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浅草主義とは何か?

戰爭以來世間の好景氣につれて、東京の市中や郊外には粗惡なほつたて小屋も同然な借家が續續と方方へ新築されたが、彼れのも其れ等の長屋の一軒であつて、新らしいには新らしくても地震や火事のことを考へたら一日も安心しては住まへないやうな、立て附けの惡い、ガタビシした家であった。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 少々入り組んでいて、筋らしき筋が見えない、谷崎潤一郎の『鮫人』はまずはこうした文明批判から始まっているように見える。それは夏目漱石の『それから』から十年ほど後の様子と見てよいだろうか。

 平岡の家は、この十数年来の物価騰貴に伴つれて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表した、尤も粗悪な見苦しき構えであった。とくに代助にはそう見えた。
 門と玄関の間が一間位しかない。勝手口もその通りである。そうして裏にも、横にも同じ様な窮屈な家が建てられていた。東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割及至ないし三割の高利に廻そうと目論んで、あたじけなく拵え上げた、生存競争の記念であった。
 今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所にこの種の家が散点している、のみならず、梅雨つゆに入った蚤のみの如く、日毎に、格外の増加律を以って殖えつつある。代助はかつて、これを敗亡の発展と名づけた。そうして、これを目下の日本を代表する最好の象徴とした。
 彼等のあるものは、石油缶の底を継ぎ合わせた四角な鱗で蔽われている。彼等の一つを借りて、夜中に柱の割れる音で眼を醒さまさないものは一人もない。彼等の戸には必ず節穴がある。彼等の襖は必ず狂いが出ると極っている。資本を頭の中へ注ぎ込んで、月々その頭から利息を取って生活しようと云う人間は、みんなこういう所を借りて立て籠こもっている。平岡もその一人であった。(夏目漱石『それから』)

 わざわざ作中にその名を出す夏目漱石の『それから』を谷崎が読んでいないとは考えにくい。となればこうした粗悪な家に関する記述も、どこかで漱石を意識したものであろうか。『それから』は郊外の小さな家から国際関係迄いちいち批評していた代助が、高等人種から落ちこぼれるという大きな筋を持っている。服部はその逆から始まる。ニートで、画家、芸術家を自認しているが金はない。人から金を借りて暮らしている。服部の家には風呂がない。

貧乏し出してから後も、最初のうちは三日に一度ぐらゐづつ錢湯へ行かずには居られなかつた。それを怠ると顏や掌にニチヤニチヤした脂汗が湧き出して、法鼻の周りだの指の股だのが氣味惡く粘ツ着くやうになり、しまひには頭の地の中にまで滲み込んで行く。さうして一と晩のうちに枕や夜具の襟が眞つ黑になる。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 なるほど朝から体に香油を塗る代助とは大違いだ。しかしどこか似て居なくもないようなところも見つけられなくもないような感じがしないでもない。

こんなになつて居ても、彼れはやつぱり死ぬのが恐かつたのであらう、風呂の中でふらふらと眼暈がしたり、働悸が激しく搏ち出したりとすると、今にも氣が違ひさうに狼狽して、「助けてくれ!」と云ひながら矢庭に誰れにでもしがみ着きたい氣持ちになるのである。全く、死ぬよりは獸ででも生きて居る方が增しかも知れない!だから服部は此の死の恐怖を逃れる爲めにも、不潔を忍ばなければならなかつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 誰でも死ぬのは怖いが、心臓が止まってても生きたい代助と服部の死に対する過剰な恐怖感は似ていなくもない。無論私は無理に『鮫人』を『それから』のパロディに貶めたいわけではない。
 どうも『鮫人』の主題は「浅草」である。

それは三四年前から始まつて居た歐洲大戰がまだいつ終るとも見えなかつた千九百十八年の春の半ば過ぎのことで、彼れが住んで居た家は、淺草の本願寺の裏の方にある、松葉町の露地の奥の長屋だつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

で、彼れは其の持ち前の不精の上に偏屈な感情も手傳つて、淺草以外の土地へは殆んど足を踏み入れないのであつた。彼れは今年二十七歲になる靑年だつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

彼れが淺草を好み、淺草以外へ足を踏み出さないに就いては、どんな理由が潜んで居たのであるか?(谷崎潤一郎『鮫人』)

服部が、數年の間此處彼處の陋巷を漂泊した擧句、その最後の落ち着き場所を淺草に擇ぶまでには、以上のやうな心持の経過があつたのである。彼れは都會人であるから、東京の醜惡がい壓になつても田舍へ引つ込む氣にはなれなかつた。そこでつまり、其の醜惡が最も露骨に現はれて居る方面-公園の近所に巢を造つた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

まことに淺草へ行きさへすれば、此の都會にある總べての享樂機關は大體其處に備はつて居るのである。(谷崎潤一郎『鮫人』)

「値が安くつて勿體ぶらないだけでも淺草が一番だ。」-彼れはそれを口癖にした。(谷崎潤一郎『鮫人』)

彼れが時時淺草劇場の樂屋へ出沒するのは、金が借りられるばかりでなく、其處に彼れの目ざす奴が居るからで、彼女と口をききたさにやつて來るのだ、と云ふのであつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

「此の近所でなくつちやあ困るんだよ、僕は此處へ引つ越してから、淺草以外の土地へは出ないやうにしてるんだから。」「なぜ?」「なぜツてこともないんだけれど、あんまり遠くの方へ出たくないんだよ。(谷崎潤一郎『鮫人』)

讀者は多分、淺草邊の貧しいカフェエでたべさせるそれ等の下等な洋食を-洋食でなくツて或ひは妖術であるかも知れないそれ等の料理を御存じだらう。(谷崎潤一郎『鮫人』)

「君は支那でなけりやいけないか知れないが、僕は淺草で十分滿足して居るよ。」「僕は支那だ、どうしても支那でなけりや駄目だ。來年にでもなつたら親父に賴んで,一度支那へ行かして貰はうかと思つて居る。(谷崎潤一郎『鮫人』)

「僕はただ淺草が好きなんだ。さうして淺草のお蔭で飯を喰はして貰つてるんだ。」(谷崎潤一郎『鮫人』)

去年まではどんなに隨落して居ても時々は眞面目な仕事をしたし、しないまでもしようとはして居たんだけれど、淺草へ來てからはもう眞面目な事なんかにちとも手を着けちや居ないんだ。(谷崎潤一郎『鮫人』)

若し淺草に何等か偉大なるものがあるとすれば此の特徵より外にない。云ふまでもなく社會全體にいつも流動する、いつもぐつぐつと煮え立つて居る、けれども淺草ほど其の流動の激しい一郭はない。(谷崎潤一郎『鮫人』)

此れらの不良老年の中で淺草公園だけが不良少年なのである。不良でも少年には愛嬌があり活氣があり進歩がある。其處からは往往にして英傑の出る事を忘れてはならない。(谷崎潤一郎『鮫人』)

讀者は、此の物語の初めに於いて、服部が屢次淺草劇場の樂屋へ出入することを讀まれたであらう。で、その淺草劇場が卽ち梧桐寛治氏の根城であつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

彼れは新劇の高田實と云ふ格で、リア王、シャイロック、オセロ、イヤゴーなどの役を得意にしたが、淺草に於ける彼れの花花しい成功は、俳優としてよりもステージ·マネージャアとしての手腕に負ふ點が多かつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

平生から異性に對しては冷淡な男でもあり、それに、いくら服部が口を酸ツぱくして褒めちぎつたところで、どうせ浅草の女優だからと額を括つて居た。(谷崎潤一郎『鮫人』)

尤も、此れ等の可憐な光景は、南があまり淺草と云ふ所を輕蔑し過ぎて居た爲めに、却つて實際以上に美しく感ぜられたのかも知れない。(谷崎潤一郎『鮫人』)

「さうだらう、-淺草の女優にあんなのは澤山は居ないだらう。」「成る程、君もさう思ふかね。」服部の口もとに謎のやうな微笑が見えた。「なぜ?」「なぜツて、あの女は君を見た事があるんださうだ。」「何處で?」(谷崎潤一郎『鮫人』)

まことにそれは公園に住む俳優たちの樂屋に適しいと云はねばならない、なぜなら流轉の激しい淺草に於ける彼れ等の運命その物が、一つの吊る下りであり宙ぶらりんであるから、風が吹けば彼れ等はいつ何處へ飛ばされるか(谷崎潤一郎『鮫人』)

「かうして見ると淺草はえらい景氣だね。」「えらい景氣さ、此の頃は每晩こんなだ。」南は窓から首を引ツ込めて、頻りに蜂谷の痛みを揉みながら今度は室內を眺めた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

一體淺草でもあんなのを時時やるのだらうか?淺草でやるのは大〓西洋風の物ばかりぢやないのだらうか?(谷崎潤一郎『鮫人』)

斷つて置くが梧桐の家は淺草諏訪町の河岸通りにあつて、吾妻橋の方から鰻屋の前川の先を五六軒行つた所の小じんまりとした酒落た住居だつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

チヤプリン·バアは其の名の如く極めて剽輕な元氣な醉ひどれの氣焰を上げに來る場所であつて、バアとは云ふものの勿論淺草式の見すぼらしい居酒屋に過ぎない。(谷崎潤一郎『鮫人』)

「もつと眞劍になつて、淺草の民衆を教育してやるのが己たちの使命なんだ······「ヒヤ、ヒヤ。」(谷崎潤一郎『鮫人』)

僕は此れでも淺草黨の一人なんだからな。」「うん、さうか、君あ感心だ。君のやうな小說家が淺草へ眼を付けるなあ感心だ。種はいくらでも供給するから、どうか一つ己たちの事を書いてくれ。(谷崎潤一郎『鮫人』)

世間の奴等は淺草と云ふと馬鹿にするけれど、劇の運動なんてもなあ淺草の樣な所から起つて行かなけりや謹なんだ。僕の考へぢやあ、今に淺草からほんたうの民衆藝術が生れるだらうと思ふんだね。(谷崎潤一郎『鮫人』)

「ふん、面白いぞ、淺草に星野先生の歌劇が現はれるなんて、さうなつて來なけりや、面白くねえんだ。それで一番公園中をどつと引つ繰り返してやるんだ。なあ、どうだい、ちやんと寸法が出來てるぢやねえか。」(谷崎潤一郎『鮫人』)

日本近代の產物たる此の愛すべきオペラの人魚どもは、淺草に住みながら恐らく「大金」や「草津」の有難味も知らないであらうし、知つて居たにしろメリンスづくめの氣の毒な彼れ等の服裝は、そんな所へ連れて行つたら却(谷崎潤一郎『鮫人』)

さう云ふ時刻の「淺草」の姿を見た者は、何かの惡夢を連想したり、怪しい犯罪の事を考へずには居ないであらう。畫の公園が不思議な魅力を持つて居る以上に、夜の彼女が更に物凄い妖婦である事を知るであらう。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 私はこれまで初期谷崎作品が文明批評的であり、変態性欲のおもちゃなどではなく、俗悪なものの中に(さえ)なにがしかの価値、それが美であるか芸術であるかはさておき、見え透いたおためごかしではないもの、生娘シャブ漬け戦略でも締め付け痴漢ビームでもないものを求めるものだと書いてきた。この『鮫人』では、「浅草」という雑多な場所に何某かの価値を見出そうとしているというところまでは確かだと言える。これは後の織田作之助の大阪主義、耽大阪派的な意味での「浅草」小説である。

そんなら今の日本は何んであるか? 今の東京市は何んであるか? 今の日本の社會、今の東京市全體は一個の不良老年ではないか。此れらの不良老年の中で淺草公園だけが不良少年なのである。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 服部と真珠との関係性がまだ漠としており「前篇」と断っての中断が洒落なのかなんなのか判然としないことから、今の時点で私が書くことのできるのはこの程度の事である。それでも『鮫人』が浅草小説だと主張していた人、どなたかいてはります? いてはらしませんやろ?


 別の角度から見ると、……1918年、大正七年の春半ば過ぎ、浅草の松葉町の長屋に住む自称洋画家、ニートの二十七歳の服部は様々な空想の影を追いながら日々ぼんやり過ごしている。負け惜しみから銀座まで黒パンを買いに行ってバタとかチーズとか越前の雲丹をつけて食ったりしていた。この辺りどこか断腸亭みたいな要素がある。何処に首都の面目がある! 何処に日本の面目がある! と癇癪を起すあたりもそっくりである。

總べて此れ等の、此の都會のあらゆる方面で經驗される亂雜と不誠實とは、煙草屋の爺を摑まへて「詐欺」だと云つた服部の眼からは、みんなあのマチと同じやうな「文明の詐欺」だつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 この感覚は本当に断腸亭そのままである。しかし、谷崎ならではの感覚も勿論出てくる。

戰爭のお蔭で東京には好景氣が來た、日本は債權國になつた、實業家は彼れ等の資產を豐かにし、宰相は新らしい爵位を得、軍人は動章を貰つた、ぼろ船を賣つて儲けたり、染料や藥劑の買ひ占めで儲けた成金どもが輩出した。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 株式投資をやっていた断腸亭はこの辺りに関しては現実主義で、谷崎の理想主義的批判とは相いれないものがあるかもしれない。
 服部は次第に不味い物でも食わずにはいられない食い意地の奴隷と化す。 

何か賴りになりさうなもの、さうだ、此の世の中にはそんなものはない筈だが、若し有るとすれば此の一瞬間の「滿腹の氣持ち」だけだ。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 この辺りまでは例の「交換可能な芸術論」のようである。服部は変態色情狂ではない。つまり性欲が食欲に置き換えられることを書く。これは現代の心理学的にもマッチしていて、大抵のストレスは性と食とで甲斐性可能である。しかしこの置き換えの展開はさして深化しない。
 服部は風呂に入らないようになり、臭くなる。そのことはまた放り出されて、いつか『眞夏の夜の戀』の続編を書いているかのような雰囲気になる。しかも、この話は長くなる。嫁に貰うとか、約束がどうこうという話でもなくなる。


 服部が口癖にする言葉を借りれば、「われわれ日本人はもう長いこと煙草の味と香とを忘れさせられてしまつて居る。われわれが此の頃吸つて居るのはあれは煙草ぢやない」のであつた。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 この文明批判がやはり、どこかで「浅草」主義に転じる。

日本の過去の文明の親であり淵源であつた彼の貴い大陸に別れて、自分は永久に日本人として此處に斯うして居る。自分の眼の前にはあの幽邃で冥想的な北京の代りに淺薄で醜惡な東京がある。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 淺薄で醜惡な東京そのもつとも猥雑な部分を引き受けた浅草に、人々は飾り付けられているに過ぎないようにさえ思える。真珠の正体など知れたところでどうなるものかと。

 

不擇南州尉
高堂有老親
樓臺重蜃氣
邑里雜鮫人
海暗三山雨
花明五嶺春
此郷多寶玉
愼勿厭清貧(岑參)


此の郷 宝玉多し

慎んで清貧を厭う勿れ

 この宝玉とは暗い海や山にふる雨、そして花が咲く春のことだ。金銀財宝の事ではない。人魚が交わる里、それが「浅草」なのだ。金がないとか言うてる場合か、という訳である。





 何故か流れ弾を喰らっている…。


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