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なぜか「安定」が怖い
本当に意味がわからなかった。
個人事業主になって、もうすぐ丸4年。実は初めて安定収入が見えてきた。とても嬉しいことなのに、それがわかったときの最初の感情が「怖っ…」だったのだ。
いやいや、あなたそれを目指してきたでしょう。なんでよ、とセルフツッコミを入れてみても、怖いものは怖い。
あ〜なんて自分はめんどくさいんだ……と思いながら、ノートを通して向き合ってみた。おかげで考え方が変化してきたので残しておこうと思う。いやあ、ノートはやっぱりすごいぞ……
まず出てきたのは「安定が壊れるのが怖い」だった。実はこの不安、私はよく出てくるのだけど、みんなはどうなんだろう。
この気持ちの要因はいろいろあると思うが、ひとつは子どもの頃のできごとが関係していると思う。
子どもの頃、私の言動を否定されたことや、家族との縁が切れたり、家が変わったり……ということがあり、安心がなくなる、つまり「安心=壊れる」感覚が私のなかには残っていた。
だから何も起こっていないときから、壊れるとかなくなるとかをつい想像してしまい、ふと怖くなる瞬間が今でもある。
2〜3年前までの私は、その怖さを感覚的に避けていたみたいで、壊れる前に自分から去る、みたいなことを繰り返していた(転勤する職種を選んでいたのも、仕事も住む場所も変えるぞ!と思ったのも、この怖さと関係していそう。もちろん、ポジティブな理由もあるけれど)。
ここ数年はそれをやめて、「続ける」ということをすごく考え、選ぶようにしてきた。それは、今までとは違った安心感を得るために必要な決断だったなと思う。
続けることが私に馴染んできたからこそ、安定が壊れることの怖さが顔を出したんだろうな、とノートを書いていて気がついた。
なるほどね、そりゃ怖いわ、と思ってその時のノートは終わった。
また別のときにノートに書いたのは、私に安定を与えてくれている方々について。思いを馳せてみると、出てきたのは意外にも、想像以上の感謝や信頼の言葉だった。
なんせ私は自由が好き。縛られるのが嫌。動く時間は自分で決めたい。一人作業も、みんなで作り上げていく時間も両方ほしい。そう思っている私と一緒に、仕事したいと思ってくださっていることへの感謝と信頼だった。
「想像以上」と書いたのは、感謝と信頼の感じ方が今までで一番強かったから。
仕事先との関係性が長くなってきた事実はもちろんあるけれど、同時に私が等身大で在れるようになって、今の環境のありがたさを過大も過小もせず、受け取れるようになった結果でもあると素直に思えた。
「安定が怖い」の感覚が薄れてきたのは、この自分の成長を自覚したときだったのだ。
今の環境が、私にとってはありがたいことは間違いない。であれば、この環境で存分に私らしさを出して、存分に楽しまないと、逆に失礼なのではないか。
そう思った。
そうか、あとは楽しむだけか。
目の前にある環境で、存分に踊るだけか。
そう思ったら、ふわっと心が軽くなった気がした。
いま、私はひとつの実験として、頑なに拒んでいた「ライスワーク」「ライフワーク」という考え方を取り入れて過ごしている。
「私はライスワークで稼いでいる」という安心感のなかで、もっと自由に、好きなことを存分に仕事にして楽しもう!と捉え方を変えてみた。
それは仕事だけではなく、プライベートを存分に楽しむためでもある。
なぜ頑なに拒んでいたのか?は、また次回ということで。
転勤とか独立とか移住とか、何度か大きな怖さを超えてはいたけれど、まさか安定が怖いと思うときが来るなんて。
でもそれを無視しないで「こういう私で在りたい」にコツコツと向き合っていくことは、理想までの時間がかかるように見えて、実は最短なのだと思う。
今回の怖さは、結構いい転機になったんじゃないかと、そう思ったのでした。