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岩波書店・漱石全集注釈を校正する61 柔術使いは残刻な天機、爪先歩きで向島


迂濶には天機を洩らしがたい


 疑がえば己にさえ欺かれる。まして己以外の人間の、利害の衢に、損失の塵除と被る、面の厚さは、容易には度られぬ。親しき友の、わが母を、そうと評するのは、面の内側で評するのか、または外側でのみ云う了見か。己にさえ、己を欺く魔の、どこにか潜んでいるような気持は免かれぬものを、無二の友達とは云え、父方の縁続きとは云え、迂濶には天機を洩らしがたい。

(夏目漱石『虞美人草』)

 この「天機」に岩波は「重大な秘密」と簡単な注を付ける。ただここはわざと「天機」と云い読者の興味を引いているところなのでもう少し色気が欲しい。

てん‐き【天機】 ①天の秘密。 ②天賦の性質。天賦の機知。 ③天皇の機嫌。
てんき‐うかがい【天機伺い】‥ウカガヒ 参内して天皇の機嫌をうかがうこと。
○天機を洩らすてんきをもらす 天の機密をもらす意から、重大な秘密をもらす。

広辞苑

てん-き [1] 【天機】 (1)自然の神秘。造化の秘密。 (2)生まれつきの性質。 (3)天皇の機嫌。「―を伺う」

大辞林

 一応ここは、

 宇宙は謎である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。兄弟さえ謎である。妻も子も、かく観ずる自分さえも謎である。この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭に旋回し、中夜に煩悶するために生まれるのである。

(夏目漱石『虞美人草』)

 この「宇宙の謎」にかかっており、前の「宇宙は二人の宇宙である」や、

 日ごと夜ごとを入り乱れて、尽十方に飛び交かわす小世界の、普く天涯を行き尽して、しかも尽くる期なしと思わるるなかに、絹糸の細きを厭わず植えつけし蚕の卵の並べるごとくに、四人の小宇宙は、心なき汽車のうちに行く夜半を背中合せの知らぬ顔に並べられた。星の世は掃き落されて、大空の皮を奇麗に剥ぎ取った白日の、隠すなかれと立ち上る窓の中うちに、四人の小宇宙は偶を作って、ここぞと互に擦れ違った。擦れ違って通り越した二個の小宇宙は今白い卓布を挟んでハムエクスを平げつつある。

(夏目漱石『虞美人草』)

 こんな小宇宙や、

 欽吾はわが腹を痛めぬ子である。――謎の女の考えは、すべてこの一句から出立する。この一句を布衍ふえんすると謎の女の人生観になる。人生観を増補すると宇宙観が出来る。謎の女は毎日鉄瓶の音を聞いては、六畳敷の人生観を作り宇宙観を作っている。人生観を作り宇宙観を作るものは閑のある人に限る。謎の女は絹布団の上でその日その日を送る果報な身分である。

(夏目漱石『虞美人草』)

 こんな「宇宙観」に繋がっている。と考えてよいだろう。家庭の事情や男女の仲を天機と呼ぶのはいかにも大袈裟だ。その大袈裟を誇張する言葉をさらっと持ち出す語彙力に関心すべきところだ。


東京では爪先であるく


 東京は目の眩む所である。元禄の昔に百年の寿を保ったものは、明治の代に三日住んだものよりも短命である。余所では人が蹠であるいている。東京では爪先であるく。逆立ちをする。横に行く。気の早いものは飛んで来る。小野さんは東京できりきりと回った。

(夏目漱石『虞美人草』)

 昔の人の歩き方は現代人とは異なると言われる。江戸時代は、今のように手と足を互い違いにして腰を捻る歩き方はしていなかったという。江戸時代の歩き方は、

江戸時代までの人は、歩くとき胴回りをねじらぬ様に工夫して歩いていたと考えられます。具体的には小さな歩幅で小走りに、腕は振らず歩きます。走るときには手を胸元や脚の付け根において、肌蹴る着物を直しながら走るか、刀を押さえながら走る格好となります。そのような歩き方や走り方は胴回りをねじらない様にしている点において、ナンバに共通します。

 踵から地面に着地するような歩き方は靴の文化のもので、下駄や草履には向かない。

履物も着物同様に明治時代を境に大きく変わりました。江戸時代までの履物として下駄(げた)や草履(ぞうり)が代表されますが、これらの履物には現代の私たちが履いているような踵(ヒール)に相当するものがありません。現代人は踵から床に付いて歩きますが、江戸時代までの人は踵接地(かかとせっち)でなく前足接地となっていました。

  無論そうは云っても個人差はあり、 

眞上の床の上には下女のきつい足音が聞える、下女はいつも踵で歩るくから、大きい音がするのだ。


我輩は猿である 松浦政泰 訳註集文館 1916年

彼は長いズボンをはめて、踵で步む習慣があつた。彼の頰は神經ばかりで出來て居たので、アツチラの樣に髭がなかつた。

新生の曙 ストリンドベルヒ 著||三浦関造 訳天佑社 1919年

指先には感じがないと言つたが、お春さんは殆ど踵で步くやうな足付をしてベタベタと歩くのであつた。

定本虚子全集 第8巻 高浜虚子 著創元社 1949年


図解現代百科辞典 第參巻 三省堂百科辞書編輯部 編三省堂 1932年

 全ての人が必ずこうというわけではないが、「東京では爪先であるく」は満更冗談でもない。

形式の人は、底のない道義の巵を抱いて、路頭に跼蹐している。

(夏目漱石『虞美人草』)

 きょく-せき [0] 【跼蹐・局蹐】 (名)スル 〔「跼天蹐地(キヨクテンセキチ)」の略〕 おそれつつしみ,からだを縮めること。「この不自由なる小天地に長く―せる反響として/妾の半生涯(英子)」

大辞林


ここに繋がるか。


余り残刻なのに驚いて

 小野さんは、ここまで未来をこしらえて見たが、余り残刻なのに驚いて、また最初から出直そうとして、少し痛くなり掛けた顎を持ち上げると、障子が、すうと開いて、御手紙ですと下女が封書を置いて行く。

(夏目漱石『虞美人草』)

 国立国会図書館デジタルライブラリー内で「残酷」「惨酷」はともに一万件超ヒットするが「残刻」は1209件、「惨刻」が1830件で、「残刻」が一番マイナーな表記である。漱石自身が『夢十夜』以外では「残酷」の表記を用いている。『中身と形式』では「惨酷」となっているものの、これは講演録なのでそう厳密なものでもなかろう。漱石の語彙としては「惨刻」は見当たらない。

ざん‐こく【残酷・惨酷・残刻・惨刻】 (形動)きびしすぎる、ひどすぎると感じさせるような様子。まともに見られないほどのひどいやり方や出来事などのさま。「残酷極まりない事件」

日本国語大辞典

 国立国会図書館デジタルライブラリー内で「懺酷」は四件、無慙酷烈という言葉があるので「慙酷」も六件見つかる。


あやふやな柔術使

あやふやな柔術使は、一度往来で人を抛げて見ないうちはどうも柔術家たる所以を自分に証明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである。小野さんは京都以来の友人がちょっと遊びに来てくれればいいと思った。

(夏目漱石『虞美人草』)

 岩波はこの「柔術使」に、

 柔道家の旧称。「柔道は、柔術を力学化せるものにて、実に嘉納治五郎の創始なり」(『明治事物起源』)

(『定本 漱石全集 第四巻』岩波書店 2017年)

 ……と注釈をつける。柔道が嘉納治五郎の創始ならば、柔道家と柔術使は別物である。柔道は柔術の一流派であろう。なお、今の柔道は学校柔道で、講道館柔道には当身もあった。

柔道新手引 横山作次郎, 大島英助 共著東江堂 1941年


柔道教範 横山作次郎, 大島英助 著二松堂書店 1913年

 

近松浄瑠璃選 : 全訳 若月保治 著太陽堂書店 1934年

 近松は「やはら取り」と呼んだ。

「西洋の相撲なんて頗る間の拔けたものだよ」と書簡にある。

 しかも理窟のわからない俗物や、あまり自己が恃みになりそうもなくて落ちつきのない者は、あらゆる機会を利用して、この証券を握ろうとする。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事である。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱い奴に、ただの一返でいいから出逢って見たい、素人でも構わないから抛げて見たいと至極危険な了見を抱いて町内をあるくのもこれがためである。

(夏目漱石作『吾輩は猫である』)

 ここでは夏目漱石が『三四郎』逆関節の固め技を実践しているのに対して、初期の作品ではもっぱら柔術を「投げ」の格闘術として捉えているという意味で、同類の使用例を示すべきであっただろうか。

 漱石が「西洋の相撲なんて頗る間の拔けたものだよ」と書いたのは、所謂スリーカウントのレスリングのルールに対する不満があったためだ。投げ技一本で勝敗が付かず、マットに背中がついても負けにならないところに呆れている。


瓢箪に酔を飾る

 瓢箪に酔を飾る三五の癡漢が、天下の高笑いに、腕を振って後から押して来る。甲野さんと宗近さんは、体を斜めにえらがる人を通した。色の世界は今が真まっ盛である。

(夏目漱石『虞美人草』)

 ここは岩波の注が付かない。しかし「瓢箪に酔を飾る」は分かるようでわからない。ひょうたんの酒を飲んで酔っ払うという意味ではあろうが、なにしろ用例がない。仕方なく「飾酔」で調べると、寶星陀羅尼經に出くわした。

 とりあえずこの文字の「並び」があることだけは分かった。大蔵経の漢文読み下し分もあることはある。
 漱石がそこからこの表現を持つて来たかどうかは定かではない。

かざ・る [0] 【飾る】 (動ラ五[四])
(1)美しく,また立派に見えるように物を添えたり,手を加えたりする。「会場を花で―・る」「室に花を―・る」
(2)表面をとりつくろう。「うわべを―・る」「―・らない人柄」「言葉を―・る」
(3)はなやかさや立派さを加える。「新聞の一面を―・る大事件」「催しの最後を―・る」
(4)見せるために見目よく並べる。「商品をショー-ウインドーに―・る」
(5)設ける。構える。「中門に曲彔を―・らせて其の上に結跏趺座し/太平記 10」

大辞林

 問題は「飾る」の意味である。仮にこれを「表面をとりつくろう」とした場合、「瓢箪に酔を飾る三五の癡漢が、天下の高笑いに、腕を振って後から押して来る」が「よっぱらったふりをした三五の癡漢が、天下の高笑いに、腕を振って後から押して来る」という意味になりかねない。「飾る」というからにはプラスアルファの某が加えられているという意味になるから、「よっぱらったふりをした」は大袈裟としても「酔いに任せて気の大きくなった」くらいのことではあろうか。
 ともかく用例のない語彙には注釈がつけられてしかるべきではあろう。


向島は

「父一人で忙がしいものですから、つい御無沙汰をして……」
「博覧会へもいらっしゃらないの」
「いいえ、まだ」
「向島は」
「まだどこへも行かないの」
 宅うちにばかりいて、よくこう満足していられると藤尾が思う。――糸子の眼尻には答えるたびに笑の影が翳す。

(夏目漱石『虞美人草』)

 この「博覧会」は「明治四十年」と併せて検索すると、上野で行われた「東京勧業博覧会」であろうことが推察できる。しかし「向島」と「明治四十年」を併せて検索してもこれというイベントが出てこない。
 これが向島土手ノ桜とも、

 向島八洲園とも、特定できない。

 岩波は百花園などの名所を挙げる。

 あるいは早慶レガッタか?

 と思ったら、作中に答えがあつた。

「ハハハハ実は狐の袖無の御礼に、近日御花見にでも連れて行こうかと思っていたところだよ」
「もう花は散ってしまったじゃありませんか。今時分御花見だなんて」
「いえ、上野や向島は駄目だが荒川は今が盛りだよ。荒川から萱野へ行って桜草を取って王子へ廻って汽車で帰ってくる」
「いつ」と糸子は縫う手をやめて、針を頭へ刺す。
「でなければ、博覧会へ行って台湾館で御茶を飲んで、イルミネーションを見て電車で帰る。――どっちが好い」
「わたし、博覧会が見たいわ。これを縫ってしまったら行きましょう。ね」
「うん。だから兄さんを大事にしなくっちゃあ行けないよ。こんな親切な兄さんは日本中に沢山とはないぜ」

(夏目漱石『虞美人草』)

 ああ、疲れた。どうも「向島は」は「向島に桜でも見にいらっしゃったの?」という意味のようだ。しかし岩波の注ではそこが読めていたかどうか甚だ怪しい。私自身、細かいところは結構抜けていて甚だ怪しい。

[余談]

 いや「向島」は解らないな。これが「大森」みたいなことになりそうだ、というところでなんとかなった。

 しかしまだ解らないところがたくさんある。王子が出て來るのに飛鳥山公園がでてこないのは何故なんだろうとか。まあ書かれていないことまで詮索していたらきりがないな。



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