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アラフォーバツイチこじらせ女が、2カ月でラブラブな彼氏をGETした話(6)

夫婦として言いたいことを飲み込んで、夫に求める代わりに仕事を頑張ることで紛らわしていた結婚生活。

1回の病気でその間違いに気づけず、2回目の“気づきのチャンス”が来たわけですが、

2回目の病気は、今思うと本当に苦しかったんだな……と思います。

“頑張り”が効かなくなったら、変わるしかない!?


恐怖で、家にひとりでいられない


2度目の子宮筋腫。

 

今度は筋腫の位置的に、そのまま手術するより、薬で小さくしてから切った方が安全ということで、半年間ホルモン療法をすることになりました。

 

薬で女性ホルモンをの分泌を抑えることで、筋腫が小さくなって、手術もしやすくなる、というのが医者の見立て。

その代わり、整理や排卵が止まり、更年期障害のような副作用が出る可能性が。


その副作用が、パニック障害でした。

 

突然、不安や緊張が襲ってきて、冷や汗が出たり、動悸が激しくなる。

ひどいと動けなくなることもあります。

 

パニック障害の人たちはよく、発作が起きると死ぬほど苦しいと言います。

私は幸いにもそこまでの発作はなかったですが、それでもあの緊張感や恐怖感は例えようもなく気分が悪いものでした。

 

ある時、アパートで一人でパソコン仕事をしていた時、発作が襲ってきました。

不安で不安で、一人でアパートにいることができず、岡崎の実家に電話をして母に来てもらいました。

その時から、元夫が仕事に行っている昼間、家に一人でいることができなくなってしまいました。

 

自分の家に一人でいられない、というのは結構なショックです。

仕方ないので、ホルモン療法中の約半年、実家にいました。

もう、ほぼ引きこもりです😰。

実家でも家で一人になってしまう時はありましたが、そんな時は犬にすがって一緒に留守番をしていました😅。

気分転換に近所を散歩に出たり、ちょっと出かけたり、妹と旅行に行ったりもしましたが、出先で発作を起こして家族に迎えにきてもらったり、旅行先でも病院に駆け込んだことも。

 

今思うとけっこう苦しかったんだよな~、と思うんですが、当時はあまり「苦しい」に意識を向けてなかったです。

向けてなかったというより、苦しいに意識を向けると自分が崩れてしまいそうで、向けられなかった、という方が正しいかもしれません。

とにかく「少しでも楽になりたい」と必死でした。

 

今回は子宮筋腫の治療のこと、パニック障害や鬱のこと、更年期障害のこと、ネットや本で調べまくり、いろんな民間療法も試しました。

漢方、温熱療法、指もみ、ヨガ、呼吸法…

それで楽になっていっているという実感は正直あまりなかったんですが、「今の状態は、何もやってないよりはマシなはず!今日より明日は楽になる!」

と日々言い聞かせていました。

 

ある意味、こんな前向きなパニ鬱患者はいないでしょうね(^-^;

 

実家の家族も協力的でしたし、元夫も頻繁に実家に来てくれて、入院中も毎日病院に顔を出してくれました。

 

彼も私のためにいろいろやってくれてたのです。

 

なのに「頼っちゃいけない」って、何だったんでしょうね💦。

 

ひとりで生きるのは嫌だ


このパニ鬱の経験から思ったのは、私はもう一人で生きるのはヤダ!ということ😅。

 

結婚前は一人暮らしを謳歌していましたが、そういう生活をあまり魅力的と思わなくなりました。

もちろん、この時は将来離婚するとは思っていませんでしたが😁

 

離婚後実家に戻り、いろんな学びやケアをして、

パニ鬱後遺症の“一人でいるのが怖い”という精神状態を完全克服してからも、「実家を出るのは誰か一緒に暮らす人ができた時」と思ってました。

 
「私は一人で生きていくのは向いていない」と、この時から薄々気づき始めたんですよね。

もちろん世の中には一生独身で、自分のやりたいことをガシガシとやっていく強い女性もいますが、私はそういうタイプじゃないな、と。

 

それを本当に腑に落とすには、さらにまた何年もかかったのですが、

とにかくこのパニ鬱の経験から、私の考え方や生き方が大きく変わっていくことになったのでした。


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