夢を叶える方法
こんにちは!独立から約2週間が経ちました。初回のnoteの反響がすごくて、様々な人からメッセージをいただきました。特に嬉しかったのは、大学の友人たちや恩師からの連絡です。
「note見たよ!大島らしいな、応援してるー!!」
「すごい!起業!自分も何かやらなきゃって思った!」
「久しぶり!note読んで色々話聞きたくなった!話聞かせて欲しい!」
こんな風にメッセージをもらえて、素直に嬉しかったです。でも、実は僕の方こそ、彼らから刺激をもらっているんです。(新潟市役所の方がnoteきっかけでご飯に誘っていただき、先日ランチへ行きました!こんな出会いも嬉しいです✍️)
ただ、まだ何をしたわけでもない。まずは目の前のお仕事を楽しみながら、学びながら、時には歯を食いしばって向き合い続ける。目標に向けてトライの繰り返しです。今日も変わらず、頑張っていきます💪💪
さて、
今回のテーマは「夢を叶える方法」
僕は小学生からの夢だったアナウンサーになるという夢を叶えました。
結論から言うと、その方法は至ってシンプルです。
『叶うまで、やり続ける』
これに尽きます。(笑)
終
制作・著作
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ⓃⒽⓀ
ってここで終わるわけにもいきませんので、もうしばらくお付き合いください🙏笑
そうなんです、僕は小学生の頃から音楽番組にプロ野球中継、バラエティ番組などに夢中な生まれながらのテレビっ子でありました。
卒業文集に堂々と宣言していました。「将来の夢:アナウンサー」と。カッコよく言えば有言実行。ここに至るまで数々苦難もありました。
大学時代、夢が再燃
学生時代は体育会ゴルフ部に所属。先輩の紹介もありテレビ朝日でゴルフ中継のアルバイトをしていました。深夜12時から明け方5時まで、海外のゴルフ中継のアシスタントとして勤務。いわゆる”オフチューブ”と呼ばれるスタイルで海外の映像を生で日本で受けて、その映像に実況・解説を付け、国内の電波に乗せる格好でした。
大島少年はというと、放送席に入りリアルタイムで流れてくる選手のスコア速報をまとめる係。スピード感と正確性が求められます。
その現場で実況アナウンサーの資料を見たり、解説者とのやりとりを聞けたこと。スタッフの動きやロケ弁の美味しかったこと、全て新鮮かつ刺激的に目に映ったことを覚えています。自分の好きな”テレビ”を通して×”ゴルフ”(スポーツ)の魅力を言葉で紡ぐ姿を見て、目指す場所はここだ、と思わせてくれました。(アルバイトをしていた当時、2019年全英女子オープンで同い年の渋野日向子選手が優勝。あの瞬間に立ち会えたことも良い記憶に残っています)
アナウンススクールでの衝撃
夢が固まり、あとはやるだけ。大学3年生の5月、キー局運営のアナウンススクールに参加しました。そこで目の当たりにしたのは...
「アエイウエオアオ」「拙者親方と申すは」「環太平洋造山帯では...」
透き通った美声、流暢なフリートーク、プロ級のニュース読み。
"皆さんすでにアナウンサーさんですか?"
目と耳を疑うほどの空間に足を踏み入れていました。
一般的にアナウンサー就活はエントリーが早く、私の代では3年生の5月からインターンの募集(実質の選考)が始まっていました。そのため、アナウンサー志望者は大学2年生から、早い人は大学1年生からスクールに通い、専門職への土台を着々と築くのがセオリーでした。しかし、私はスクールの門を叩いたのは3年生になってから。なぜなら、
・3年生の春からインターンが始まることを知らなかった
・スクールに通わなくてもある程度人前で話せると思っていた(慢心ですw笑)
当時は完全に情報戦にも挑まず、謎の自信があったんでしょう。(林修先生曰く、負ける人の共通点は、「情報不足」「慢心」「思い込み」の3つとのこと。)
アナウンススクールでは見た目はもちろん、話し方や身なりまでまさにアナウンサーの”卵”という表現がピッタリな同世代に囲まれ、少し肩身の狭い思いをしながらスクールに通い始めたのを覚えています。
ゴールを見失わない
そこから「アナウンサーになる」という目標へのアプローチの方法がより具体化され、一心不乱に努力をする日々が始まりました。
・移動中の電車や車の中では目に見えた景色を一人で描写・実況をする
・深夜、自宅の車の中で発声練習
・語彙リストを作成
・自己分析+面接対策の本を3冊作る
・エントリーシートを手書きで20社以上書き上げる
などなど、部活動の合間を縫って、まさに血の滲むような努力。声を出す訓練だけでなく、動画審査に対しての研究や面接の対策も行いました。
20局以上受験しましたが、それでも内定がもらえず...。3次、4次面接まで進むも、あと一歩が遠い日々。米俵から1粒を拾い当てるほどの確率。頭では分かっていても受け入れられない日々を過ごします。
悔しくて、あんなに好きだったテレビを付けない日もありました。
そんな中、就活浪人も視野に入っていた頃同時並行で受けていた一般企業から内定をいただくことができました。(大学3年生の2月)
その時の瞬間は喜びよりも安堵。この会社で頑張ろう、夢はまた次の人生に持ち越しだ。そう思って就活資料一式を畳んだのを覚えています。
でも、どこか納得できない。
同年の3月、共にアナウンス試験を戦った戦友たちの中で見事内定を勝ち取った仲間を祝う食事会に参加しました。
「おめでと〜う!」
(おめでとう…!)
(おめでとう…?)
(自分は祝福する側なのか…)
心から仲間を祝えない自分の耳元でもう一人の自分が「俺はアナウンサーになるまで、この人生終われない」と囁いてきました。
そう思い、目の色を変え、もう一度夢に向かって走り出すことを決意しました。
夢への執念
友人の内定祝いから家に帰ると、そこからの日々はアナウンサーになった後の自分だけを想像。
・面接での質問と答えを全て書き起こし、回答集を作成+アップデート
・自分の強みとやりたい業務の一貫性を再確認
・受験する局や所属アナウンサーを徹底研究
まだ受験可能なテレビ局を調べ、エントリー。まさに執念でした。
そして、縁あって、念願だったテレビ局「TeNYテレビ新潟」(日本テレビ系列)への入社が決まりました。
諦めずにやること。半分自分との勝負だった気がします(笑)。それでも仲間たちは、部活動で一緒にトレーニングをしながら進捗を気にかけてくれる、学問では勉強やゼミで共に学びながら、「お前はアナウンサーになれる」そう声をかけ続けてくれました。
新たな夢に向かって
今月から、僕は起業という新たな道にチャレンジしています。就職がきっかけでIターン。ご縁のあった新潟という土地で会社を興し、ビジネスをする日が来るとは。
今まで学んできたもの、得たもの、見えた景色を、ビジネスの世界で還元します。
最後に
もし、皆さんに叶えたい夢があるなら、声高らかに周りに伝えましょう。そして、周りに夢に向かって突き進む仲間がいれば、全力でサポートしましょう。きっと、あなたと、その周りは幸せになるはずです。
叶うまで、やり続ける。これが夢を実現する唯一の方法だと信じています。夢を持つ皆さん、一緒に頑張りましょう。