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岩波書店・漱石全集注釈を校正する45 だんだらの赤毛布は浮世の勧工場 

だんだら


 岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解に、

だんだら だんだら染めの略。手綱染めともいう。横縞がいくつも重なった柄。

(『定本 漱石全集第三巻』岩波書店 2017年)

 ……とある。

 立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜か分からないが根元から頂までことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めている。

(夏目漱石『草枕』)

 広辞苑は「だんだら縞」と「だんだら染め」を区別する。「だんだら縞」は「違った色糸で織った横縞物」であり、「だんだら染め」は「だんだら筋」であり「横筋を違った色に染めた模様」としたいようだ。
 一方日本国語大辞典は「だんだら筋」を「横縞が違った色で段々になっている模様」として染めなのか織りなのかを区別しない。
 学研国語大辞典が一番おおらかで「もようや柄に、(異なった色の)太い横じまがいくつもあること」とやはり結果としてのだんだら模様と見做す。そして用例として『草枕』を挙げている。
 明鏡も同様に「いくつかの色の横じまが段になって表されていること。また、そのような模様」と大きく捉える。
 新明解はさらに「〔「段段」の変化〕 いろいろな色の横縞(ジマ)が見えること」と砕けた上に「いろいろな色」と二色では足りぬような説明になっている。

 だんだらのかつきに逢ひぬ朧月 だんだらとは赤紫などの布を繼合せたもの、又は五色の色絲にて織りしもの、或は種々の色に染めたものゝ總稱であるが要するに色々の色が段々になつてゐる衣物の事である。
 句の意はだんだらのかつぎを着た女に出逢つた、折ふし月は朧であつたといふので、朧月であれば他の衣物ならば文は十分にわからぬかだんだらであるから朧ながらもそれと見受けられたのである。)
 單に女に出逢つたのみでは平凡だが、だんだらのかつぎを着た女に出逢ひ其だんだらが目に入つたとあるので、頗る朧月の趣にかなつてゐる。

『春夏子規俳句評釈』寒川鼠骨 著大学館 1907年
新註草枕 竹野長次 編精文館書店 1932年


 織りであるか染めであるのかの議論が必要なのはわかるが、「山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬくらい靄が濃い」のであるから、ここは手綱染めまで意味を限定せずとも良いところではなかろうか。

だんだらの被衣に逢ひぬ騰月 子規  だんだらは、波動の義にて、染模樣を云ふ、即ちだんだら染(波動染)の略なり


『俳句資料解釈』峰青嵐 (是三郎) 著博文館 1907年

 こんな解釈もある。

赤毛布


 天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。

(夏目漱石『草枕』)

 初見ではこの「赤い毛布」の意味は定かではない。

 停車場前の茶店に腰を下ろして、蓬餅を眺めながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。
 向うの床几には二人かけている。等しく草鞋穿きで、一人は赤毛布、一人は千草色の股引きの膝頭に継布をあてて、継布のあたった所を手で抑えている。
「やっぱり駄目かね」
「駄目さあ」
「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」
「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪わるくなりゃ、切ってしまえば済むから」
 この田舎者は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭いも知らぬ。現代文明の弊をも見認みとめぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描き取った。

(夏目漱石『草枕』)

 このように書かれてようやく、先を行く田舎者の一人が「赤い毛布」だと解る。

 
  岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解は、

赤い毛布  赤い毛布は旅行者などが防寒用に身につけた。「ケット」は英語blanketから来ている。

(『定本 漱石全集第三巻』岩波書店 2017年)

 ……と注釈をつける。しかしここはもう少し風俗の色付けがあってもいいのではなかろうか。

英語学講義録 第2学年 〔2〕 井上十吉 著英語学攻修会 1898年

 これを見るとred blankets が既に田舎者の意味かと思うが、赤毛布に田舎者の意味があるようだ。

銀座通りの雜沓  當日朝の内は赤毛布連多く、股引を着けたる婦人などを見受けたるが、十時頃より都人士も續々出で來りて、正午頃には一層酷しくなり、遂に鐵道馬車の運轉をも中止するに至れり。

最新東京案内記 春の巻 東都沿革調査会 編教育舎 1898年

 これはやや時代が下るが、

 右手に風呂敷包を抱へ、左手に傘下駄なんぞを提げ、之を掩ふに赤き毛布を以てし、その歩むや頭を前にして家鴨の如く、行步の態頗る滑稽なるもの、斯くの如きを總稱して赤毛布といふ。新聞に、雜誌に、將又ポンチ畫に、赤毛布は十二分に世に紹介せられたり。花見の候、紅葉の交、新橋あたり、上野のほとりを徜徉すれば、かくの如き毛布の三々五々相迷ふを見る。

『田園趣味』天野藤男 著洛陽堂 1914年
『田園趣味』天野藤男 著洛陽堂 1914年

 やはり野暮な田舎者の意味として「赤毛布」が使われている。漱石はその人物の一部の特徴を以て呼称とする提喩をしばしば用いるので、ここはフラットな意味で捉えてもいいが、「赤毛布」そのものに田舎染みたニュアンスが既にあることは明記しておいても良いだろう。

十文字 著者不詳春陽堂 1893年

浮世の勧工場


 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通しとおして、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。 

(夏目漱石『草枕』)

 岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解は、

浮世の勧工場  「勧工場」は今日のデパートの前身で、種々の商品の販売所。

(『定本 漱石全集第三巻』岩波書店 2017年)

 ……としている。

尋常小学読本字引 第4学年 前期用 普通学研究会 編此村欽英堂 1913年

 これはデパートというより、商店街や闇市、ショッピングセンターに近いのではなかろうか。

広島案内記 : 附・厳島 林保登 著東瀛社 1901年


辰之口勧工場庭中之図 松斎吟光 縮写福田熊次郎 1882年


官公私立諸学校改訂就学案内 上村貞子 編博文館 1904年

 大きな店舗がありテナントが入るという形式ではなさそうなので、やはりデパートの前身とするのは少し無理があろう。

超然と出世間的に利害損得の汗を流し


 うれしい事に東洋の詩歌しいかはそこを解脱したのがある。採菊をとる東籬下、悠然として見南山をみる。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。

(夏目漱石『草枕』)


 岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解はここに、「汝の見るは現象の世界なり。われの視るは實相原△汝ノ見るは利害の世なり。われの立つは理否の世なり。の世なり」という断片を引く。

 ここには、こんな解説がある。 

[利害損得の汗云々]前に「暑苦しい世の中」といつたから「汗を流し去る」といふ語をもつて來たのである。「暑苦しい世の中」とは、忙しく塵をあびて活動する社會。汗まみれになつて働く社會。
「利害損得の汗」とは、寸時も利害損得を離れて活動することの出來ない營々たる社會の空氣に染み浸ることの形容。[獨坐幽篁裏云々]唐詩選にある王維の輛川別業二十絕の一で題は竹里館とある。

新修国文教授資料 女学校用 巻9 富山房編輯部 編富山房 1938年

 利害損得は解るが利害損得の汗とは何だろうという意識のめぐらし方が圧倒的に正しいと思える。


非人情の天地


 淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間までも非人情の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。
 もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。

(夏目漱石『草枕』)

 岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解は、

非人情の天地  「天地」はこれまで「乾坤」と表わされていたものである。「非人情」は人情・不人情を超越したもの。漢籍に用例が皆無というのではないが、ほとんど漱石独自の用語といってよい。

(『定本 漱石全集第三巻』岩波書店 2017年)

 ……とある。確かに『草枕』の作中に「非人情」の語は二十五回現れ、

 所謂非人情小說の『草枕』は、猫とは、とびはなれて、亦一種の夏目式也。『二百十日』も、『坊ちやん』も、みな夏目式也。短篇にいたるまで、それぞれ特色あり。
『草枕』は之と異なりて、格を出でたる、所謂非人情小說也。文最も美也。警句最も多し。漱石自からも說明せる如く、美を美として描ける小說也。

半生の文章 大町桂月 著広文堂 1907年

 このように『草枕』が非人情小說と呼ばれるようになることから、この小説の中で「非人情」の概念が練られたことは間違いない。人情・不人情を超越したものかどうかは検討の余地がある。

しかるに此の夏目漱石が何故に非人情小說とか餘裕派とかを主張しだしたか。主觀がぼんやりして居る。何うにでも出て行かれるやうな餘地を殘して居る。


明治小説文章変遷史||明治小説内容発達史 徳田秋声 述||田山花袋 述文学普及会 1914年


新定国文読本参考書 巻2 東京高等師範学校附属中学校国語漢文研究会 編纂目黒書店 1928年

 このように「非人情」を漱石の新造語と見做す主張は古くからある。

『草枕』で主張されてゐる非人情とは、漱石によれば、俳句·漢詩·寫生文を貫ぬいて流れてゐる、作家の特殊な態度である。

漱石の芸術 小宮豊隆 著岩波書店 1942年

 しかしさすがにこれは贔屓の引き倒しになってはいまいか。事実としては既にあった非人情という言葉に、漱石が独自の意味を付与したのであり、それは新造語ではない。

 そもそも非人情とは他人から言われることで、実際の当人の意識の中でどのような感情が働いていたのかは定かではない。「もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ」とはっきり枯れているところを見なくてはならないだろう。これが則天去私の概念とどう繋がるのか、繋がらないのか、そもそも本当に超越なのか、あるいは放棄なのか、ぼんやりしているだけではないのか、ここはさらに精査が必要なところだ。
 なんでもそうやすやすと超越できるものではなかろう。



[余談]

 それにしても日々オペレーションが変化していく。あっという間だ。例えばこれまでは持ち帰り天麩羅を店員に注文して獲って貰っていた筈が自分で取るように変わった。こんなことが日々起こると、ある日常生活の記述が何年後ではなく何日後には訳の分からないものになりかねない。

 今、我々が「蛙」として認識しているものは、昔の人には「蛙」ではない。鳩も雀もそうだ。

 最近は人を恐れない雀が増えた。昔は浅草では鳩の餌が売られていた。間もなく自転車でヘルメットが努力義務になる。
 だからこそ今を記録しておくことにも意味があるのだろう。
 それがたとえ天麩羅事件でも。



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