これまでは、何でも多い方がいいという人生だった。 少なくとも、ないよりはあった方がいい。 モノ、スキル、知識、興味、友人、習得した言語の数などなど、 しかしながら、多いことによって、そこまで興味がなく、義務的になってしまうものがほとんどになり、そういうものに「時間」が奪われる。 これからは、 モノを減らす。 スキルを減らす。 知識を減らす。 興味を減らす。 友人を減らす。 話せる言語の数を減らす (ただ、これには抵抗があるから、これ以上増やさない。にしようかな。ただ、学ぶ単
ロンドンにいた時の話。 同じ学生寮の友人達と、何回か、深夜の街歩きをした。 学生寮から老舗ベーグル屋を目指し、数時間ダラダラ歩く。 夜の街はほとんど人がいなくて、気持ちよかった。 (不思議とあまり怖さは感じなかった…) ちょうど眠さと疲れがピークに達したころに、 大衆的な場所にある24時間営業のベーグル屋の灯りが見えてくる。 そこだけ人がたくさんいて、温かい気持ちになる。 帰りの道に食べる肉とピクルス入りのベーグルが、疲労感を癒してくれた。 この深夜の街歩き、ロンドン
単語に格変化があるロシア語は、格変化まで記憶していないと、単語そのものを口にすることすらできず、めんどくさい言語だ。 でも実は、格変化の「格」とは、「動作の対象」「行き先」「手段」とか、名詞にいろんな役割を与えるもので、どんな言語にも必要なものである。 格の表現の仕方は、ロシア語のように単語の語尾変化で表現するものもあれば、言語によって様々だ。 ドイツ語のように冠詞変化で表現 日本語のように格助詞で表現 英語、フランス語のように、前置詞や語順(動詞の後だったら目的語みたい
外国語を学ぶ際に、教材を不必要にたくさん集めてしまう。 ただ、どの教材を使うか迷う結果、一冊一冊をしっかり使い倒すことができていない。 よし!この際、教材を思いっきり捨てていこう! ということで・・・ いつか勉強しようと思っていた言語の教材は、勉強するときにまた買えばいいから捨てた。 英語で書かれた教材は、読むのに疲れるし、日本語に比べて学習効率が悪いから捨てた。 同じ言語でも、二冊以上ある文法書など同目的の本は、一冊だけ残して捨てた。 簡単な日常会話くらいしか目
言語って、客観的な情報伝達と主観的な感情伝達の二つの役割があり、情報は標準語、感情は方言などの話し言葉が向いていると思う。 外国語学習の教材で扱うのは、ほぼ標準語であり、話し言葉を学ぶのは難しい。 話し言葉は、人によって話し方や発音にクセがあったりして、ルールが定めにくいからか、教えづらく、勉強しづらい。 台湾現地語の一つである台湾語(閩南語)、 まさにこれは話し言葉だ。 台湾旅行で使えたら楽しいだろうなと思い、勉強しだしたが、 教材が少なく、やっと見つけた教材も、文字の表
先日、学生時代から社会人なりたてのころまで、海外を疑似体験して楽しんでいた恵比寿のビールバー「What's the dickens」に旧友と行ってきた。 外国人比率が多く、 バンドの生演奏があり、 樽から出すクリーミーで本格的ギネスビールもあり、 久しぶりにあの感覚に出会って、楽しかった。 中でも、一番楽しさを感じさせるのは、 イギリス人(アイルランド人、オーストラリア人)か分からないけど、 陽気な外国人が、アメリカとは違うアクセントで喋る英語があちこちから聞こえるというこ
Youtubeで”都市名+street walk”と検索すると、 結構な高画質で、30分くらいただひたすら街歩きをしている動画が出てくる。 今これにハマっている。 何がいいかというと、 説明とかしゃべりとか言った文字情報が一切ないこと。 何の加工もされていない純なコンテンツなところがいい。 視覚、聴覚だけを頼りに、自由に想像できる。 (自分は、ガイドブックとかの文字情報に触れてしまうと、頭で理解しようとしすぎるあまり、ビジュアルなど心で感じることができなくなる傾向がある)
言語交換のとき、やることを決めておく方がいい。 決めておかないと、次何話そうかと常に考えることになり、内向的な自分は疲れてしまうし、ダラダラ時間を使ってしまうことになり、結果として充実感が低く、マンネリ化してしまう。 最近、言語交換で、これはよかったなと思うことを、忘れないようにちょっとメモ。 ・Google Mapのストリートビューを共有しながら、相手とバーチャル旅行をする。看板を読んだり、気になる場所や売っているものの説明をしながら、言葉の勉強に加えて、それが話され
外国語学習は、趣味だと思っている。 でも、単なる学問のように義務感を覚え、すぐに結果を出そうと焦り、教科書だけ見て一生懸命文法を学び、いつの間にか負担に感じ、疲れてしまっている自分がいる。 趣味ってなんだっけ、少し考えてみた。 ・自分の意思でやるもの ・自分が楽しむためのもの ・そして、成長が感じられたり、気分転換やリラックスができて、生活が豊かになったと感じられるもの 最近、無理に続けるとストレスがたまるから、 少しの間学習から離れ、気分をリフレッシュして、 今まで
最近、自由な時間が、あまり上手に使えていないと思う。 心を自由にする前に、「大丈夫、やることやった?」 って何度も心の声が聞いてくる。 「大丈夫だよ」って言い返しても、 「本当?もう一回、確認してごらん」としつこい。 これから自由な時間を過ごすはずなのに、 起こる可能性が低いことに不安を感じ続け、 心が疲れる。 些細なことが気になるのは、 長所にもなるから大事にしたいけど、 心労をため込んでは意味がない。 大切なのは、「やるべきこと」ではなく、 自分が納得して満足してい
仕事で知り合った台湾の会社の偉い人の話。 その方は、中国語しかできないので、 会食の時に、日本人とは通訳なしに話ができず、 楽しくコミュニケーションをするのは難しい。 はずだ。でも、 同時に、その方は、プロ並みのマジシャンでもあり、 マジックを始めると、そのパフォーマンスに皆が注目する。 驚き、好奇心、興奮、疑問、感激、 様々な感情が入り交じり、記憶に残る豊かな空間になる。 マジックは、国や言語を超えて人をつなぐ、 超強力なコミュニケーションツールとなっている。
(以下、イスラエルの友人談) 12歳の時、 住んでいた街の博物館で見た着物と根付の展覧会。 その、形、デザインに衝撃を受けた。 こんな美しいものが日本にあるのかと。 その夏、日本のサマーキャンプに参加し、 凧揚げ、蕎麦打ち、囲碁、日本語など、いろいろ体験した。 難しさ、深さを感じつつも、すごく楽しかった。 それから、日本はどんな国なんだろうと想像が広がっていった。 二十歳になり、遂に日本を旅行した。 東京に来ると、想像もしていないほどの大都市だった。 アメリカやヨーロッパ
ネイティブのように話したい。 外国に溶け込むことができて、世界・価値観が広がり、 留学や仕事で使え、 なによりも、かっこいい。下手だと恥ずかしい。 今まではそう思っていた。 でも、最近思うこと。 ジャパニーズアクセント、 「~と思う」とか断定しない曖昧な表現 などの日本っぽさは、 日本人としての自分の個性なのではと。 ネイティブのように話すほど、日本人としての味が失われ、向こうの社会では、普通の一個人、 没個性的になってしまうのではないか。 であれば、ネイティブじゃな
自分は、人間関係で疲れやすい内向型だ。 ・その場の雰囲気に合わせたり、盛り上げたりが苦手 ・社交の場、大勢の場が苦手 ・パーティ―など、賑やかな場所が苦手 外国語を勉強しても、あまり使うわないんじゃ意味がない、 と思うことがある。 でも、 ・その場の雰囲気に合わせたり、盛り上げたりが苦手 ⇒興味がある話題での深い話は得意。 ・社交な場、大勢で賑やかな場が苦手 ⇒落ち着いた環境での1対1の会話は得意 ⇒丁寧に相手を思いやるのは得意 なのだ。 興味がある話題で、 落ち着
外国語の学習で達成したいこと。 「自分味が出るコミュニケーションをして、自分も含めそこにいる人が気持ちいい空間を創る」こと。 ふと、MUJIが、外国語学校を始めたら、どんな感じだろう?と考えてみる。 きっと、シンプルで、素材の良さを引き出すやり方をする。 味や色や素材を混ぜ合わせて、人工的な良さを求めたりしないと思う。 名詞には、名詞のよさを感じてもらうため、あえて形容詞や関係代名詞などで飾らず、 動詞も、使い勝手の良くない難しいものは使わず、中学校レベルのベーシックな単語に
文字のフォントが好きで、 海外に行くと、看板サイン、ロゴ、商品パッケージの文字に目がいく。 ストックホルムに行ったとき、看板サイン、商品のパッケージなどに装飾性のないシンプルなフォントが多かった。 「目立たせて、売りたい!」的なものがなく、平然とありのままを受け入れている度量というか。。。 大人っぽく、かっこよく、清潔感があり、気持ちいいと思った。 でも、このフォントの感じ、陽気なラテン諸国、喧騒のアジア諸国だったら、なんか地味に見えるだけかもしれない。 スウェーデンの街の雰