「学び続ける意味」ってなんだろう?

こんにちは。こあらっこです。
今日は「学び続ける意味」について、最近、色々本を読んでいて自分なりに考えたことを書いていこうかと思います。

みなさん、「学び続ける意味」ってなんだと思いますか?
「偏差値の高い大学に入るため?」
「収入の高い職業に就くため?」
学生さんならそう答えるかもしれませんね。

「もっとお金を稼ぐ(収入を上げる)ため?」
「自己を高めるため?」
働き盛りの社会人ならそう答えるかもしれません。

「意味なんてない!楽しいから学ぶんだ!」
そういう人もいるでしょう。

ミクロ(個人視点)で考えると、そういう答えになる方が多いと思います。
今回、こあらっこは、そこにマクロ(国とか人類という大きな)視点でもう一つ意味を付け足せるなあと思いました。
それは、「今の生活・豊かさ(文明)・平和を維持するため」です。
ん?
文明を維持するためってどういうこと?
って思いますよね。

人はゾウのように大きくもなく、ライオンのような鋭い牙もなく、うさぎのような素早さもない、かなり非力な存在ですよね。
多分、サバンナに一人で放置されたら、生きていける人はほぼいないでしょう。
そんな人類がどうやって、この地球で他の種から圧倒的に抜きん出て発展できたのでしょうか?
それは、集団を作れたからだと言われています。

エジプトにあるピラミッド。あれを一人で作ることは天地がひっくり返っても不可能ですが、何百人、何千人、何万人という人が集団になることで可能にしたのです。
一人では生きていくのすら難しい人類が、集団を作り、ある人は狩に、ある人は家を建て、ある人は農耕をして、ある人は子育てをする。そうやって集団で助けあい、その集団を管理する(長のような)階級ができ、少しずつ大きくなって国家ができました。
その後、国と国とが領土を広げ、お互いがより豊かになるために争いを始めたというところまでは誰もが良く知る歴史でしょう。

ただ、その歴史の中で、必ずしも「文明は右肩上がりに発展していってはいない」ということを最近色んな本を読んで理解しました。

文明とは、その技術を知っている知識人やそれを記した書物などが残っており、その技術や知識が後世に引き継がれない限り衰退していくものなのです。

例えば、中世のシチリア王国。

シチリアはイタリアの西南に位置する島で、イタリアの中でも貧しい地域というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。
島田裕巳(著)「帝国と宗教」によると、中世のシチリア王国は、南国の花が咲き乱れ、珍しい果物が実る豊かな土地だったそうです。そして、当時のシチリアの豊かさはイスラム教徒がもたらした優れた灌漑施設(ペルシア起源の高度なサイフォン技術)に支えられたものでした。イスラム教徒がシチリアに移ってきた時、この優れた灌漑技術だけでなく、レモン、ダイダイ、綿、桑、ナツメヤシ、ピスタチオ、漆、パピルス、メロン、稲、サトウキビなどの作物ももたらされ、養蚕の技術も導入し、シチリアの暮らしを一変させました。
そう、当時のシチリアの豊かさは、イスラム教徒の知識人、技術者がもたらしたものだったのです。
しかし、王朝が交代すると2万人ほどいたイスラム教徒はイタリア半島のルチェーラに移住させられました。イスラム教徒がシチリアを去ったことで多様で実り豊かな作物も徐々に失われていったというのです。

要するに、「“今ある豊かさ“がどこからもたらされているのかを知り、豊かさを利用するだけではなく、技術や知識を自分たちに取り込み、使えるようにする」ということが、文明の維持には非常に大切だということです。
そして、刻々と変わる状況で、今ある技術や知識をただ維持しているだけではいずれその状況に合わせられなくなり、衰退するのではないかと思うのです。
そう、知識や技術を継承し、刻々とかわる現在の状況に適応できるように発展させていけなければ、今ある豊かさすら維持はできないのです。

そこにマクロ視点(人類視点)での「学び続ける意味」があるのだなと気づきました。

別に、自分の興味のないことや嫌なことについて学ぶ必要はないのですよ。
人それぞれ興味は違いますし、こんな高度な文明を全て一人で習得できる人なんていないですから。
最初に書いた通り、人間は仲間(集団)を作ることで進化発展してきた動物です。
なので、一人一人が自分の興味関心のあることについて「学び続ける」ことが、ひいては人類全体の発展につながるのです。
そういう意味で、「本を読む」「興味のあることについて徹底的に調べてみる」「実験してみる」などなど、自分の中での学びを深め続けることが「今の自分の豊かさや平和を維持する自分にできる唯一の手段なんだな」と学びました。

まあ、いくら興味がなくても、自分が生きている社会・世界の問題(貧困問題、自然破壊、紛争など)にまったく関心をよせないというのは、民主主義の社会では社会が維持できなくなってしまうので良くないですが、、、今日の言いたいことはそこではないので。

言い換えれば、「学び続ける」って、「誰かが何かしてくれる(現状維持)」ではなく、「自分が何かする(現状を理解し、より良く変えていく)」にちょっとずつマインドを変えていくことなんですよね。
現状維持に甘んじず、何かに興味を持って「学び続けること」。できれば「学びを発信すること」が誰かの助けになるし、自分の助けにもなるのです。
そう思うと、「学び続ける」ことがもっと楽しくなってきますよね🎵

それでは、今日はこのへんで。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
では、良い一日を〜🎵

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