫の尾が長く、繁殖力が高かったせいではないかと考えられる。どうも吾輩の尻尾は長いようだが、これはイギリス留学をした漱石の自負がそうさせているのではなかろうか。

日雇婆

 これは今でいうレンタルおばさんか。

誰にも出来る金儲 : 新奇妙案 金々先生 著雲泉書屋 1916年

 

家庭経済講話 山脇玄 著東盛堂 1919年

 そうした職業はドイツにもあったようだ。

ごろつき書生


日本にもゴロツキ書生とか或は壯士の食詰め者がごろごろして居りますが、そんな者は警察でドンドン引張つて行つて强制的に勞働館に抛込んで强制的に働かせるやうにしたらよいだらうと思ひます、

地方耕地整理主任官会議ニ於ケル講演録 第2回農商務省農務局 1910年

 昔の役所は過激だ。

 この記事で、書生=学生ではなく色々あると書いた。その色々の極端がごろつき書生であろう。

活動も野球もなく、女事務員も女優もなく、職業婦人もなく、娘義太夫が流行つたのも、ドースル連が出來たのもその後だし、女學生の墮落、海老茶式部なども未だ生まれなかつたから、墮落書生も多く出來なかつたが、ゴロツキ書生はあつた。

『唖蝉坊流生記』添田唖蝉坊 著那古野書房 1941年

 また漱石の日記に、

松根の親類伊達男爵の子ピストルで同年輩のゴロツキ書生を打つ。余は肝癪持だからピストルと刀は可成買はぬ樣にしてゐる。

下女ヤゴロツキ書生の補助ヲカリル細君。ナカウドの威光ヲカリル細君。他人ノ力ヲ借リテ夫ニ對スル細君ハ細君ニアラズ他人ナリ。只名前丈ノ細君デアル。二十世紀デハ妻スラ他人ナリ。况ンヤ他ヲヤ。

漱石全集 第11卷 (日記及斷片)

……などとある。一体何をしたのか解らないが、嫌われたものだ。

飯焚

見ると漆喰で叩き上げた二坪ほどの土間に、例の車屋の神さんが立ちながら、御飯焚と車夫を相手にしきりに何か弁じている。こいつは剣呑だと水桶の裏へかくれる。「あの教師あ、うちの旦那の名を知らないのかね」と飯焚が云う。「知らねえ事があるもんか、この界隈で金田さんの御屋敷を知らなけりゃ眼も耳もねえ片輪かたわだあな」これは抱え車夫の声である。「なんとも云えないよ。あの教師と来たら、本よりほかに何にも知らない変人なんだからねえ。旦那の事を少しでも知ってりゃ恐れるかも知れないが、駄目だよ、自分の小供の歳としさえ知らないんだもの」と神さんが云う。「金田さんでも恐れねえかな、厄介な唐変木だ。構あ事あねえ、みんなで威嚇してやろうじゃねえか」「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰わないのって――そりゃあ酷い事を云うんだよ。自分の面あ今戸焼きの狸見たような癖に――あれで一人前だと思っているんだからやれ切れないじゃないか」「顔ばかりじゃない、手拭いを提げて湯に行くところからして、いやに高慢ちきじゃないか。自分くらいえらい者は無いつもりでいるんだよ」と苦沙弥先生は飯焚にも大いに不人望である。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 ここで飯焚は男のようだが、飯焚には男も女もいた。

 須永市蔵の家の飯焚は女のようだが、松本恒三の家の飯焚は性別が怪しい。とりあえず飯焚は車夫と話すものらしい。


江戸自慢三十六興 今戸焼物(収載資料名:書画五十三次) 広重,豊国

今戸焼の狸

 岩波書店『定本 漱石全集第一巻』注解では今戸焼の説明はあるが狸の顔には触れられていない。写真で見る限り、その顔は信楽焼の狸の様に笑顔でこびてはおらず、しょぼくれた情けない顔である。


のらくら上等兵 : 漫画漫文



 また、

今戸焼 台東区今戸でつくられる素焼きの土器。

(『定本 漱石全集第一巻』岩波書店 2017年)

……とあるが、これは説明が簡素過ぎないだろうか。

今戶燒東京淺草區今月に於て製造する陶器なり、其始め詳ならずと雖も貞享年間白井半七、今戶に於て始めて點茶に用いる士風爐を製し、又た火鉢に用いる種々の土器を造る、世人之を今戶の土風爐師と稱す、

『陶器の栞 : 鑑定秘訣』以文社編輯局 編以文社 1919年

 このような詳らかにしないところの話から採ったもののようだが、今戸焼の由来はこの書に詳しく記録されている。

今戸焼は武蔵国豊嶋郡今戸村に於いて製するところのものなり。


『陶器小志』古賀静修 著仁科衛 1890年

 当時の武蔵国豊嶋郡は台東区も蔽う。

陶器小志

  

御国之光



 また今戸とは台東区というより、浅草の今戸だった。

今戶燒。-東京の今戶、今も隅田川公園沿ひに陶家があつて、人形や湯豆腐の鍋類を燒いてゐる。白井半七の家が昔から現はれてゐた、茶家のため風爐をつくり土風爐師の評判が高かつたが今日では衰へてしまつた。

『茶碗の見方』小野賢一郎 著茶わん発行所[ほか] 1932年

今戶燒橋場今戶の朝煙りと、歌にも有る如く、燒物の名所にて、今戶燒とて、實用に使ふ物には七輪、鍋、釜等あり、又玩具には、上圖に示す如く粗末の中に風流捨て難く、面白き物有り。

『江戸の今昔』歌川広重 著||東々亭主人 編湯島写真場 1932年


江戸の今昔

寒月でも、水月でも

「……水島寒月さんの事で御用があるんだそうでございます」と小間使は気を利かして機嫌を直そうとする。「寒月でも、水月でも知らないんだよ――大嫌いだわ、糸瓜が戸迷いをしたような顔をして」第三の剣突は、憐れなる寒月君が、留守中に頂戴する。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 寒月でも、水月でも右クリックで調べられる時代に説明は不要かもしれない。しかし寒月が冬のさむざむしいさえ渡った月であるのに対して、水月とは水面に映る月影、そこから転じて「万物には実体がなく、空であることのたとえ、幻のようなもののことであり、ここでは仰いでは俯き、空と池との対が出来て詩が生まれ、実体のない水月と中身がスカスカの糸瓜で洒落が出来ていることをどうしても書いておきたい。『吾輩は猫である』の旨味はこうした細部に宿る。


[余談]

 迷亭のモデルは寺田寅彦と云われているが、やはりそこには松根東洋城なんかの要素も混ぜられているような感じがする。寒月も単独モデル説には嵌らないだろう。
 

今戸焼の狸風猫。


いいなと思ったら応援しよう!