新しい生活が始まる季節。心が弾む季節がやってきた。 現在の私の状況は特にそこに関係することがないまま流れていくけれど…。 ここで、この季節に勉強の意味について考えてみた。 なぜ勉強は必要なのか。まず学生に限って言うと、学生の本文は「勉学」である。もちろん学生生活の中で勉学以外でも学ぶことはたくさんある。勉強していろんなことを知って、考えて、応用して、点と点がつながっていく。そこで未来の準備が出来上がっていく。どう活かすかは本人次第だけれど、本人次第でどうにでも活かせる
「倒れるまで働く」というのが死語になってから久しい。1990年くらいまでは、体育の時間に水を飲ませてもらえず、真冬でも制服の上に学校規定外の温かいコートを羽織ることもできず、朝礼でしんどくてもめったなことがないと木陰にも行かせてもらえなかった。 現在は会社人間を尊重したり、病気でも働いたりする企業をブラック企業と呼ぶまでになった。と同時に自己管理を求められ自分がどの地点で限界なのかを自分で管理することが求められる。倒れるまで働いたって自己管理の欠如として迷惑をかけるだけで
世界でも通じる日本語の一つに上がるであろう「改善・カイゼン・KAIZEN]。より望ましい、好ましいものへ改めることには異論はない。 今取り組んでいるリモートワーカーのみの会社で常に求められる改善の真っただ中でうなっている。感覚でものを言わず判断せず、時間やそのほかの数値で現状を証明し次の改善につなげる会社。なれ合いなどが存在しにくい部分では非常に賛同できる。 しかし、疑問がわいた。理論でものをいうために時間を計測し、集客を計測し、ミーティング時間を最小にすることで各社員
高校生のころ、ユニコーンというバンドを好きになった。その中で一番好きだったのが奥田民生さんだった。心の琴線に触れるシャープとフラットの入った楽曲、ハスキーでもなく太くもない声。彼が人の曲をカバーするときさらに魅力が増す。声に色気が漂うように感じる。 当初はとても黄色い感性に包まれていた感じがあったけど、髪の毛が短くなりキャップを被るようになってから気負わないところが彼の良さとなりさらに引きこまれた。当時、私自身も若かったこともあり音楽雑誌などももれなく読んでいた。1992
体に少し気になる症状があり、すぐにワーストシナリオまで考える私は癌かもしれないと思ったりもする。「病は気から」とは本当に本当によく言ったもので思い起こせば症状は半年ほど続いているのに急に痛いような気がしてくる。人間って弱いな。 人生に悔いなしと思って生きているのにワーストシナリオで癌と診断すると急に少しブルーになる。あれ、まだ生きたいと思っていたのか、自分。と気づかされる。 人は本当はいつ死んでもいいように、世の中回るようにできている。けど自分が死んだらこれはどうなる、
私は小学生のころ学研の図鑑の「宇宙」が好きでよく読んでいた。科学的な興味というよりは日常とかけ離れたところに膨大な空間が広がることや何億光年という想像もつかない時間が魅力的だった。 そして今、なんでも俯瞰して乗り越えよう、思い過そう、忘れようとする自分がいる。そんなときGoogle Earthを開くと美しい地球が宇宙に浮かんでいる。それを見れば自分の小さな悩みなど取るに足らないものだと客観的になれる。そうしているとほとんどのことが小さな悩みに見えてきてストレスを抱えること
私が馴染めない言葉の一つに「忙しい」がある。 忙しいからできなかった。忙しいから行けない。忙しいから疲れた。忙しくて忘れた。要は忙しいことは、言い訳になる。でも忙しいことがかっこいいという風潮もなくはない。 私は50年と少し生きてきて、あの時は忙しかったと思い出すことがない。忙しいというのはかなり個人の感覚によるものが大きいのだと思う。やることが多く、それがプレッシャーになりストレスに感じる。その状態を忙しいと言い、否定的になる。もちろん睡眠時間が6時間から3時間になっ
欲しいものは何ですか。 聞かれて、詩的な返答ではなく答えるならば、お金で買えるもので答えるならば何もない。生活必需品はいるけれど、食欲もあるけれど、服とか鞄とか靴とかアクセサリーとかガジェットとか家具とかで欲しいものはない。 時間や健康や能力や運。こちらもありがたいことに現状を受け入れることができている。 欲がないのか、はたまた夢や希望が足りないだけなのか。
私の存在感は薄い。という事実に気づいたのは40を過ぎてからだった。気づくのが遅すぎたなと反省している。 海外にいるせいもあって、同窓会というものにご縁がなくここまで来てしまった。そのため同窓会に行って「あなたは誰でしたっけ」という直接的な存在感の薄さに直面したことはないけれど、折に触れて思い出してみると本当に存在感が薄いんだなと思う。 高校の同級生に会った友達の話の中で私のことを聞いていたという話は聞いたことがないしきっと話題にも出ていないであろうと思われる。姉の職場に
日本のようにせわしくない年末を迎えるのも20回目となる。ここは常夏。それでもあの独特の「師走感」は、はっきりと脳内によみがえる。 いつからだろうか。やはり広く人に関わり始めた社会人になってから我が家の常識は世間の非常識という認識に出会った。年末年始のことで例を挙げてみる。 我が家では年越しそばは大みそかの夕食には食べるが、年を越す深夜に食べたことがない。 そして我が家で初詣に行った記憶がない。毎年正月三が日、人が多いからと外出せず、家の窓から初詣に行く車が渋滞し始める