『彼岸過迄』を読む 26 あちらに意識を向けさせておいて
鷺草の花は七八月に咲きます。
以前こんな記事を書きました。
森本は実は大連に行っていなかったのじゃなかったのかと。
いやいやしかし、田川敬太郎は森本宛に手紙の返事を書いたではないか、と私も一度は思ったのですが、その手紙の返事は一向に返ってきませんよね。そこをどう捉えるかですよ。
田川敬太郎は返事を書きます。大体一週間後には森本に手紙が着くだろうと踏みます。その後に様々な手紙が出て来て紛れるのですが、やはり森本との手紙のやり取りは一往復でおわりです。宛先不明で戻ってこないので一応届いた感じはしますが、『彼岸過迄』全体の中での森本の役割のように、手紙の件はスパッと終わってしまっていますね。
曲り角へ来てポストへ手紙を入れる事は忘れなかったけれども、肝心の森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただ微かな火気を残すのみであった。それでも状袋が郵便函の口を滑って、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封を披く様を想見して、満更悪い心持もしまいと思った。(夏目漱石『彼岸過迄』)
ここで森本の役割は終わっています。この後森本からの手紙が追加して来ないことで、森本はその後「洋杖」に変化したかのごとく気配を消します。この「洋杖」も須永の話を聞き出すところまで活躍し、須永の話、鎌倉の海水浴の話が始まると気配を消します。大体「須永の話」の十三章までは田川敬太郎も直接顔を出しますが、十四章から三十五章、「松本の話」の十二章に「敬太郎」の文字はありません。四十三章くらい「敬太郎」はお休みで「結末」は「敬太郎」の文字から始まります。これで森本のことを覚えていろというのは無理な話です。
少し話を戻しますが、よくよく読み直すと、夏場から職探しに奔走していた田川敬太郎が田口要作と接し、何とか探偵の仕事を仰せつかる頃には季節は冬になっているのですね。
穏かな冬の日がまた二三日続いた。敬太郎は三階の室から、窓に入る空と樹と屋根瓦を眺ながめて、自然を橙色に暖めるおとなしいこの日光が、あたかも自分のために世の中を照らしているような愉快を覚えた。彼はこの間の会見で、自分に都合の好い結果が、近い内にわが頭の上に落ちて来るものと固く信ずるようになった。そうしてその結果がどんな異様の形を装って、彼の前に現われるかを、彼は最も楽しんで待ち暮らした。彼が田口に依頼した仕事のうちには、普通の依頼者の申し出いで以上のものまで含んでいた。彼は一定の職業から生ずる義務を希望したばかりでなく、刺戟に充ちた一時性の用事をも田口から期待した。彼の性質として、もし成効の影が彼を掠めて閃くならば、おそらく尋常の雑務とは切り離された特別の精彩を帯びたものが、卒然彼の前に投げ出されるのだろうぐらいに考えた。そんな望を抱いて、彼は毎日美くしい日光に浴していたのである。(夏目漱石『彼岸過迄』)
森本がいなくなった時期は正確には解りませんが、一緒に酒を飲んでから一週間後、まだ夏場でした。それから森本から手紙が来るのがニ三週間後、田川敬太郎の返事はやや遅れたようですが、それでももし森本が無事なら、冬場までにはもう一度返事が届いても良さそうなものです。小説の構造として書信の往復は余計だと漱石が割り切った、というのが実情でしょう。ただもう一度ここ、読んでくださいね。
森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただ微かな火気を残すのみであった。
つまり、事実として森本から手紙は届いた、大連で働いているようなことが書いてあった、大連の電気公園で娯楽かかりをやっていると書いてある、そこに手紙を出してみた、その手紙を出すときにまだ「安否」といって何か心配していますよね。別の言い方をすると何かを疑っています。
そして実際に森本からの返事もなく、あて先不明で田川敬太郎の出した手紙が戻っても来ないので、「安否」はふわっとしたものです。死んだとは書かれませんが、やはり荷物の処分のことなどを考えても、約束通り年末までに帰ってきて借金を弁済する感じがしません。
この『彼岸過迄』という小説は「現在」の特定が難しい書き方をされているので、
雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに当人の口から聞く機会を得ずに久しく過ぎた。敬太郎もそのうちに取り紛れて忘れてしまった。ふとそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たのを縁故に、遠慮なく同家へ出入のできる身になってからの事である。(夏目漱石『彼岸過迄』)
ここが何月なのか不明ながら、冬に探偵をやり、松本を訪ねて面会謝絶、面会して、職を得て……と考えて行くと、明確には書かれていませんが、この「松本の話」の冒頭の時点で暮れ近くになっているように読めてしまいます。しかし森本が借金を返済したとは書かれません。そしていよいよ「松本の話」第一章の終わりにははっきりと季節が示されます。
彼らが公然と膝を突き合わせて、例になく長い時間を、遠慮の交らない談話に更かしたのは、正月半ばの歌留多会の折であった。その時敬太郎は千代子から、あなた随分鈍いのねと云われた。百代子からは、あたしあなたと組むのは厭よ、負けるにきまってるからと怒られた。
それからまた一カ月ほど経って、梅の音信の新聞に出る頃、敬太郎はある日曜の午後を、久しぶりに須永の二階で暮した時、偶然遊びに来ていた千代子に出逢った。三人してそれからそれへと纏まらない話を続けて行くうちに、ふと松本の評判が千代子の口に上った。
「あの叔父さんも随分変ってるのね。雨が降ると一しきりよく御客を断わった事があってよ。今でもそうかしら」(夏目漱石『彼岸過迄』)
こうして物語は森本や雷獣を無視して進行しますが、結果としてこの裏側には描かれない「森本の借金返済がなかったこと」という出来事があるわけですよね。するとどうでしょう、宛先不明で田川敬太郎の出した手紙が戻っても来ないという事実があるにせよ、やはり森本の話をそのまま信じる訳にはいかないように思えてきませんか。
雷獣が云うところの「此年の末にはどうかするからという当人の言訳」と、
僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃ善よくないくらいの事はまさかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからと云って、あなたにこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失くしたも同様、はなはだ遺憾の至りだから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います。(夏目漱石『彼岸過迄』)
この森本の宣言が反古になった以上、森本への疑いはもう単なる誤解ではすみません。だからこそ田川敬太郎にとってはどうでもいいこととして森本は物語の外に放り出されてしまったわけです。いや本当にどうでもいいことなんですが、森本からの手紙に貼られていた切手の図柄はありふれたもので、そこに漱石はフォーカスし、森本の疑わしさを暗示したんじゃないかという話は、ここまで季節を進行させたことと無関係ではないと思うんですよね。
そう言えば森本は……って誰でも思うはずなんですが、それからそれへ移る意識の中で「来年になれば」が「梅の音信」で裏切られたことには案外気が付かないですよね。そう言えば森本は……途中で消えたな、というところまでは誰にでもわかる話です。
しかし残念ながら、誰も気が付きませんね。「来年になれば」と書いている漱石の中では、そう言えば森本は……って森本が金を返さなかったことに気が付く者も一人や二人はいるだろう、という明確な意識があったことは間違いないでしょう。いや一人や二人かどうかは別としてまさか誰も気が付くまいとは思っていなかったと思います。ここに一人「世渡りは上手いが士人の交りは出来ない男」が出来上がりました。
あるいは、森本は大連で失敗していないでしょうか。成功していれば、金の工面は出来たかも知れませんが、満州にしても朝鮮にしても誰もが成功できる楽天地である筈はありません。これは勿論書かれていない部分の話なのでいい加減にしますが、「森本が大成功して凱旋報告しなかった」のは一つの事実です。
森本の安否なんて本当にどうでもいいことながら、夏目漱石が「こっちを見なさい」と意識を須永に振り向けさせ、森本の気配をほぼ完全に隠してしまったことは偶然ではない、という話でした。
[余談]
人文学系の話はよくその分野の基礎を知らない素人に絡まれるという話があるが、そこには専門家の隙もあると思う。新聞の表記は学術論文ではないので、そこに学術的正しさを求めるのも無理がある。自分は一般社会とは切り離された特殊な言語空間に存在すると思わなければ専門にはなれないんじゃないかと素人は思う。
私はまだ「俗中の俗」にいる。
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