迂濶には天機を洩らしがたい
この「天機」に岩波は「重大な秘密」と簡単な注を付ける。ただここはわざと「天機」と云い読者の興味を引いているところなのでもう少し色気が欲しい。
一応ここは、
この「宇宙の謎」にかかっており、前の「宇宙は二人の宇宙である」や、
こんな小宇宙や、
こんな「宇宙観」に繋がっている。と考えてよいだろう。家庭の事情や男女の仲を天機と呼ぶのはいかにも大袈裟だ。その大袈裟を誇張する言葉をさらっと持ち出す語彙力に関心すべきところだ。
東京では爪先であるく
昔の人の歩き方は現代人とは異なると言われる。江戸時代は、今のように手と足を互い違いにして腰を捻る歩き方はしていなかったという。江戸時代の歩き方は、
踵から地面に着地するような歩き方は靴の文化のもので、下駄や草履には向かない。
無論そうは云っても個人差はあり、
全ての人が必ずこうというわけではないが、「東京では爪先であるく」は満更冗談でもない。
ここに繋がるか。
余り残刻なのに驚いて
国立国会図書館デジタルライブラリー内で「残酷」「惨酷」はともに一万件超ヒットするが「残刻」は1209件、「惨刻」が1830件で、「残刻」が一番マイナーな表記である。漱石自身が『夢十夜』以外では「残酷」の表記を用いている。『中身と形式』では「惨酷」となっているものの、これは講演録なのでそう厳密なものでもなかろう。漱石の語彙としては「惨刻」は見当たらない。
国立国会図書館デジタルライブラリー内で「懺酷」は四件、無慙酷烈という言葉があるので「慙酷」も六件見つかる。
あやふやな柔術使
岩波はこの「柔術使」に、
……と注釈をつける。柔道が嘉納治五郎の創始ならば、柔道家と柔術使は別物である。柔道は柔術の一流派であろう。なお、今の柔道は学校柔道で、講道館柔道には当身もあった。
近松は「やはら取り」と呼んだ。
「西洋の相撲なんて頗る間の拔けたものだよ」と書簡にある。
ここでは夏目漱石が『三四郎』逆関節の固め技を実践しているのに対して、初期の作品ではもっぱら柔術を「投げ」の格闘術として捉えているという意味で、同類の使用例を示すべきであっただろうか。
漱石が「西洋の相撲なんて頗る間の拔けたものだよ」と書いたのは、所謂スリーカウントのレスリングのルールに対する不満があったためだ。投げ技一本で勝敗が付かず、マットに背中がついても負けにならないところに呆れている。
瓢箪に酔を飾る
ここは岩波の注が付かない。しかし「瓢箪に酔を飾る」は分かるようでわからない。ひょうたんの酒を飲んで酔っ払うという意味ではあろうが、なにしろ用例がない。仕方なく「飾酔」で調べると、寶星陀羅尼經に出くわした。
とりあえずこの文字の「並び」があることだけは分かった。大蔵経の漢文読み下し分もあることはある。
漱石がそこからこの表現を持つて来たかどうかは定かではない。
問題は「飾る」の意味である。仮にこれを「表面をとりつくろう」とした場合、「瓢箪に酔を飾る三五の癡漢が、天下の高笑いに、腕を振って後から押して来る」が「よっぱらったふりをした三五の癡漢が、天下の高笑いに、腕を振って後から押して来る」という意味になりかねない。「飾る」というからにはプラスアルファの某が加えられているという意味になるから、「よっぱらったふりをした」は大袈裟としても「酔いに任せて気の大きくなった」くらいのことではあろうか。
ともかく用例のない語彙には注釈がつけられてしかるべきではあろう。
向島は
この「博覧会」は「明治四十年」と併せて検索すると、上野で行われた「東京勧業博覧会」であろうことが推察できる。しかし「向島」と「明治四十年」を併せて検索してもこれというイベントが出てこない。
これが向島土手ノ桜とも、
向島八洲園とも、特定できない。
岩波は百花園などの名所を挙げる。
あるいは早慶レガッタか?
と思ったら、作中に答えがあつた。
ああ、疲れた。どうも「向島は」は「向島に桜でも見にいらっしゃったの?」という意味のようだ。しかし岩波の注ではそこが読めていたかどうか甚だ怪しい。私自身、細かいところは結構抜けていて甚だ怪しい。
[余談]
いや「向島」は解らないな。これが「大森」みたいなことになりそうだ、というところでなんとかなった。
しかしまだ解らないところがたくさんある。王子が出て來るのに飛鳥山公園がでてこないのは何故なんだろうとか。まあ書かれていないことまで詮索していたらきりがないな。