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ZARD永遠です。

こんにちは。

5.27といえば、、、命日ですね。

毎年、この少々暑くなりだしたころに、あの急坂を登って麻布に献花に行っていました。

今年はコロナ渦のため、こちらもFHで、WEBに献花をさせていただきました。

逝く前も、逝ってからも、ほとんど僕の中でのランクは変わっていませんし、聞くレートも変わっていません。おそらく、これからも変わらないんだろうなぁと思います。

そういう意味では、ZARD 坂井泉水さんは永遠であって、別に生きてようが亡くなろうが変わらなかったのかもしれません。

しかしながら、やはりその才能は生きている限り発揮されるとすると、この13年間の機会損失は大きいのかもしれません。(そうは思いませんけど…)

最近、夭逝について考えることがありました。40歳が夭逝かどうかはありますね。(笑)

尾崎や山田かまちもそうですが、夭逝というその現象だけ捉えると、我慢ならないほどの悔しさと、亡失感に囚われます。もちろん坂井泉水も。

その一方、僕の中には「良かったね」という思いも同時に湧いてきます。

彼らはおそらく長生きする過程で、その才能の浮き沈み、プライベートとの棲み分け、予期もしない不幸、などなど経験していたはずです。また、望む望まないに関わらず注目され愛される立場でもあり、その中でのトラブルや幻想などマイナスに働く、感じることも多いのだろうと思います。

きれいな思い出だけを残す。

まるで写真の様ですが、人間の存在もよく似たもので、人間なんて不完全な存在は年を経れば俗人化するもので、特に昨今の情報社会では極めてその傾向が強くなっていると思います。

あのときの、きれいな、インパクトの強い、偉人。

それは夭逝も大きなファクターなんだろうなぁと、複雑な心境ながら思っていた次第でした。

ZARD 坂井泉水さんは永遠です。

昔も今もこれからも、ずっと近くで励ましてくれる。そんな存在なのです。




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