卒業制作を終えて
大学4年間の集大成とも言える卒業設計を終えた。
良くも悪くも、うまくまとめたなといった感想だ。
卒業設計の過程を振り返ってみると、自身の特性がよく表れたなと思う。
計画を立てて、それ通りにきっちり作業を進めていく。
研究室の特性にも関わってくるが、時間に追われることはほとんどなかった。
少し言い方を変えていくと、
割り切りができる。
熱量を注ぎきれない。
これが小林という人間なんだなとつくづく思う。
計画立てたものを確実に実行していける力は自分でも気に入っている。
物事をうまく割り切れるから、それができていることもわかる。
その代償に、全力で走り切ったという感覚がない。
冷めてるなと思う。
成果物には満足しているが、100%自分を出し切ったものかと言われると違う。
その部分にいつもないものねだりをしてしまうんだな。
全力でやり切ること。突き詰めて突き詰めまくること。
羨ましい。
計画的にやることと熱量を注ぐことのバランスが大事なんだなと思う。どっちにも100%いくってのは不可能。
前者が大きすぎてもだめ、後者に偏りすぎてもだめ。
自分に合った適正なバランスがあるはず。
もう少し、後者に寄ってもいいかもなと思った。
この先、いい具合に調節していきたい。
話を変えて、研究発表の話。
私はひとつ後悔を残してしまった。
発表は6分のプレゼンと4分の質疑応答があったのだが、質疑応答の部分に後悔が残る。
教授たちの質問は、さまざまで、単純な疑問や自身の印象を伝えてからの発表者に意見を求めるものもある。
発表者に意見を求めるタイプの質問に対して、私は教授の意見に流されて、自信のない言い切り方をしてしまった。言い方ひとつで発表の作品の印象が大きく変わるだろう箇所で、私は判断を間違えた。
作品に対する自分の自信が他人の一言で揺らいでしまって、それが言葉に出てしまった。自分の作品の1番の味方は私であるはずなのに。裏切ってしまった。
それがなぜ起こってしまったかというと、準備不足。
もっと自分の作品に愛着を持って発表に臨むべきだった。
自信を身に纏っておけばよかった。
気持ちの準備さえしておけば解決できた部分であった。
これが私の後悔。
これはなかなか悔しさが残る部分であるから、反省して、今後に活かしたい。
ファイナリストには15人が選ばれた。
よく見知った人たちが多く残っていた。
すばらしい。
最後の発表は興味深く聞いた。
発表者と教授たちの質疑応答が凄まじかった。
発表者の自身の作品に対する自信・愛着が言葉から伝わってきた。
これが選ばれる人たちかととても納得した。
私の研究室から最優秀賞が出た。
ほんと最高すぎる。教授たちの票がその人に集まっていく様子を見ていて、とても興奮した。
ほとんどの人が前田研から最優秀が出るとは思っていなかっただろう。別に自分は何もしていないが、かましてやったなと喜んだ。
そして、次々と7選に残っていったらしい親しい人たち。(途中までしかみれなかった。)
最高に熱かった。
こんな優秀な人たちが周りにいるなんて誇らしい。
すばらしすぎた。おめでとう。
これで私の学生生活が終わる。
熱中出来なかった建築設計だけど、もうみんなと切磋琢磨して、課題に取り組むことがなくなるのかと思うと結構寂しい。
1年半もの間、前田先生のもとで学んできた。
だいぶ考え方が手堅くなったなと思う。
最後の卒業設計の成果を見て言えることだが、先生のやり方は自分の性に合っていた。
いつかの研究室で、そんな会話を先生とした。
その時はなんだか、この一年半を認めてくれたようで嬉しかった。
私の就職先が住宅メーカーであることを踏まえた上で、実際に必要とされるのは、リアルで丁寧な提案なんだと言ってたっけ。
これからも建築に関わっていくのだが、関わる相手が変わってくる。そこにはお客さんがいて、そこに向けて建築提案をしなくちゃならない。
なんだかんだ成長できていたんだな。
終わってみたら、そう思える。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
なんだか、急に寂しくなってきちゃった。
終わります。
では、また。
模型の供養ここでしとこ。
そういえば、昔は器用だったなって思い出した模型づくりでした。
2022/2/11
こばちゃん