コウアクション

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最近の記事

ほぼ旅行。

美容室でしょうがなく旅行雑誌を見た。 それは思ったよりも旅行旅行していた。 例えば、地元じゃ見ない佇まいのお店の、達筆で趣のある暖簾にしばらく見惚れた。 聞き慣れない料理は、地域の食材を活かした独自の方法で作られていて、その歴史まで紹介されたから、もう食べてないのに詳しくなれる。 そして街全体を写した写真と、 大迫力の自然と。 僕が旅行で見たいものが詰まっていて、30分でもう旅行をした気分。 となると、この前の旅行中、僕の足は何をしていたんだろう。 目は何を見て、耳は何を

    • 違う世界線の僕。

      違う世界線の僕を、1日だけ生きてみた。 いつもより少し早起きをして、 いつもより少し元気でいて、 いつもより少し野菜を食べて、 いつもより少し動いて、 少し違う自分を生きてみた。 いつもより少し戦って、 いつもより少し許して、 いつもより少し詫びて、 いつもより少し笑った、 1日だけの違う世界線の僕。 次の日には元に戻した。 でも起きる時間は、いつもより早かった。

      • 俺が最強のランナー。

        ランニングは酔えるからいい。 俺が最強のランナーだ!って、 酔えるからいい。 ランニング中、色んなランナーとすれ違う。 速い人、遅い人。 軽快に走る人、バテバテの人。 でもみんなコースも距離も違うから、 能力を比べようがない。 軽快な人は走りはじめかもしれない。 バテバテの人は終盤かもしれない。 比べようがない。力が明らかにならない。 いつまでも、自分が最強のランナーだと思い込める。 夢が覚めない。 だからいい。 その点、あの勝負とか、あのコンテストは.... 余計なこと

        • 外からは見えない。

          変化は内側から起こる。 今、僕の身体の中で起こった光は、 外からは見えない。 気付いているのは僕だけ。 その光がだんだん強くなって、 身体を大きく変える光になって。 みんなが気付くのは、そうして顔に姿に変化ができてきたとき。 その頃には、きっとその頃には、 もう手がつけられないほどの 大きな光になっていたいものだ... と言い続けて、もう数年?

          今どきの裏口入学。

          裏口入学は今も普通にあるらしい。 そして、入学に限らず、ほとんど全ての試験やオーディションで裏金が横行していて、ある程度の大金を積めば合格するらしい。 ただもちろん、直接お金を受け取ってもらえるわけではなく、お金を一度別のものに変換しないといけないそう。 例えば100万円なら、その100万円を一度特別な体験や学びに換える。 そして、それを他の人にはない魅力や能力として身につけていく。 そうすると合格するらしい。 裏口入学は今もある。

          今どきの裏口入学。

          自分の世界に戻りたい。

          いい映画を見たときは、 自分の世界に戻りたくなる。 早く劇場を出て、 その美しい映画の世界から自分の世界に戻って、負けないくらい美しい世界を作りたい。 そんな思いになる。 良い感じに銭湯で癒された時もそう。 湯船と水風呂で回復した身体で、早く自分の世界を感じたい。 戻ったエネルギーで、早く何かを動かしたい。 そんな思いになる。 自分の世界に戻りたいというか、 自分の世界が恋しいというか。 まあ、そんな感じで作ったものが、 てんでダメだったりするんだけどね。 これはど

          自分の世界に戻りたい。

          僕の身体の和牛ステーキ。

          この前食べた和牛ステーキが、 今、僕の何になってるかは知らない。 心臓になって生かしてくれてるのか、 皮膚になって守ってくれてるのか、 エネルギーになって僕を動かして、もうとっくに消えてしまったのかは知らない。 別に唐揚げだろうがラーメンだろうが、何になるかは知らない。 でも、食べればきっと自分の何かになると思っている。 きっと何かになる。 できるなら、そんな風に本を読みたい。 そんな風に映画を見て、時間を過ごして、人と話したい。 いつの間にか身になりそうなものを選ぶ

          僕の身体の和牛ステーキ。

          ラーメンを光に。

          『僕』を『青年』に変えて、 『深夜3時』を『夜』に変えて、 『ラーメン』を『光』に変えて、 『満腹』を『救い』と呼ぶ。 僕が深夜にラーメン屋を見つけて腹を満たした話を、 青年が夜に光を見つけて救いを得た話にするんだ! そうしてコチラで抽象化したものを そちらで具体化されて、 何かしらになって、 なんとなく深夜ラーメンが許されたら... っていう。 っていうやつ。

          ラーメンを光に。

          長い夜。

          退勤後の定食屋で、親父さんと話して。 カフェで読んだ小説で、物語が始まって。 銭湯に歩く道中で、昔を思い出して。 湯船で友達に会って、心温まって。 帰り道はビールで、体が揺れて。 ラーメン屋に寄り道して、また肉を蓄えて。 最後にこうして、文字を放って。 仕事のあと、 1日が終わると思ったところから始まった、 長い夜だった。

          足が足やる。

          ランニング中は痩せるための足だったし、 通勤中と仕事中は金のための足で、 街に行くの時は飲むための足。 そう考えると、 最近はあまり純粋な足じゃなかったというか、 足に足をやらせてなかったかもしれない。 なんて思った。 その点さっきの散歩は、 歩きながら自然と考え事が浮かんだり、 色んな景色が目に入ったり、 肌で風を感じられたり、 純粋な歩き、純粋な足をやらせられた気がする。 結構ちゃんと、足が足やってた感じがする。 だから今、寝る前に足をよーく見ると、 なんとなく足が喜

          どうせ着る長袖。

          半袖でも長袖でも良さそうな朝。 久々に長袖を着られる真新しさから、 迷わず長袖を着て家を出た。 真新しさで長袖を選ぶ。 もうすぐ着られなくなる半袖ではなく、 そのうち毎日着るようになる長袖を。 服に限らず、いつも同じことを繰り返している気がする。 そこにある今より、次に飛びつく。 物足りなさを今ではなく次で埋めようとする。 探してるものは、次にもないのに、 今のせいにして疎かにする。 そんな感じ。

          どうせ着る長袖。

          登頂。

          「登頂後に自慢したい...」 そんな浅い目的で登るには、 その山はあまりにも険しすぎる。 登るための体力も、 厳しさに耐える忍耐力も、 時には退ける判断力も、 自慢なんかのためには身につかない。 そのくらいの欲じゃ、 その壁は越えられない。 もっと全てを愛さないと。 体力作りを楽しめるとか、 崖に生える花を見て感動できるとか、 帰る場所があるとか。 ゴール後の栄光だけじゃなく、 ゴール前も苦難も楽しめるようじゃないと、 その山は登れない。 そんな簡単な山じゃない。 僕はど

          心の綺麗な人にしか見えない花火。

          人混みも移動も面倒で行かなかった花火大会が始まったらしく、遠くから花火が打ち上がる音が聞こえてきた。 近くの大通りまで出れば見えるかなと出てみたけど、ほとんど見えなかった。 もしかしたら、心の綺麗な人にしか見えない花火だったのかもしれない。 時間をかけて現場まで行くとか、 人混みを我慢するとか、 事前に穴場を探しておくとか、 見るための労力を惜しまない心の綺麗な人にだけに見える花火だったのかもしれない。

          心の綺麗な人にしか見えない花火。

          “強くなりたい”が欲しい。

          俺は弱い。 でも、欲しいのは強さではない。 “強くなりたい”が欲しい。 自分の強さに満足することなく、 いつまでも強くなろうとし続けられる、 そんな強靭な“強くなりたい”が欲しい。 今日もまた、強くなることを忘れてしまった。 強くなろうと決めた誓いを、少しの成功で忘れてしまった。 それが悔しい。 強くなりたいと思えないことは、弱いことよりも罪深い。 だから、どこまでも強さを求め続けられるような“強くなりたい”が欲しい。 “強くなりたい”が欲しい。 いつまでも強くなろうと

          “強くなりたい”が欲しい。

          夏は過ぎた。

          なんか日が暮れるのが早くなった気がする。 もう夏は終わったのかもしれない。 昼の暑さはただの名残で、知らぬ間に夏は去ってしまったのかもしれない。 知らぬ間に過ぎてしまう時間はきっとある。 いつか行こうと思っている定食屋は、まだ閉店してないだろうか。 いつか果たすと誓った約束を、彼はまだ覚えているのか。 いつかやろうと持っている花火に、火はまだ着くのか。

          定期的に殺せ。

          定期的に殺さないといけない。 そう思う。 何もしなくても生きていける時代。 だから、気を抜いたらなんとなく満足して、幸せになった気になってしまう自分を定期的に殺していかないといけないんだと思う。 そうしないと、 このままなんとなく終わってしまう。 だから自分で自分を脅かさないと。 自分で自分を叩いて、罵って、潰して。 自分を他人に晒して、世間に晒して現実を突きつけて。 そんな風に定期的に殺していかないと、本当に何でもなくなってしまう。 そんなことを書いてる僕の左手には酒

          定期的に殺せ。