指をくわえて見ているのは嫌。だから今、瀬戸内にいる
先日、誕生日を迎えた。何か特別なことがあったわけではないが、瀬戸内海はいつものように、毎分毎秒を味わいたくなるような美しさだった。
今は心が満ちている。だからつい忘れそうになるけれど、この1年は瀬戸内海のそばで、ポジティブとはいえない感情もたくさん渦巻いていた。だから今、ここにいるのだ。自分でそう思えているのが、実は嬉しい。
たとえば1年前、歳を重ねたとき。そのときも瀬戸内海のそばにいた。自分への労いとして、ホテルステイしていたのだ。
そこで出会った人たちは、“自分”というものがしっかりあり、見ている世界がまるで違った。今思えば、自分以外の他者はみんな見ている世界が違うから、当たり前なのだけれど、1年前の私は彼らに圧倒されてしまい、勝手に比べて、勝手にへこんだ。ひとことで表すなら、自信をなくしていた。
また、昨年開催されていた瀬戸内国際芸術祭でもいろいろなことを思った。
仕事で少し携わる機会をいただき、アートが好きな私は幸せだった。けれど幸せな気持ちに比例して、怖さもどんどん大きくなった。
私のなかには、好きなものこそ向き合うのが怖くて、避けたくなってしまう自分がいること。勝手に期待値を上げて、応えようとして苦しむ自分がいること。自分との出会い直しは、しんどいときもあった。
またあるときには、瀬戸内海を眺める店で。店主とその仲間の会話が、耳に入ってきた。
ゆるやかに、おだやかに、互いを尊重しながら紡がれる言葉たち。なごやかな笑い声。何の会話かはわからないが、純粋に「いいな」と思った。「私もその会話に入りたい」とすら思った。羨ましいとか、悔しいとか、そんな感情まで抱いた自分に、私が一番驚いてしまった。
この1年、そんな心の揺れ動きを繰り返すうちに、「もう指をくわえて見ているだけなのは嫌だな」と思ったのだ。
へこんだときも、怖かったときも、羨ましかったときも、今までの自分が傍観者だったから、これらの気持ちになったわけで。もし、自分が確立していたら、好きなことと向き合えていたら、ゆったりと言葉を紡げる人が目の前にいたら……。抱かなかった感情かもしれない。
だから今、私は瀬戸内海のそばにいる。今のところ、ここで挙げてきたような心の揺れ動きはほぼない。それがこの1年を、物語っている気がする。
せっかくこの地に来たのだ。これからの1年も、その先も、いろいろな感情に出会うと思うけれど、私は私だし、それを思えるような私でいたい。広がっていく世界を、楽しんでいこうと思います。
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