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【1981失恋海峡①】

母が家を出て行ったのが、18歳。
それからすぐに恋愛して、はたちの時に大失恋しました。
まあ誰にでもあることですが、失恋ってどうしてあんなに辛いんでしょうね。
私も今だからこうしてネタにもできるけど、あれは自分の全人格全人生を否定された体験で、もしかして親の介護よりしんどかったぐらいで、もう生きるか死ぬかの深刻な状況でした。

その頃は赤坂の欧米人専用の小さなバーでバイトしていました。
外国人向け観光ガイドに載ってるわりに、チャイニーズのコールガールも働いてるような、ちょっと変わった店で、そこに勤めていた年上のケイコちゃんがよく言っていた。
「忘れたいことがあったら、何もかも忘れるほど忙しくすることよ」
って。

ケイコちゃんは婚約者を事故で亡くしたばかりで、毎日酔いつぶれながら、今月はデイヴィッド、来月はビリー、っていう具合で、お客の来日スケジュールに合わせて休みなく期間限定の愛人をやっていました。
でも私にはそのケイコちゃんの生き方が、すごくひた向きでカッコよく見えたんです。
何もかも忘れるほど忙しくすることで本当に忘れられるなら、そうしてみようと思いました。
それで美大を中退して、ちゃんと就職できるように、日本一忙しいと噂の服飾専門学校に行ったんです。

専門学校に入学したての頃、後ろの席に抜きん出て目立つ女の子がいました。
彼女の名は竜子(りゅうこ)。
一つ年上で、なかなかの美人だったんじゃないかと思います。

竜子は誰でも名前を知ってるような、暴走族の元アタマだった。
とは言っても、たかだか田舎の支部のトップだから、たいしたことはなかったんでしょうが、「レディース」が騒がれる前、女の子のリーダーは珍しかったと思います。
シンナー、カツアゲ、喧嘩、リンチ。とりあえず悪いことをひと通りやって、金が入りゃあ贅沢三昧してみたけど、今はハタチ過ぎてもう年だし疲れたし、家飲みだけが楽しみだよ。
などと、言っていることは不良少女さもありなんという感じでした。

だけど、そのたたずまいや言葉の端々に見せる表情は、ハタチそこそこにして、すでに熟女の貫禄だった。
同級生なんかよりはるかに年上に見えて、今思えば、相当危険な色香が漂っていました。
竜子は料理屋の娘で、早くに父親を亡くし、きびしい女将さんに育てられたから、小さい頃から親の苦労を見て、大人の世界の身のこなしが染みついていたのかも知れません。

私はどこに行くにも竜子とつるむようになりました。
何だか一緒にいるだけで、大人になれる気がしたから。

とは言っても、若い子らしいことだって、ちゃんとやってましたよ。
竜子と私、住む世界は違えども、話が合うのが流行服とディスコと踊りの話題だった。
当時はDCブランド全盛期。
流行のこととなると、彼女も私も我を忘れて熱く語り合い、ブランドのアトリエバーゲンに行けば、血まなこになってサンプル品や売れ残り服の山をかき分けていましたね。

ファッショナブルな一方で、竜子はいつでもどこでも、ここでは絶対に書けない赤裸々な下ネタを言う。
それも自前の下ネタを。セフレの30代の男に会った翌日は特に話題が豊富で、おとなしい同級生はみんな黙る。
ティッシュ持ってる?って訊かれた男の子に生理ナプキン渡してたし。
負けじと喋ってたのは、私くらいだった。
今思えば、ずいぶんな背のびでしたね。

「あたし結婚してたんだ」
竜子が不意をつくようにそう言ったのは、提出日に遅れた縫い物にいそしんでいた放課後の教室でした。
ウソーー!と声をあげる私に、
「いやほんとだって。最近、離婚したんだって」けだるく笑いながら言うところが、また迫力でした。

「子供? 子供はいねえよ。
高1から4回堕したから、もうできねえのかもな」

千住のモグリの産婦人科で、狭くて汚いベッドに堕胎手術終えた女の子3人寝かされて、痛い痛いと唸ってたら、飛び込みで入ってきた一目でトルコ嬢(当時はソープじゃなくてトルコでした)とわかる女が、すぐ脇でパンツ下げながら、
「先生どうしてくれんのよ!こないだ入れてもらったリング、ほら、落ちて来ちゃってんの!」
と怒鳴りちらしてた、とか、10代のよもやま話を面白おかしくしてくれました。


その年の夏、そんな竜子が、実家に遊びに来いと誘って来ました。
ロックとアングラとディスコで育った私は、正直言って暴走族のノリは、いかにも頭悪くて下品で超苦手だった。
だけど、なぜだか竜子だけは特別でした。
それはまるで異国の者との出会いで、彼女と友達になれたことに心からワクワクしていました。

上野から鈍行列車に乗って降りたのは、見渡す限り関東平野の小さな駅。
てっきり竜子が待ってるものと思いきや、声をかけて来たのはやたら白いファンデーションの女の子でした。
「塙さんですよね?」
と確かめるやいなや、彼女はマークⅡのドアを開け、北関東訛りの敬語で私をエスコートしてくれます。
そうか、この子は暴走族時代の仲間なんだ、ってすぐわかりました。
竜子は不良だったけど、地元をすごく大事にしていてね。
仲間の他にも、○○のおばちゃん、○○のおじちゃん、とよく話に出していた。
地元の祭の季節になると毎年恒例の大騒ぎで、神輿をかついでいたそうです。

実家は、大きな割烹のオーナーにしては素朴な古い日本家屋。
「おー、よぉく来だなぁ」
すっかり故郷訛りの竜子が私を迎えると、リビング、じゃなくてその頃は応接間ですよね、応接間でタバコをふかしていた元族らしい仲間の男女数人が、ハッとこちらを向いて私に会釈します。
泣く子も黙る群れのトップは、引退してもやっぱりトップ。
その元トップとタメグチきいてる友達が、東京からやって来たんだから、仲間の気遣いはハンパなかった。
きっとみんな興味しんしんで、私を輪の中に入れてくれたことでしょう。

竜子は母親のことを「お母ちゃん」「おふくろ」って呼んでいた。
きびしかったと聞いていたわりに、会ってみたら私には優しくて穏やかでね。ほんとにおふくろって呼び名がふさわしい感じの、着物の似合う人でした。
で、そのお母ちゃんには、10歳くらい年下のジョージさんという婚約者がいたんです。

竜子が新しい父親、ジョージさんを紹介してくれた時、すごく照れくさそうに「この人がジョージさん」って言ったのを覚えています。
無口で、コワモテで、腕っぷしの強そうな人で、もともとは割烹のお客さんだったと聞きました。
どうも群れのトップは竜子じゃなくて、ジョージさんのようでした。

「おい、この子をボートに乗せてやるぞ」
という彼の一声で、群れ一同移動。
ジョージさんのモーターボートに乗せてもらい、川をクルーズです。
私と一言も口きかなかったけど、それが彼なりの歓迎の仕方だったんだと思います。

その夜、族仲間の女の子たちと竜子のスカイラインに乗って、窓を全開にして、真っ暗な道を流しました。
窓の外はえんえんと広がる田んぼ、田んぼの中にところどころ建つ民家の影が流れて行きます。

「〇〇が事故って死んでから、だいぶ経ったよなぁ」
くわえタバコで運転する竜子が、大きな声で言います。
「あの時は永ちゃん聴きながら、みんなで飛ばしたっけなぁ」
みんな感慨深そうに、うんうんと頷きます。

暴走族は仲間が死ぬと、矢沢永吉を聴きながら街を暴走するんだ、とあらためて思いました。
話には聞いていたけど、本当にそうなんだなって。
その気持ちわかるような気がして、ちょっと感激したんです。

自然のホタルって、いまだに見たことないんだけど、もしかしてその時ホタルぐらい飛んでたかも知れません。
だけど、そんなのどうでもよかったんです。
新しいことにまかせて、突っ走るのが人生だった。

と、私はさっきから我慢していた尿意が、限界に達して来ました。
とは言え、田舎だから公衆トイレなんてどこにもなさそうだし、外で用を足す以外なさそうだった。
でも、あたり一帯が田んぼなので、隠れて用を足せそうな物陰もなし。
だんだん顔面蒼白になって来ます。

ついに思い切って言いました。
「ねえ竜子。ごめん、私、オシッコしたいんだけど」
さりげなく、竜子がうなずきます。
車はやおら横道に入り、しばらく走って大きな民家のそばに止まりました。
「あたしも、したかったところなんだ」

車を降りると、竜子と同乗していた3人の女の子も、迷うことなく一緒に降ります。
キョロキョロしながら、民家の垣根の陰に入り、竜子が一番にワンピースをまくってしゃがみ込みます。
続いて3人もしゃがみ込みます。
私はあっけにとられながらも、みんなと一緒にしゃがんで、全員何も言葉を発することなく用を足しました。

「よし。行くぞぉ!」
竜子の一声で、何ごともなかったように全員また車に乗り、田んぼの道を走り始めます。
見事に息の合った行動。これが族のやり方なんだと思いました。
どれくらいぶりかわからないくらい久しぶりに人に優しくされた気がして、夜の闇を一緒に駆け抜けるのが嬉しくて、車の窓から身を乗り出して風をいっぱいに受けました。
関東平野が暗闇の向こうまで、果てしなく続いてるみたいでした。

うわさ通り学校は課題が多くて大変で、おまけに遊びにもおしゃれにも夢中で、毎日毎日忙しくてあっと言う間だったけど、竜子のおかげで私は失恋の痛みを忘れて行きました。

(続く)

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