少々入り組んでいて、筋らしき筋が見えない、谷崎潤一郎の『鮫人』はまずはこうした文明批判から始まっているように見える。それは夏目漱石の『それから』から十年ほど後の様子と見てよいだろうか。
わざわざ作中にその名を出す夏目漱石の『それから』を谷崎が読んでいないとは考えにくい。となればこうした粗悪な家に関する記述も、どこかで漱石を意識したものであろうか。『それから』は郊外の小さな家から国際関係迄いちいち批評していた代助が、高等人種から落ちこぼれるという大きな筋を持っている。服部はその逆から始まる。ニートで、画家、芸術家を自認しているが金はない。人から金を借りて暮らしている。服部の家には風呂がない。
なるほど朝から体に香油を塗る代助とは大違いだ。しかしどこか似て居なくもないようなところも見つけられなくもないような感じがしないでもない。
誰でも死ぬのは怖いが、心臓が止まってても生きたい代助と服部の死に対する過剰な恐怖感は似ていなくもない。無論私は無理に『鮫人』を『それから』のパロディに貶めたいわけではない。
どうも『鮫人』の主題は「浅草」である。
私はこれまで初期谷崎作品が文明批評的であり、変態性欲のおもちゃなどではなく、俗悪なものの中に(さえ)なにがしかの価値、それが美であるか芸術であるかはさておき、見え透いたおためごかしではないもの、生娘シャブ漬け戦略でも締め付け痴漢ビームでもないものを求めるものだと書いてきた。この『鮫人』では、「浅草」という雑多な場所に何某かの価値を見出そうとしているというところまでは確かだと言える。これは後の織田作之助の大阪主義、耽大阪派的な意味での「浅草」小説である。
服部と真珠との関係性がまだ漠としており「前篇」と断っての中断が洒落なのかなんなのか判然としないことから、今の時点で私が書くことのできるのはこの程度の事である。それでも『鮫人』が浅草小説だと主張していた人、どなたかいてはります? いてはらしませんやろ?
別の角度から見ると、……1918年、大正七年の春半ば過ぎ、浅草の松葉町の長屋に住む自称洋画家、ニートの二十七歳の服部は様々な空想の影を追いながら日々ぼんやり過ごしている。負け惜しみから銀座まで黒パンを買いに行ってバタとかチーズとか越前の雲丹をつけて食ったりしていた。この辺りどこか断腸亭みたいな要素がある。何処に首都の面目がある! 何処に日本の面目がある! と癇癪を起すあたりもそっくりである。
この感覚は本当に断腸亭そのままである。しかし、谷崎ならではの感覚も勿論出てくる。
株式投資をやっていた断腸亭はこの辺りに関しては現実主義で、谷崎の理想主義的批判とは相いれないものがあるかもしれない。
服部は次第に不味い物でも食わずにはいられない食い意地の奴隷と化す。
この辺りまでは例の「交換可能な芸術論」のようである。服部は変態色情狂ではない。つまり性欲が食欲に置き換えられることを書く。これは現代の心理学的にもマッチしていて、大抵のストレスは性と食とで甲斐性可能である。しかしこの置き換えの展開はさして深化しない。
服部は風呂に入らないようになり、臭くなる。そのことはまた放り出されて、いつか『眞夏の夜の戀』の続編を書いているかのような雰囲気になる。しかも、この話は長くなる。嫁に貰うとか、約束がどうこうという話でもなくなる。
この文明批判がやはり、どこかで「浅草」主義に転じる。
淺薄で醜惡な東京そのもつとも猥雑な部分を引き受けた浅草に、人々は飾り付けられているに過ぎないようにさえ思える。真珠の正体など知れたところでどうなるものかと。
不擇南州尉
高堂有老親
樓臺重蜃氣
邑里雜鮫人
海暗三山雨
花明五嶺春
此郷多寶玉
愼勿厭清貧(岑參)
此の郷 宝玉多し
慎んで清貧を厭う勿れ
この宝玉とは暗い海や山にふる雨、そして花が咲く春のことだ。金銀財宝の事ではない。人魚が交わる里、それが「浅草」なのだ。金がないとか言うてる場合か、という訳である。
何故か流れ弾を喰らっている…。