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川上未映子の『ウィステリアと三人の女たち』のどこがこわいか? ②お米二合は多い

 二人で検査に行こうという話がこじれて、「わたし」と夫はセックスをしなくなる。それでも九年間はセックスをしてきたのだから十分ではないかと思う。ロシア文学者でドストエフスキーの翻訳者としても知られる江川卓氏の巨人軍の投手としてのプロ現役生活も振り返ってみればわずか九年間である。

 え?

 別人?

 夫は四十一歳、江川はわずか三十二歳で引退した。「わたし」は三十八歳。まだ妊娠可能な年齢ではあるが、セックスなしでは子供は生まれない。(※あくまでも個人の感想です。)

 解体工事は途中で中断していた。普通はそんなことはない。急いでやってしまわないと重機のリース代などのコストがかさむ。それに家を解体するということは更地にして転売するか、駐車場にするなどの用途が確定している場合が殆どで、途中で中断することはまず考えられないことだ。ここに川上未映子は合理的な理由というものを敢て挟み込まない。それは他人の家の事情だからと、まるで犬の躾でもするかのように、解体工事を放り出す。

 ここから見る限り、解体工事は全体の三分の一ほど進んでいるという印象だった。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 外側からは外見しか見えない。「わたし」は結婚して九年、子供のいない専業主婦らしい。兼業も副業も書かれない。しかもかなり簡素な生活をしている。解体途中の家の前で、同じぐらいの年齢の「女」と出会う。この女は「三人の女たち」の一人だろうか。腕の指先が膝のあたりまで届く手の長い女だ。髪の長い女はいくらでもいるが、腕の長い女は横須賀にもそうはいないだろう。ましてや膝に届くほど長い女など、滅多にいるものではあるまい。

 しかしその腕の長さも捨て置かれる。そういう人もいるものだ、頭が透明な魚がいるように、という言い訳すらない。

 腕の長い女はおかしなことを言い出す。物が壊されるときには独特の音がする、と。

「いえ」女ははっきりとした口調でつづけた。「材質も大きさも、関係ないですね。それがなんであれ、壊されるときにしか聴こえない音の成分みたいなのがあるんです」

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 その音の成分は壊されるときにのみ現れ、たまたまやうっかりでは現れないと女は主張する。「つもり」のようなものが聞こえるのだと。壊すつもりなのか、壊されるつもりなのかは分からないけれど。

 これはいささかありがちな不思議ちゃん自慢に聞こえなくもない。私も小銭が床に落ちる音を聞くといくら落ちたのか、百円玉と十円玉と一円硬貨の音を聞き分けて勘定することができるが、「つもり」までは聞き分けられない。

 しかしこの女の「趣味」は空き家に入ることで、壊すつもりなのか、壊されるつもりなのかは分からない「つもり」の音の成分を聴き分けることではない。

 つまり?

 それはどういうことか。

 この腕の長い女は散々「壊されるときにしか聴こえない音」を聴き続けた後に何かを損ない、それを空き家に入ることで回復させようとしている?

 あるいは散々「壊されるときにしか聴こえない音」を聴き続けると腕が膝まで伸びる?

 あるいは彼女は劇団員でシュールに見える芝居の稽古をしている?

 そうでなければこうではないか。散々「壊されるときにしか聴こえない音」を聴き続けるとテナガザルが空き家に入ることが好きな人間の女に進化する。

 いやそれよりも何よりも、

 こんな挨拶程度のやりとりでさえも、誰かと話すのは久しぶりだった。いってらっしゃい。おかえり。どれくらい食べる? そこに置いておいて。先に寝るから。頭の中で自分の平板な声が再生される。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 普段の生活で話相手のいない専業主婦。

 これはおそろしい。しかももう夫からはセックスは求められず、子供が生まれることはないのだ。それもこれも異次元の少子化対策がJリーグの試合を優先的に観戦できる事業にしてしまった岸田政権の所為だと川上未映子は言いたいのではなかろう。この作品は2017年に書かれているので総理大臣は安倍さんだ。しかし安倍さんが悪いわけではなかろう。これはどう考えても夫が悪い。

 大体この夫という生き物は何のために存在しているのだろうか。

 そんな疑問がここで全ての読者に投げかけられている。そのおちんぽは飾りものなのかと指さされている。

 これは恐い。

 それにしても夫に「どれくらい食べる?」と訊く「わたし」はこわい。そんなことはその場になってみないと解らない。夫は曖昧な返事をしたのだろう。

 日が沈むと、冷蔵庫にある残り物の野菜と冷凍してあった鶏肉を使って適当な料理をつくって米を二合炊き、冷蔵庫を開けてビールが冷えていることを確認した。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 ここで既に冷蔵庫に関するルールが崩壊している。「わたし」はこんなことを言っていた。

 冷蔵庫に物がたくさん入っているのを夫が嫌うので、その日に使う物をその日に買うようにしているのだ。だからいつも冷蔵庫の中はがらんとしている。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 それはまだセックスレスになる前の冷蔵庫のルールだ。夫は村上春樹のようにこう言いたくなるのではないか。

 鶏肉は他の肉と比べて水分の多い肉だ。鶏肉を凍らせて回答すると大量の水分が出て味が落ちる。だからサウジアラビアでは誰も鶏肉を冷凍しようとはしない。野菜も冷蔵庫に入れたりしない。それはけしてフェアなことではないんだ。たとえセックスレスだとしてもね。

 もうひとつの問題は二合の米だ。ビールも飲むのに、二合は多すぎる。お米二合だとお茶碗で五杯分になる。

 ということはつまり……「わたし」さんは、孤独でデブの専業主婦?

 これはこわい。

 こわいから③に続く。


[余談]

 三月だというのに陽射しは強く、薄手のセーターの下でうっすら汗ばむほどだった。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 ……って、そういうこと?

ろくに運動も努力もしないで好きなときに好きなもの食べて寝たいときに適当に寝て、基本的にだらだらした生活してるんだろうってことがひとめでわかる。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 ……これがデブの「ふり」?

 もしそうなら、書いていて楽しくてたまらんだろうな。


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