【新宿二丁目・裸のサニー④】
私が当番の日は、サニーのご機嫌とりながらコイコイに興じたり、シャワー浴をさせてあげたり、買物や通院の付き添いをしました。
大したことはしてないのに、体の芯までへとへとに疲れました。
私の何百倍もそばにいて、酷い目にあった人たちには申し訳ないけど、見たくないサニーを目の当たりにするのが、死ぬほど嫌だった。
心優しいサニー像はものの見事に崩れ去り、「サニーみたいにだけはなりたくない」と会うたびに思ったものです。
いつだったか、入院したサニーの見舞いに行った時のこと。
病院でも厄介者だった彼女は、いつもベッドに拘束されて、力なく大の字で横たわり、もはや投げやりみたいに見えました。
そこへ看護師さんが検温にやって来たんですが、新顔のようで、サニーの扱いに慣れていない様子でした。
「あんた、サニーを知らんのか?」
いらついたのか、サニーが怒鳴ったんです。
「あたしはレズで有名なんや!
新宿二丁目のレズのサニーや!
サニー言うたら、みんな知っとるんや。覚えとき!」
私はぞっとしました。
オカマの東郷健の口癖は「あたしは世界の東郷健よ」だったけど、それよりもっと滑稽で、負け犬の遠吠えより惨めで恥知らずに聞こえました。
誰にでも受け入れられるあのサニーは、もういない。
ここにいるのは、ただの変態レズだと思いました。
変態レズは言いました。
「寂しくなるとなぁ、看護婦のお姉さん呼んで、抱きしめてもらうんや。
サニーのこと、もっと強う抱きしめんかぁ。
もっと強う、言うて頼むんや」
でもよくよく考えてみると、サニーは自分に正直なだけでした。
何ひとつ、おかしなことは言っていませんでした。
相変わらずわがままで、気分屋で、人を喜ばせたいだけの人でした。
何もかもが思い通りにならなくなったら、寂しくなって当然でしょう。
ただ聞いている私だけが猛烈に恥ずかしくて、全身がひりひりと痛かった。
それはサニーの痛みではなく、私の痛みでした。
サニーと初めて会った日、帰りぎわにぎゅっと抱きしめられたことを思い出します。
「興さん、好きだよ」
あれは誰に言われたのとも違う、特別な「好き」でした。
私だけじゃなくて、気に入れば好きだって気軽に言える人でしたから、いろんな人に言ったはずで、挨拶がわりみたいなものだったんでしょうね。
電話を切る時や別れぎわに、何度となく言われた覚えがあります。
「興さん、好きだよ」
断りもなしに、何かがいきなり侵入して来る感じでした。
たまらなく不快で、不快にもかかわらず、私がどこかで心から望んでいた響きなんです。
興さん、好きだよ。
あなたはそれでいい。
その身体が、どんなに間違っていてもいい。
その心が、男でも女でもいい。
その孤独も、背負って来た痛みも、いやらしい妄想も、残酷な考えも、それでいい。
全部まるごとOKだよ、って。
私と同じ「性」を持つサニーだからこそ、私の耳はそう聴いていたんです。
女の身体に生まれて、男の心を持って苦しんで、レズと呼ばれて苦しんで、苦しんでいることも忘れて頑張って来ました。
自分が自分を赦してあげるその言葉を、私はずっと待っていました。
長いこと頑なに守っていた壁が溶かされて行く。
それがとてつもなく怖かった。
サニーは私にとって、あまりにもクレイジーで偉大な人です。
今気がつきましたが、私がサニーの世話に行ったのは、恩返しをしたかったわけじゃなくて、何かの拍子に気まぐれにでも「好きだよ」って、もう一度言ってくれやしないかと期待していたからです。
私の思い出は、サニーが出会った多くの人の心の中にある、ほんの小さな断片に過ぎません。
けれど、それをこうして書いて、サニーを知らないあなたにまで読んでもらえることを、幸せに思わずにはいられないのです。
サニーの部屋は、新宿二丁目の太宗寺というお寺の裏にあって、4階の窓からは、傘をかぶった巨大な地蔵菩薩像の後ろ姿が、にょっきり下から生えたみたいによく見えました。
サニーが逝って、ベッドもポータブルトイレも家具も片づけられて、空っぽになった部屋は、初めから何もなかったように静かになりました。
まわりは二丁目の雑居ビルがひしめいて、この街だけで元気になれる人たちの生命の力が、溢れているようでした。
(了)
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