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男二匹原付旅

こんにちは、虚空亡です!

今回は久しぶりにお題企画の記事を書いてみました。

お題は#忘れられない旅です!

忘れられない旅といっても、お題の画像↑にあるような素晴らしい思い出って感じの旅ではないですが(笑

それでは早速書いていきましょう!


あれは僕がまだ20代前半、新卒で入った会社を辞めてぷらぷらしていた頃の話です。

ゴールデンウィークの直前、友人から急に「ツーリングに行こうぜ!」と誘われ、断る理由もないので行くことにしました。

旅の途中、このときの選択を何度悔いたことか……。

当時、僕が持っていた移動手段は原付バイクのみ。
僕を誘ったK氏の移動手段も原付バイクのみ。

ツーリングといっても、ちょっと離れた道の駅に行くぐらいだと思っていました。

そして目的地も決めずに訪れたツーリングの初日。
K氏と合流し、二三言葉を交わした後に決まった目的地は、「とりあえず山の方に行ってみるかぁ」でした。

虚空亡は愛知県の海側に住んでいたので、ツーリングで山の方に行きたくなる気持ちはまぁ理解できます。

ただ、具体的な目的地も決めずにとりあえずで走り出すのは止めとけ!と当時の僕に言ってやりたいですね(笑

まぁそんなこんなで、僕たちはとりあえず山の方に向かって走り出したのでした。

原付なので当然下道です。

スピードは出せませんし、高速道路はもちろんバイパス的な自動車専用道路も通れません。

下道の隅っこをノロノロと走り続けるツーリングです。

ただ当時の僕たちにとって原付は唯一の移動手段ですし、きっと原付で走ること自体が好きだったんでしょうね。

走っても走っても全然進みませんでしたが、それすらも楽しみながらツーリングを続けていました。

確か、初日の昼ごはんは愛知県と長野県の県境あたりで食べたと思います。
(10年以上前のことなので、記憶が曖昧ですが💧)

グーグルマップで距離を調べてみると、出発地点から100kmほど走っていました(笑
我ながら原付でよくここまで走ったなぁと思います。

そして、いま思えばこの昼ごはんの際の会話がすべての元凶でした。

K氏「疲れた……」
虚空亡「疲れたな……」
K「これからどうする?」
虚「どうしような……」
K「もうちょい進む?」
虚「……進む?」
K「そう、進む」
虚「あ~………………進むかぁ」

もちろんこの通りではないと思いますが、だいたいこんな感じの会話の末、今日はもう行けるところまで行っちゃおうということになったのです。

K氏は昔からバイタリティの塊のようなやつで、とにかく前進あるのみ!という性格をしています。

一方で僕はよく考えずに物事を決めるきらいがありまして、、、、このときもどこまで進むのか、進んだ先で何をするのかを考えずに、とりあえず進むことだけを決めていました😅

K氏と僕の性格が妙なマッチをした結果、目的地なしのツーリングは続くことになったのです。

いま思い返すと、このときツーリングが旅に変わったのかもしれませんね(笑


そんなこんなで男二匹原付旅がはじまったワケですが、どちらに進むのかは意外とすんなり決まりました。

K・虚「「とりあえず北だな!」」

何故このとき北に行きたかったのかは分かりませんが、もし今この旅をするとしても北に進むと思います。
なんででしょうね?

まぁそれは置いておいて、我々は北に進むことにしました。

どこに寄ったかはもう覚えていませんが、その後は気になるところがあったら寄り、きれいな景色を見つけたら原付を路肩に停めしばらく眺める、みたいな気ままな旅が続きました。

そして初日の夕方にたどり着いたのは長野県の諏訪湖でした。

諏訪湖に来たからには……!とゆーワケで諏訪大社的なところに行きましたが、おみくじとかを買うところが閉まっていてがっかりした記憶があります(笑

「諏訪大社的な」というのには訳がありまして、この旅の数年後にちゃんとした旅行で諏訪大社に訪れたのですが、どう見てもこの旅で見た諏訪大社ではなかったんですよね🤔

あれはどこだったんだろう。。
まぁ人の記憶なんてそんなものでしょうか😅


話が横にそれましたが、諏訪大社的な神社を後にした我々に衝撃的な事実が突き付けられます。

「そういや今日ってどこで寝るの?」

そう、考えなしの成り行き旅をしていた我々の頭からは、宿を探すという当たり前のことが抜け落ちていたのです。

朝からほぼずっと原付に乗っていたため身体はボロボロです。
流石に野宿はキツい……!

ただこのときは幸運にも、いくつかのビジネスホテルや民宿に電話をかけたら空き部屋が見つかりました。
ラッキー!

そんなわけで旅の初日は無事終わったのでありました。



そして、ここまで書いてからあることに気が付きました。

旅のことかなり忘れてるなと……。

頑張って思い出しながら書いているので、この記事を書き始めてから今ここまでに、既に2週間ぐらい経っています💧

お題は「忘れられない旅」なのに!(笑

このままのペースで書いていくとお題の投稿期限までに書き終わらない気がするので、ここからは比較的覚えている要所(?)的な部分だけ書いていきます!🤣



そしてはじまった旅の二日目、朝食を食べながら決めた目的地は黒部ダムでした。

どんな話をした結果なのかは覚えていませんが、多分「ダムってかっけえよな」みたいな話の流れだと思います😅

昼前には黒部ダムに到着し、昼食でダムカレーを食べた我々は作戦会議に移ります。

このとき、黒部ダムの素晴らしい景色を見て我々のテンションはかなり上がっていました。

そしてそんなテンションで作戦会議をして、まともな結果になるはずがありません。

どちらが言い出したのかは分かりませんが、ここまで来たら日本海見たいよねみたいな流れで、我々は日本海を見に行くことになったのです。

もうちょっと具体的に言うと、黒部ダムから白馬村方面に下りて糸魚川市まで行く、ということになりました。

ただ、この白馬村~糸魚川市の道のりが控えめに言って地獄でした(笑

黒部ダムを出発したときには太陽が見えていたのですが、白馬村以降は山のせいでずっと日陰を走ることになります。

4月末とはいえ、標高ですとか、日陰ですとか、身体で風を受ける関係もあるのかめちゃくちゃ寒い!!

上着は一応バイクに乗る用の革のジャンパーでしたが、下はジーパン、手はアピタの紳士服売り場で買った合皮の手袋!

とにかく手が死ぬほど寒かった記憶があります。(バイク用じゃないので当然ですが)

途中立ち寄ったコンビニでホッカイロを買い、原付のハンドルに貼り付けて「グリップヒーターや!」なんてやってましたが焼け石に水。
手にビニール袋を被せて防御力を高めながら旅を続けました。

ちなみに手に被せたビニール袋は風を受けて、ガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサと無限にガサガサ音をたてておりました(笑
うるせえぇぇ!

そんなこんなで極寒の下道を原付で延々と走り続け、糸魚川市に着く頃には身体が半分ぐらい凍っていました❄️

確か糸魚川に着いたときは、ギリギリ沈みかけの夕日が見えていたと思います。
あの夕日を見たときの「死ななかったぞ……!」という達成感と安堵感は格別でした😆

そして、生きて糸魚川にたどり着く確証のなかった我々は毎度のことながら宿を取っていませんでした。

急いで糸魚川全域のホテル、旅館、民宿を調べて電話をしましたが、結果はすべて満室。

我々は港で途方に暮れていました。

隣のK氏は港で一晩中ホタルイカを眺めて過ごす覚悟が既にキマっているようですが、シティボーイたる虚空亡にはそんなことは出来ません。

僕は運良く漁の道具がしまってある小屋を発見したので、そのなかでゴザに巻かれて寝ようかと考えていました。

そして日も落ち、各自の港での野宿スタイルが決まった頃、K氏の携帯に奇跡の着信が入ります。

なんと満室で断られたホテルにキャンセルが入ったとのこと!
ラッキー!

我々はギリギリのところで野宿を免れたのです。

その後チェックインを済ました我々は、「せっかく日本海側に来たんだからうまいもん喰おうぜ!」ということで、美味しい海鮮が食べられるお店を探しました。
ただその時点でけっこう遅い時間だったので、ホテルから20kmぐらい離れたお店しかありません。
我々は迷わず行くことにしましたが、その道のりがまた過酷でした。

あのときの我々は、日中あれだけ寒かった地域が夜になったらどうなるか考えもしなかったのです。

白馬村~糸魚川とは比べものにならないぐらいの寒さのなか、我々は原付で片道40~50分ぐらいをかけて海鮮丼を食べに行きました。

ただ、あまりの寒さに僕は途中で諦め「次に見つかった飯屋で飯を食って帰ろうぜ」とK氏に提案。
流石のK氏もこの寒さには堪えたのかそれを了承しました。

しかし、その後どれだけ走っても飯屋は見つからず、結局は調べたお店で海鮮丼をいただくことになりました。

寒さで手も唇も凍っていた我々には、海鮮丼よりも味噌汁の方が100万倍美味しく感じられましたが(笑

そんな感じで旅の二日目は無事(?)終了したのでした。。



さて、ここから旅の三日目が始まるのですが、特に面白いことはありませんでした!

この無計画な二日間で、我々の体力は限界に達していたのです。
もうおうちかえゆ!
とゆーことで、三日目はとにかく帰れるところまで帰るのが目標となりました。

朝ごはんを食べ、準備を整え出発!

その後はひたすら走りまくりました🛵💨

ちなみに三日目は日中ほぼ雨😱
いやぁ普段の行いってこういうところに出るんですね。

雨ってカッパを着てても服の中に入ってくるんですよ。
ほぼ半日、全身ずぶ濡れになりながら走っていました(笑

そして朝から夕方まで脇目も振らずに走り続け、たどり着いたのは長野県飯田市!

我々は10時間ぐらいかけて200kmの道のりを走破したのです😤
時間と距離だけ見ると大したことないのですが、、原付で勾配のキツい山道を走ると、フルスロットルでも時速30kmすら出ないんですよ。
しかも雨で視界が悪い、道路のコンディションも悪い、全身ずぶ濡れで体力が奪われるという三重苦。
そんななか、山の中でガソリンが切れかけたときはホントに死ぬかと思いました(笑


出発から8時間を過ぎたあたりからお互いにテンションがおかしくなっていましたが、逆におかしくなっていたからこそ、この時間と距離を走れたのだと思います。

また、極限状態に達した人間の口からは普段とは比べものにならないぐらいパワーのある言葉が出てくるもので、この三日目の走行中に話した「桂正和が描く臀部はお尻だけど、寺沢武一が描く臀部はケツだよね」という会話は未だに夢に出てくるぐらいのパワーがありました(笑
たぶん「走りすぎてケツが二つに割れちまった!」みたいな話の流れから出てきた言葉だと思います🤣

ちなみに毎度のことながら宿は取っていませんでしたが、この日はすんなりとビジネスホテルが取れました。
意外となんとかなるものですね。

この三日目の夜、宿が取れたことと、四日目に家に帰れる目処が立って安心した我々は、この旅ではじめて飲みに出掛けました。
(初日と二日目は、宿から歩いて出掛けられる距離に飲み屋がなかったというのもありますが)

この夜に入ったバーでいただいた「バンシー」というカクテルの味は未だに覚えています。
そのチョコバナナのような甘いカクテルは、一日中原付で走ってヘトヘトになった身体に優しく効いてきまして、五臓六腑に染み渡るってのはこのことだなぁとしみじみ感じた記憶があります。

ちなみにこのバンシーというカクテル、その後色んなバーで注文していますが、「バナナリキュールがない」という理由でよく断られます(笑


さてそんな感じで旅の三日目が終わり、残すは最終日のみです。

が、最終日はさらにトピックスのない日となりました😓

最終日の朝は、焦る必要もないのでチェックアウト時間ギリギリまでホテルに滞在し、飯田を出発してからもゆっくり走っていました。

初日に走った道を戻っていただけなのですが、漫然と走っていた初日と比べて何だか景色が違って見えていたような気がします。

二日目の極寒と三日目の大雨を経験し、「普通に走れる」ことへのありがたさを感じていたせいかもしれませんが(笑


特に急いだわけでもありませんが、最終日は昼過ぎぐらいに地元に到着。

K氏の家の前で原付に乗ったまま二三言葉を交わして別れた後は、自宅に直行して速攻で寝ました💤
喫茶店とかで反省会でもしてから帰れば良かったのにと思いますが、そのときの我々には体力的にそんな余裕はなかったのだと思います(笑

そんな感じで、我々の男二匹原付旅は特にドラマもなく幕を下ろしたのでありました。


K氏とは今でも交流があり、つい先日も飲みに行ってきました。

お互いに中年ともなると飲みの話題は近況報告がメインになりますが、途中で昔の思い出話もちょいちょい入ってきます。
で、思い出話になるとやはりこの旅の話になるんですよね。

K氏とは、この旅の後も色んなところに旅行に行きました。
お互いに中型免許を取り、サイズアップしたバイクでツーリングにも行きました。

ただ、予定通りに進んだツーリングやお金をかけた旅行よりも、一番キツかったこの旅が一番楽しかったんですよね。

所帯持ちになった今ではもうこんな旅は出来ませんが😅

飲んでる途中で「またあんな馬鹿みてーな旅してえなぁ」と話していましたが、子どもが大きくなった頃にお互いが元気なら、ホントにまた原付で旅に出たいと思っています。

そのときは流石に服装や装備は万全で行きますが!(笑

皆さんも無計画な旅に出る際はくれぐれもご注意くださいね!🤣

それでは!ノシ

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虚空亡
サポートいただいたお金が貯まったらジャイアントロボのフィギュアを買います!(笑