谷崎はこうして読み人知らずの歌をまずぶつけて來る。難波の話になるかと思えばそう簡単にはいかない。
※「遠はしり」 遠出。
※「水無瀬の宮」
※「元久」1204年から1206年までの期間。
なるほど後鳥羽院が出て來る。『吉野葛』の敵を取るつもりなのか。それにしても君が代が千代に八千代に苔むしそうな始まりだ。
確かに「我こそは新島守(にひじまもり)よ隠岐(おき)の海の荒き波風心して吹け」は良い歌だが、島流しにされた時の歌だ。どれもこれも心惹かれるのは南朝びいきの表れではないのか、潤一郎!
ん? 淀川べりの月を見るのも一興って、帰りの心配はないのか? 今三時すこし過ぎ、という分かった。
山崎駅から歩いて行けそうなことも解った。ところで「おかもと」ってどこだ? 何駅から乗るんだ、潤一郎!
こういうことか。兵庫県の岡本か。二、三時間で行ってこられる恰好な散策地とは言え、それでも結構な遠出ちゃうか。暇なんか。まあ、暇なんやろう。なら好きなようにしたらええやん。
それにしても午後三時過ぎから活動するとは、なかなか行動力があるな。午後三時過ぎといえば普通の人なら、もう晩飯のおかずの心配でもしている時刻だ。それが月見でもしようというのだからなかなかだ。しかしだな、
見わたせば山もとかすむみなせ川
ゆふべは秋となにおもひけむ
と、わざわざ秋と間違えそうな春の歌を引いて、九月のあまり天気のいい日に月見をしようとは、どういう魂胆だ。これで秋だと思ったら春だったと落としたら承知しないぞ、潤一郎!