「タイパ」とは
「タイパ」という言葉が嫌い。
結構SNS界隈でも目にする意見だ。私も嫌いだ。
Z世代と呼ばれる若者はよくこの言葉を多用するらしい。
要は「効率の悪いこと」や「やっても無駄(と思われる)ことはやりたくない」ということらしい。
このタイパを重視する若者が増えている、多いことの結果として、YouTubeでも今やショート動画のほうがずっと閲覧数が多いそうだ。タイパを気にする人々はタイパを気にして、なるべく短い時間で情報収集したいということらしい。所謂「切り抜き動画」も同じことだろう。
さて、そもそもタイパが良い、つまり短時間で事を成すことに注力することにはどうも賛成しにくい。
よくよく考えてみると、「無駄」が後に必要なことも結構ある。「無駄」なことをするうちに気づくことや、効率化に向けた取り組みが始まることもあるので、ある意味必要なことなのではと私は考える。
また、これは化学を学ぶと出てくるのだが(高校の化学の領域)、律速段階というのがある。これはいわゆるボトルネックのようなものだが、化学反応の各段階において、一番遅い化学反応の部分が全体の反応速度を支配する、つまりいくら他のプロセスが早くとも、この律速段階部分のせいで全体の反応速度が遅くなってしまうということだ。
つまり律速段階があるために、全体の時間が長くなってしまうということはよくあることで、単純に「タイパ」というふうに単位時間あたりで測ってしまうと正確性を欠くように思う。
少し横道にそれた。
「無駄を省きたい」と思うことは効率化を求めるという点では似ているように思うが、特に若いうちは無駄かどうかを判断することが難しいように思う。必要な無駄も確実に存在していて、だからこそタイパ、タイパと叫ぶ前に我々シニアがうまくコーチング、リードしていく必要があるだろう。
100のことを成すために、1×100の人と10×10の人、100×1の人がいる。一部の天才は除き、凡人はまずは1×100からトライすべきだ。そこから気づくことに注力して自身の成長に繋げるべきだと私は思う。
古い考えなんでしょうね。でも泥臭い作業を経験していないと気づけないことは結構多い。