いつもと同じ、の安心感
お義父さんは、いつも同じものを注文する人でした。
といっても永遠に同じという訳でもなく、2年に一度くらいは「いつものアレ」がリニューアルする。
私はわずか10数年のお付き合いだったけれど、その間にも何度か定番が移り変わっていきました。
お義父さんは、お店の選び方も、頼むものも、なんならお散歩のルートも「いつもの」がお気に入り。
それは考えるのが面倒だから、とかではなく、純粋に好きだったんだと思います。
その証拠に、いつも本当に嬉しそうに「いつものアレ」を楽しんでいました。
晩年は「いつもの」がどんどん出来なくなりました。
ごはんが食べにくくなり、歩くのが少しずつ困難になり、大好きな運転も禁止され、いつもの場所でコーヒーを飲むこともできず。
いつもの場所での楽しみが少しずつ消えていく日々は、きっと心が辛かったと思います。
そんな中、ほんの味見程度でも「いつものアレ」を口にできると本当に嬉しそうで、よかったなぁ、と思いつつ、その先の日々を思って胸が詰まる思いがしたものでした。
気がつけば、義父が旅立ってから2年もの月日が経ち、私たちのなかではもはやネタと化した「いつものアレ」。
お義父さん、いつもこれ頼んでたよねぇ、と話しながらクスクス笑っていた側だったのですが、ふと、私にもなんとなく同じ傾向があることに気がつきました。
新しいお店を開拓しようとも思うんだけど、ひとりだとつい同じお店で、似たようなものを注文している。
そしていつもと同じように「やっぱいいなこれ」とホッとしている。
そうか、このゆるっとした感じ。安心感。
たしかに心地よいなぁ。
いつもと同じセットを食べながら、そんなことを感じつつ、うれしそうな義父の笑顔を思い浮かべたのでした。
何か楽しいことに使わせていただきます!