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私の現実的田舎暮らし 20年の実践

今の場所に住むようになって、20年と少しが経ちました。大きな家と庭と畑、地区の人たちとの繋がり、子育てと巣立ち、仕事と自分なりの学び、身の回りすべてのメンテナンス。

そんな中で、自分として「こんな感じかな」と思う現実的落としどころも見えてきました。どんな需要があるかは不明ですが、整理の為にまとめてみます。あなたが、掃除より修理が好きなタイプの人だとしたら、ひょっとすると共感して頂けるかもしれません。

全体としては、田舎暮らしの場所と家の話から、暮らし自体の話の順番となっています。また、詳細のページへリンクがある項目もあります。このような文章でも何かの役に立つと良いのですが。


土地

場所

  • どこに住むかは支配的な課題

  • 引き継いだ土地の災害リスクをどうみるか

人が住んできた場所で、誰も住まないところに住むというのは、それ自体がリスクな場合も多く、本当は人が住んでいた場所に住むのが安全です。地域に伝わる伝承、恐ろしい土地の名前、いろいろな方法で後世に教訓を残そうとする気持ちを侮ってはいけません。あと、現実的にはハザードマップを調べるのは大前提です。

お家は抜群の鉄道撮影スポットの近くにあります。

既に人が暮らしている場所はそこそこ安心だけれど、地域に受け入れられる為の努力が必要。人里離れたり新たに造成された場所で暮らしを創り出すのは自由だけれどリスクも大きい。最初の大きな選択ですね。

私の場合、妻が一人娘で、妻の母親も一人娘、その両親が住みだした土地と、高齢になって建ててくれた家、という状況で、場所は選べなかったものの、電車の駅にも近く、大雨での浸水リスクは限定的、地域のコミュニティには「引き継ぐ」という形で参加させて頂けたので非常にリスクの少ない暮らし初めとなりました。

  • 少しでも食糧を自分達で作り出す

  • 畑を作っていくには時間がかかる

  • 自然農法的アプローチを取るか、現代的農業を取るか

自宅の近くに土地があり、畑が出来る。それは非常に素晴らしい事でしょう。スーパーに行って野菜を買うというのは、市場が成り立っていて、かつお金を持っているから出来る「便利な暮らし」ですが、ずっと続くとは限りませんし、天候不順などによる市場価格の影響も受けます。一方で畑をすれば土と一緒に暮らすことになります。雑草も一緒に栽培する事になり、害虫も湧いてしまうし、新たな学びがたっぷり必要になります。でも、自分の食べるものが自分の土地から生み出されるという不思議には代えがたいようにも思えます。

大きな問題は、農業に対するアプローチかと。作物をどれぐらい植えるのか、使ってない土地をどうするのか、除草剤や農薬をどれぐらい使うのか、草は積んでおいて腐らせるのか燃やすのか。いろいろな選択肢があり、いろいろな考え方があります。特に子供が小さいうちは、そもそも泥遊びの場所でもあり、なるべく農薬使いたくない、みたいな気持ちも出てきますね。

畑で泥水遊び、こういう至福の体験は貴重です。

地方ではやはり農協さん、都会から見ると利益団体のように見えても、現実的に畑を営む知恵と物品を購入できる貴重な場所だったりしますので、ぼちぼち仲良くすることをお勧めします。家庭菜園の教室なども開催されていたり、地元の指導員の方からもいろいろ有益な情報を聞くことが出来るでしょう。

私の場合、妻のお母さんが畑を取り仕切っています。彼女も手習いなこともあり、やり方にあれこれ口を出されたくないように見えます(都会に出ていた時間が長かったので、田舎に戻って最初のうちはJAに野菜作りを習いに行っていました)。パイプハウスを組み立てたり、畔を刈払い機で綺麗にしたり、たい肥を運んで撒いたり、お願いされたことを手伝っています。

  • 庭は最高の贅沢で、きっと貴方の時間を湯水のように吸い取る

  • それでも、良い趣味であり、場合によっては土地活用の本質

  • 池を持つという手もあるかもしないですが、なかなか大変

土地の値段が高いところでは、庭というのは敷地の中に頑張って創り出した貴重な自然環境でしょう。しかし、土地の値段が低いところでは、家が建っていないで、畑意外の部分は、何もしなければすべて庭になってしまいます。頑張ってコンクリート打ったり、防草シートを埋めて砂利を敷いたりして草を排除しなければ、土は意図した植物と意図しない植物の楽園となり、植えた樹はどんどん伸びて、すぐに手に負えない大きさになります。

かなり前の剪定後の一枚、全体的に樹木が太くなりすぎてますね。

シンボルとなる樹を植えたり、防風林として育てたり、ツツジなどで動線を彩ったり、楽しみ方は多様でしょう。でも、すぐに草だらけになり、それを抜くのか、刈るのか、除草剤をまくのか、選択を迫られることになります。自分の将来の元気さを予想しながら、規模を決めていくのがいいと思います。

あと、田舎の家では池を作るなんて選択肢もあります。お家の近くでは鯉を飼っている人が結構あって、お庭に水が流れている贅沢な空間となっていますね。鯉は強い魚で泥の中に放置していると何年も生きられるそうですが、水をせっせと変えたり餌をこまめにあげたりすると寿命が縮まるそうです。ここらへんでは、10月になったら餌をあげるのをやめて、次の5月までおなかを空かして暮らしてもらいます。そうすると、冬の氷の中でも生き延びる事が出来るそうで、凄いですね。

この時は春一番で水が澄んでいました、通常は土が混じって流れてきているので濁っています。

私は、先々代が頑張って創り出したお庭と池をメンテナンスしながら暮らしています。今のところは庭師さんの支払いは上の代にお願いしているので良いのですが、請求をみるとびっくりする事は間違えありません。サツキやツツジを手入れしたり、梅の摘果や枝払い、スギナ退治などは担当していますが、それだけでも結構大変なことです。

池には鯉と自分のことを鯉だと思っているフナが住む池があります(どこからか流れてきました)。水は近くを流れる農業用水から水利権をもって取り入れていて、流れ出す水はそのまま農業用水路に戻しています。

住居

  • 家を購入するのか借りるか、そこが最初の問題

  • いずれにしても、時間の流れにメンテナンスで抵抗する

なにかの事情でフレッシュな土地があって、家を建てる、もしくは建売を購入するというのは羨ましいですが、場としてはよく吟味しましょう。田舎においては、人が住みやすい所には人が住んでいる場合が多いので。住んでいないのにはそれなりの意味があるかもしれません。

その上で、頑張って新しく家を建てるとしたら、すみませんがあまりアドバイス出来る事がありません。いい工務店を探しましょう位しか言えない。一方で、中古の住宅の場合は、お家のメンテナンスの知識が非常に重要になり、いろいろ言いたい事があります。

家はとても複雑な所有物で、屋根や外壁、基礎や床下などの外回り、壁紙や床、天井やサッシなどの壁回り、それを結ぶ軸組みたいな骨格、適切なメンテナンスをしても、それぞれにだんだんに傷んできます。過剰にメンテナンスすると費用対効果が悪いけど、サボると劣化が加速する、加減が難しい。そして、中古住宅は前の持ち主のメンテナンスを引き継ぐことになりますから、どのように手が入っていて、どこが足りないのかの見極めも必要になります。

壁を塗り替えた後で、窓も磨いたりすると、なかなか立派ですね。

田舎においては、中古住宅の賃貸というのは、つまるところ、理由があって売りたくないけれど自分では使わないお家を貸し出している状態が多いです。なぜなら、収益物件として建築する経済合理性が全然ないから。お家を建ててメンテナンスするのには都会でも田舎でも同じようにお金が掛かるのに、田舎の貸家で得られる賃料は都会と比べ物にならないほど少ない。日本は借主有利の借家契約なこともり、中古住宅の賃貸は貸主にとっては全然割に合わない。だから、それでも誰も住まないより住んでもらったほうがいい、という話の場合が多いです。

知り合いには、そのような経緯な激安家賃のお家を借りている方もいます。もう好きにしてくれと言われていて、お家の維持にいろいろ手を掛けて、ありがたがられるばかり、そんなケースもありそうです。予想もしないような大変もありそうですが、大家さんに感謝されながらメンテナンス技術を覚えていく手もあるかもしれませんね。

私の場合は、築30年ほどの木造在来工法の立派な家に住まわせてもらっています。図面も把握していて、床下から天井裏までどのような状態なのか探検してみました。全ての装備品はリストアップされていて、大体の耐用年数を想定した上で計画的に更新・メンテナンスをしています。正直なところ、自分の稼ぎでこのクラスの家を新築で建てることにはならないですね。

台所

  • 家の中心は台所に違いない、なぜなら生活の中心は食だから

  • 現実的に、一番活用されて汚れていく場所でもある

徒歩圏内にコンビニや手頃な定食屋さんがあったり、フードデリバリーを頼めるような身分でもない限り、食事は毎日作るものかと思います。となると、台所は生活の要になっていき、その使い勝手は生活の質を左右します。

家を建てようとしたりリフォームを検討した人はご存じと思いますが、家の装備でキッチンほどグレードによって値段に幅がある部分はありません。ステンレスの流しに瞬間湯沸かし器、2口のコンロという構成だと30万円ぐらい。それがシステムキッチンにビルトインコンロになると50~80万円になり、ビルドインオーブンつけて広いシンク、ステンレスで錆びないキャビネットに手入れが楽な換気扇とか言うと最低でも200万コースです。機能や使い心地が調理体験の快適さに影響するからこそ、コストを掛けたくなるわけですよね。

これは別宅のリフォーム事例です。既存設備を全入替しました。
こんな計画でお願いしましたが、使い勝手はとても良くなりました。

導線と収納、ショールームで見たりシミュレーション作ってもらったり、日々の食事の様子を観察したり、きっと報われます。生活の中心はキッチンです。中古住宅でも、キッチンリフォームは最優先かと思います。

お家は完全にキッチン原理主義です。設計したときに二世代の娘が口を出したことから、L字のキッチンに幅広のシンクに天板は大理石、背面側に全面収納という構成ですが、とにかく空間が広いこともあって、4~5人でわさわさ食事の準備をしても狭くありません。ただし、設備は消耗してしまう感じで、コンロやオーブン、水道栓も換気扇も、あらゆる部位を交換しています。早めのメンテナンスが快適さを保つ秘訣なのかもしれません。

設備

  • 無尽蔵に収納を増やさないように、家具でも抑止していく

  • 良い家具は、自分に合った家具に違いない

お家の設備は様々です。一番大きい所で、リビングの家具を選ぶのは楽しいものですし、長く毎日一緒に過ごすもの。ソファーやら照明やら、カーテンやウッドブラインド、ああ素敵だな、おしゃれだな、と感じさせる一連の要素を創り出していきます。

私はインテリアコーディネーターではないし、そんなセンスも全然ないので何とも言えないのですが、やっぱり良いものを購入して長く使いたいと思いますよね。日本の田舎は山林が近い所も多く、地元には良い家具やさんが住んでいるかもしれないですし、都会的でおしゃれなブランドの提案型ショールームをめぐるのも楽しい。

一方で、収納は気を付けたほうが良いかと思います。特に広いお家の場合、収納を無尽蔵に増やす事が出来てしまいます。モノが片付かないから収納を買って収めていると、気づかぬうちに大変な量になってしまいがち。近所にお店が無い田舎では、ストックしている素材で物事が進むような部分もあり、取っておくことの実利もあったりします。だけど、バランスが重要かと。

ということで、私のおすすめは、生きていく為に必須の家具は、良いものを選ぼう。収納は活用しやすさを優先して選ぼう、ただ、無尽蔵に増えてしまわないように整理整頓、みたいな感じですかね。

お家ではリビングには、地元の家具屋さんに作って頂いたダイニングテーブルと椅子がありまして、概ね一点豪華主義となっています。収納などはある程度割り切って、ホームセンターで購入した組み立て式の家具を、しっかりと組み立てて使っています。インテリアを凝りだすときりがないので、カタログは見ないようにしています。

所有物

  • ちゃんと車種を選んでしっかりメンテナンスしていこう

  • 雪道では事故は避けられないから、軽乗用車は選ばないのがいいのでは

  • 雪道偏差値、環境が厳しくなると設計の差が大きくでる

田舎のお家、基本的には自動車が数台とまっていて、それに加えて軽トラがあったりします。田舎でアクティブに活用していくには、やっぱり自家用車があったほうが良くて、刈払い機積んで山に入ったりするときは軽トラも欲しい、なんて事を言っていると、どんどん増えていきます。

日本は自動車が主力産業です。なので、新車でも中古車でも購入とメンテナンスの市場はとても発達しています。最近では残価設定のローンとか、サブスクやリースなど、所有の形もいろいろあります。でも、簡単に言ってしまうと、新車は「新しい」というプレミアムがあって、中古は、そのプレミアム分と経年による償却分が安くなる、というものですね。なので、あまり償却していない中古車を買うのが一番お得なのかと。

そうなると、結局は車種の選定と維持費をどのように抑えていくのか、という事になるかと思います。

この時は4台ですね、全部スバル車という極端な構成。

車種の選択はとても難しいのですが、私は普通の普通車を選ぶのが良いと思います。雪国ではスバルの車をとてもよく見かけて、実際に雪道を走るとその良さは確かに感じられます。例えば、スバルの一番売れている車種、インプレッサだと、いわゆる車高が高いSUV(スポーツ多目的車)よりタイヤも安いし中古車も安いし、アイサイトが付いていて急に子供が飛び出して来た時に、あなたより先にブレーキを踏んでくれるかもしれません。車体も丈夫ですので、田舎暮らしにピッタリかと。

あとは、年齢によっては負担がとても重たいものとして、任意保険もあります。保険会社であっても共済であっても、若いうちは年齢限定がつけられない、また保険料率も低いので割引も少ない、二重の辛さで結構な金額になりがちです。しかし、自動車を運転する以上過失があっても無くても、自動車事故の加害者になる可能性があるわけで、車両保険はともかく、対人対物保証は入らないという選択肢はありません。少なくとも統計では一割以上の人が任意保険に入っていないという恐ろしいデータもありますが、それほどの人が楽観性バイアス(根拠なく自分だけは大丈夫と感じる認知バイアス)の餌食になっているということ。あなたが何億円も資産を持っていて、どんな事故を起こしても金銭賠償の責任は果たせる、というのでなければ、車を運転する上での義務かと思います。

その上で、不思議な事に同じリスクに対する備えなのに、保険の値段って様々だったりします。保険会社によっても全然値段が違うし、等級を家族(親)の契約を引き継ぐと割引が受けられます。具体的には、ネット損保や共済(全労災やJA共済)はぐっとお安く、等級が20等級であれば(当人が安全な運転をするかどうかなんて保険会社には分からないのに)最初から6割引になります。ちなみに、等級を引き継げるのは同居の親族だけです。若い人が車を所有しようと思うなら、親元を離れて住民票を移す前に計画的に譲ってもらいましょう(ちなみに、トヨタのKINTOというサブスクなどは、年齢条件が無いので、若くて新車を買うのなら、サブスクのほうが安くなる場合があります、新車を買うのに比較すればね)。

この保険の事実は、自分が車を乗り出すときに気がつき、私は両親の育てた等級の高い保険を譲ってもらうことから自動車生活を始めました(両親には新たに入り直して貰いました)。そんな学びもあり、子供の人たちが免許を取って車を所有するにあたって、割引最大になっている保険の名義(記名被保険者と言います、契約者とは別)を計画的に子供に移しています。

使わない保険は10年間休眠させる事も出来るので、先代が育てた保険(例えば乗らない軽トラのとか)なども併せて失効しないように、大事に取っておいています。

車種を選ぶときは、ぜひ安全性のことも考えて下さい。私の身の回りでも、お世話になったことのある方が何人か自動車事故で無くなっています。最近は衝突被害軽減ブレーキがせっかく普及してきているのに、悲惨な事故の報道は無くなりません。

田舎では環境が悪くても車に乗らざるを得ないことがあります。突然冷え込んだ夜に、まるでスケートリンクのようになった道路を帰宅する事になり、そこら中にぶつかった車が放置されている、なんて悪夢のような光景だってありました。別に誰かが悪かったり操作を誤ったりしなくても事故は起こり、そんな時にあなたの車は身を張って犠牲になってくれます。そういう時には、やっぱり一定の大きさと重さがある車のほうが圧倒的に有利です。

長く暮らしているとこういう事もあります。丈夫な車は相対的に安全です。

維持費の事を考え出すと軽乗用車も検討に上がってきます。私も何台か軽乗用車にも乗りましたし、自動車税やタイヤなどの部品が安くて固定の維持費が節約できることも良くわかっています。でも、どのような形の事故になるか予想できない以上、一定の大きさがあったほうがいいと思います。

私の軽乗用車は、ある日子供を小学校まで送った帰り道、自宅前で普通車に追突されてしまいました(信号のない交差点で徐行して安全確認をしようと思って減速したら、がっつりと)。後部座席とリアゲートがひしゃげた車をレッカーに載せつつ、加害者の方の普通車は、バンパーについたナンバープレートが曲がった位というのを目の当たりにして、これは、子供を後部座席に乗せていたら心底後悔する事になっただろうと思いました。

その後、体の後ろ側にシートの形にそってできたアザに驚いて初めて病院に通い、ちゃんと車両代金と慰謝料を頂き(100:0でした)、フォレスターに乗り換えたわけです。

ネイキッドという車です。気に入っていたのに残念ですが、子供乗ってなくて良かった。

私は中古で無理せず、普通車を現金購入して、しっかり乗りつぶすのがいいんじゃないかと思います。どうしても軽乗用車という方は、ジムニーがいいかもしれませんね。用途が合ってゆっくり走るのなら、とても良いと思います。

雪国の場合は、車の種類によって全然走破能力が違うのは知っておきましょう。私は「雪道偏差値」と呼んでいますが、同じ危険な道を、楽に走れる車、命からがら走り抜ける車、全然違います。いろいろなメーカーの車に乗りましたが、確かにスバルの車は雪道偏差値が高いですね。逆に、大きくて重たい四輪駆動車(ランドクルーザーとかジープとか)は、誰も通っていない新雪をかき分けるような時は強いのですが、道路を走る分にはデメリットばかりでお勧め出来ません。

雪道偏差値最低レベルの一台、楽しかったのですが雪国でこれ一台は無理でした。

納得がいく車を選んだら、あとはどのようにしてメンテナンスをしていくか。もちろん自動車税とか変わらないものもありますが、車検みたいな整備や、故障したりぶつけたりの修理など、節約できるところもあります。

地味に辛いのはスタッドレスタイヤかもしれません。土地にもよりますが、氷道をちゃんと走るには、そこそこの品質のスタッドレスタイヤが必要です。そして、大きなタイヤだと高いんです。もし中古のタイヤを購入するのであれば、持ち込みのタイヤの組み換えを快く引き受けてくれる業者さんを確保するのも忘れずに(中古タイヤは嫌がられます、どんなトラブルになるか分からないし当たり前ですよね)。

私は、タイヤは中古でシーズンオフに、2~3年経ったものをネットオークションで買ったりします(なんか北海道の人は数年で買い替えるようで、とても安いんです)。銘柄はなんでもいいのですが、私はダンロップが好きで、それに限らず強く国産のタイヤメーカーをお勧めします(ミシュランも国産です、アジアンタイヤは本当に色々なので避けたほうがいいかと)。

シーズン毎の交換は自分でするのがいいと思います。でも、車を持ち上げるジャッキとトルクレンチは必ず購入しましょう。車両付属のパンダジャッキ(最近は付属していない車両もあるそうですが)は、緊急用にしか使ってはいけません。ジャッキに下敷きになる悲しい事故は毎年起こっていますから、ちゃんと準備出来ないなら業者さんにお任せしましょう。ホイールナットも、毎年力いっぱい締めていたりすると、あっさりボルトが折れたりします。交換後は、石を取ったり、ホイールの裏を洗ったり、細かい気配りで長持ちします。保存は縦向きに冷暗所みたいな。

車を何台も所有していると、その維持費は生活費のかなりの部分を占めることになります。燃費が良かったり、税金が安かったりも大事ですし、何よりも修理しなくて良いように丁寧に乗れると良いですね。その上で、万一の避けられない事故を意識した選択をお願いします。

私は遅ればせながら、マツダのクリーンディーゼルに乗っています。もう燃費もいいし良く走るし、やっと理想の車に出逢ってしまいました。ただし、私の車両のようなマニュアル車は、残念ながら既に新車で購入する事はできません。その前は、スバルの車にずっと乗っていました。

途中でプリウスを安く譲って頂いて楽しく乗っていたのですが、雪道弱すぎて、夜中の峠越えを止まると登れないので勢いつけて度胸で乗り切る、みたいな苦行に耐えられずに乗り換えてしまいました。スバルでちゃんとしたハイブリッドが出てきたら、スバル車もまた乗ってみたいですね。

家電

  • 家電は賢く購入していくことで、総コストを抑えられる

  • コンセントやスイッチなどを入れ替えることでも毎日を快適に、配線を触るには電気工事士の資格が必要、取ってみてもいいかも

  • コンセント周りの清掃や、テーブルタップの更新は火事を防ぐ

家の中に置かれる主要なもののひとつとして、電化製品が挙げられます。家具に比べて故障する頻度も高く、好みも分かれるところです。また、電気を引くためのコンセントやスイッチなど、家側の設備やテーブルタップなどの間接的なものも忘れてはいけません。

家電は最近、ネットでも購入できるようになっています。でも、ここはひとつ家電量販店で購入することをお勧めします。田舎では店員さんの入れ替わりも少なく、仲良くなることで良いこともあるでしょうし、商品の入れ替わりもゆったりなので、新モデルに入れ替わる前の型落ちが安かったり、計画的に動けばお得の余地もあります。

家にはコンセントや壁のスイッチがあります。これもどんどん劣化していきますし、新しいスイッチは使い勝手がよくなっていたりします。実は、ネジを2本外してパネルを取り、もう2本とると本体が取れて、マイナスドライバーやらでロックを外すと銅線が取れるので、新しいスイッチに押し込む、みたいな簡単な交換方法で入れ替えられるのですが、これには第二種の電気工事士資格が必要です。頑張って取ってみるのもいいかもしれませんが、実技があって誰かに教えてもらわないと難しいかも(私は2回実技で落ちて心が折れました)。

壁の後ろからテーブルタップを使って配線を表に出している事もあるでしょうけれど、古いテーブルタップは注意が必要です。家具の裏で押されたり埃が詰まったりして火災になったりします。汚くなったら交換しましょう、もったいないと言っていると、お家が焼けて寂しい事になりかねません。

お家では使っている家電(照明とかトイレの暖房便座とかも)の購入年次とだいたいの耐用年数をリスト化しています。何十年も使い続けることは良いことでもあるのですが、一方で火事のもとになってしまったり、消費電力が大きかったり、課題もありますからね。一度にいろいろ壊れて途方にくれないように計画的にいきましょう。

電脳

  • 田舎での現代的生活にはパソコンやスマホの役割は大きい

  • ノートパソコンのおすすめはオフィス用のモデル、自分でメンテナンス

  • スマホや携帯キャリアはシンプルに(キャリアのショップは混むし)

現代の生活においては、パソコンやスマホなどのいわゆるIT機器はとっても重要です。特に都会との情報格差を埋めるためには、デジタル技術を使いこなすことが求めれています。となると、パソコンを買わなくちゃいけなくて、インターネットに接続する為のプロバイダ契約も行う必要があります。スマホだって必需品ですよね。

パソコンについては、きっとノートパソコンを購入されるのかと思います。仕事っぽく持ち運んでガンガン使うと、これはどんどん壊れていきます。近くの量販店で10万円~で購入できる一般の人向けのパソコンを必要に応じて買うことも考えられますが、私としてはオフィス用のモデルを買うことをお勧めします。理由はずばり、自分でメンテナンスが出来るからです。

私のお気に入りは、HP(ヒューレッドパッカード)という会社の、エリートブック(Elitebook)というモデルです。このモデルは、恐らく企業が大量にリースで購入していて、数年で回収しているものが安く大量に中古販売店やオークションで売られています。しかも、発売元から分解説明書をダウンロードする事が出来るので、手順に従えば確実に分解できます。何か壊れても、ジャンク品を二束三文で購入して組み替えれば、はい元通り(ちょっとマニアックすぎますね)。

これはElitebook 860G5とG6、調子悪くて入れ替えます
SSDのストレージを入れ替えて、少しドライバ入れ替えて再認証すれば移行完了です

スマホは私はアップルを用いているので、壊れてしまったときに、アップルストアで購入しています。簡単なことですね。ちなみに、少し前まではiPhoneも分解して直せました。液晶割れても数千円でAmazonから部品を買って、自分で交換して復活させていて、バッテリーも交換していました。最近はヨーロッパで消費者が「修理する権利」が認められつつあります。少しずつ環境が整備されてきたら、自分で修理して使い続けられる日々が戻ってくるかもしれませんね。

お家では、奥さんがパソコンが必須の仕事を持ち込みの機材で行っているので、必要に応じて入れ替えています。今はHP社のElitebook830シリーズを使っていて、キーボード壊れても部品で交換したり、全体の調子が悪くなったら全部入れ替えたりしています。

スマホはアップルをずっと使っている(iPhone3GSから!)ので、今さら他のメーカーに浮気する気はありません。AUショップだとかDOCOMOなんちゃらとか、そんなところの窓口で時間を使う気はさらさらありませんので、IIJMioという、日本で最初に商用インターネットを始めたIIJ(インターネットイニシアティブジャパン!)という由緒だだしい通信会社を使っています。

書物

  • どんどん増えていってしまう、場所が取れるので所有してしまう。

  • 一方で、蔵書が自分の思考の成り立ちを具現化する部分もありそう。

  • 意味を感じてもらえるように整理しておくことで所有していることの価値を高められるかもしれない。

活字やビジュアルして凝縮された知恵を残す古典的な手段が書籍です。小説や漫画のようなカジュアルなものから、ビジネス書や学術書、料理や趣味などの特定の要求に答えるものなど、様々な書籍が過去から流通してきました。安いものでもなく、その積み重なった価値は非常に大きいもの。

一方で、紙の本については、自分に不要な本、不要と感じられる本も同じように物理的な場所を取ります。電子書籍はその点便利ですし、読み放題のようなサービスがありそもそも「所有する」という概念を乗り越えた部分もあります。

この本棚は先代のもの、切手と中世ヨーロッパ中心の歴史とドーキンス進化論。

人の本を整理していると、その思考を形作った道のりや、自分には伝わってこなかった知らないその人の世界が見えてきて、それはそれで素敵な感じ。でも、自分の書籍もいつの日か、こんな風に考古学的に参照されるかと思うと、それはそれで不思議な気持ちになります。大作家とか、知的な営みを世の中に残せているわけでなければ、手がかりはこういうところしかありませんしね。こう考えると、やはり書籍もメンテナンスの対象で、自分の考え方を創り出した先人の知恵を、紙の書籍として持っておくという贅沢なんじゃないかと、そういうことなんでしょうね。

私は、誰かにとって価値があるかもしれない書籍を捨てることがとても苦手です。しかし、両親は同じようには考えておらず、気になった本を片っ端から購入しています。いつか、書籍を辛い思いで処分する日が来ると思うと、せめて自分の分はちゃんと整理しておこうと思ったりします。

思いついて古いマニアックな本をオークションやアマゾンで販売すると、結構な値段になったりしてびっくりする事もあります。そう考えると、良い本が捨てられないように、次の誰かの手元に渡るように匿ってあげているようなものかも(なんて事を考えるとますます捨てられない)。

記録

  • デジカメが普及し、スマホのカメラも良くなったので、写真が大量に

  • 運動会やら音楽会など、動画もどうすれば

  • どのように取っておくのがいいのか、どう捨てればいいのか

田舎の風景は美しいと思います。住んでいる場所にもよるとは思いますが、山にしても川にしても、稲穂にしても古民家にしても、写真映えする景色にあふれています。そして、子供を育てたりしたら、成長の折々に写真を撮りたくなるでしょう。そして、気が付くと数万枚の写真ライブラリが出来上がってきます。

日々の折々を文章で残したり、詩や俳句などにしたためる方も居られるかもしれません。文章と写真をセットで日々を残していく。

でも、特にデジカメで撮った写真はどんどん溜まっていきますよね。写真を捨てるにはそれ相応の心理的負担が必要で、昔のアナログ写真の頃は、撮影する事(現像・プリント)にコストが掛かっていて釣り合っていたのが、今は撮影はいくらでもできるから、どんどん増えてしまい、一番大変なのは整理と取捨選択なんだと思います。

スマホの写真、アップルの場合は iCloudというクラウドサービス上で写真を管理できます。自動的に人物を抽出したり、撮影場所で絞り込んだり、「四本足のお友達」としてペット写真を選んでくれたり、どんどん進化していて素晴らしい。一方で、外部のサービスに依存している限り、いつの日かサービスが終了してしまうかも、という思いも残ります。デジタルはふとした事で全部消えてしまうかもしれない。

メンテナンスの発想から行くと、ここは複数系統で管理するのかな、と思います。一本目の矢は、サービスを利用した管理。例えばアップルにお任せして、いろいろな写真を集めて置き、どうしようもない写真だけ捨てて、あとは取っておく。枚数は増えてしまいますが、AIやらなんやらで何とかしてもらう。二本目の矢は、手元に置くファイル。アップルのサービスでも、新たな写真をパソコンに転送して残す事が出来ますので、一本目の矢に全部の写真がある前提で、こちらは「とっても良い」写真だけ残して捨ててしまいましょう。私はそうする事でやっと数を減らす事が出来ます。

Amazon社のEchoという端末です。たまに良い写真が出て来て立ち止まってしまう。

私は絞り込んだ写真を、 Amazonのフォトアルバムなど(こちらは終了するかもしれませんが)にアップロートして、デジタルフォトアルバムとして Echoという画面付きのクラウド端末(安い)をリビングに置いています。ある程度の選択がしてあれば、子供が巣立つときに渡してあげることも出来ますね。ちなみに、パソコンの中にたまっているファイルを調べたところ、今現在で、写真が32万枚(990GB)、動画が2700本(434GB)あって、そこから選択したベストショットが、5万枚(160GB)となっています。結構沢山ですね(田舎暮らし20年として平均すると一日当たり43枚!)。

動画は、長尺の音楽会みたいなものと、日々の短いものと分かれるかと思います。後者はもはや写真と同じ管理が出来るので良いかと思いますが、問題は前者ですよね。実際問題、見ないですよね、きっと。

私は、ビデオテープ(DV)に撮りためていたものを、何週間かかけて、全部パソコンのファイルに取り込みました。それを時系列に並べていつでも見られるようにして、そこで凍結しています。老後の楽しみとして整理する日が来るのか、そのまま失われていくのかは分かりません。

デジカメになる前の、アナログ写真も困りますよね。私は、ある程度は写真やさんにお任せの、スキャナで取り込んでもらうサービスにお願いしてデジタルにしましたが、結局ネガもプリントも捨てられていません。仕方ないですね。

生活

日常

日々の生活を考えるときに、リセットする部分とメンテナンスする部分に分けられるんじゃないかと。二つの違いは時間軸と頻度の差だと思うのですが、日常のゴミを捨てるとか、掃除機をかけるとか、日々の暮らしによる変化を打ち消すものがリセットで、数カ月に一度は掃除をしてあげたり、順々に、でも徹底的に分解清掃するような作業はメンテナンスなのかな、と。

どちらが重要ということは無いのですが、私はメンテナンスに重点を置いています。目につくところが綺麗なのは気分がいいのですが、それよりも、何年も傷んでいる部分に気が付かないで、取返しのつかない所まで状況が悪化する、みたいな事態のほうが恐ろしいので。なので、計画的・網羅的に身の回りの環境を少しずつ観察して状況を理解していくのが大切だと思います。

ブロアで家具の下を綺麗にしていきます。

お勧めの掃除グッズとして、「ブロア」というものを取り上げておきます。私が使っているのはマキタのコードレスで、本来は庭の枯れ葉を飛ばすような用途に使うものなのですが、隙間の埃などを飛ばすのに使っています。例えば和室の長押(なげし)の上側には長年のホコリが溜まってきますが、これをブロアで「がーっ」と風を当てると、もう真っ黒のホコリが飛び出てきてびっくりします。それを素早く掃除機で吸い取るみたいなイメージですね。部屋全体にホコリが舞うので日常では難しいですが、大掃除的な時には大活躍します。

私は、掃除機の掃除(掃除機自体の掃除)とか、洗濯機の周りの清掃とか、普段の掃除では気にならない所が気になってしまうタイプなので、偏りすぎないよう忘れないようにメモをしています。でも、ガラスではなくサッシとか、洗面所の物置トレイとか、細かいディテールで全体の印象は変わるんですよ。

食事

  • 食べたることは生きること、全部食べたもので体は入れ替わる

  • 外で食べるという事を、生活の中でどのように位置づけるか

  • お家に畑がある、ご近所さんと仲良くする

食は私が入りこめていない所、毎日時間を掛けて準備をした食事を「頂く」役割分担をさせて頂いています。一方で、たまの休日にお外で食事を取ろうとすると、お金で食体験を買う事ができることのありがたさを痛感します。

都会にはたくさんの人が居るので、食も役割分担が出来て、しかも質の高いものから、そうでもない間に合わせのものまで幅広いバリエーションを用意する事が出来ます。でも、田舎ではそうはいきません。志を持って、良質な材料から食事を作ってくださる方々からみたら、私たちはいつ来るとも分からないお客さんなわけで、商いとして成り立っていないと続けていく事は出来ない。

田舎で生きていくという事は、結局のところ、人々の想いを消費しながら生きていく事なのかと思います。特に食はその傾向が強く、誰かに食事の準備をして頂ける有難さ、忘れてはいけないなと思います。そういう意味で、誰かに食を提供して恩返しをしたいという気持ちが生まれるのもとても理解できますね。

お家はかつて、保健所から厨房としての許可を取って、販売前提で冷凍おこわを家族で作っていた時期があります。でも、その時の大変だったことと言ったらもう、今もその時の設備が残っていますが、見るたびに思い出します。本当にクオリティと量を両立させるのは大変です。

衣服

  • 私が無頓着なので、言えることはほとんどない

  • 「しまむら」と「ユニクロ」、世界的サプライチェーンの末端

  • 大切にしたいけれど、大切に仕方が難しい

衣食住の「衣」ってとても難しい状況だと思います。みんなが知っている「ユニクロ」や、世界的にはZARA、二社はファーストファッションと呼ばれていて、それぞれ「つくったものを売る」会社と、「売れるものを作る」会社の代表、でも両者とも製造から販売までを一体化したSPA(製造卸小売業)の成功例です。

新たなデザインを大量に人件費の安い国で製造し、国際的な物流に乗せて、自社の小売店舗で一気に販売する。その需要予測の精度を高めることで利益を最大化する、みたいなそういう作戦。安く良質の商品がいつでも手に入る。ファーストフードは意図的にローカルな食材やレストランを使う事で避けることが出来ても、ファーストファッションは避けがたい。

商店街にある衣料品屋さんは、どこも青息吐息(はくいきといき)な様子です。でも、そこに行って何か欲しいものがあるかというと、結局遠いどこかで、ずっと昔に誰かがデザインして製造した商品が、さまざまな流通を経て届いたものなわけで、全然太刀打ちできない。安くて良いものに対抗するのは困難なので、せめて、晴れ着的、非日常的な衣料品は、気持ちのある作り手から購入したいと思います。

私はこの分野はとても鈍くて、いつも同じような服を着て、新しいものを買うと、こんどはそればかり着てしまいます。良いものをと思いつつ、結局ネットでユニクロを頼んでしまう。ごめんなさい。

仕事

  • 自営にしても雇われるにしても、何をもって世の中に役立つか

  • 田舎の最大の課題は、労働市場が弱い事

  • 私は地方の大企業を選びましたが、いい所と悪い所

人間が社会的動物である限り、社会に対して役立っているという感覚はとても重要かと思います。それは、自らの能力を発揮してこそ達成できる、他の人にできないような「特別な仕事」であるかもしれないし、そうでないかもしれません。それが自分の生活を支える業に繋がっていくのかと思います。

ここで田舎での課題は、そもそも働き口が少ないこと、つまり、労働を対価をマッチングする市場が成り立ちにくいことだと思います。ハローワークに行ってみてください、びっくりするぐらい誰も居ません。

都会で働いてお金をためて田舎に移り住み、思い描いた理想の仕事を始める方も居ます。美しい風景や環境、人生を賭けられるアクティビティ(スキー狂いとか)などの理由で移り住み、仕事を探す人もいます。どのようなアプローチであっても、そもそも消費者が限定的で事業機会も限られる地方において、生活を成り立たせていくのは大変な事です。

この方は南沙良さんですね、一面広告とは思い切りましたね。

私は、そもそも「ここらへんに住む」こととなった最初の理由は大企業への就職でした。本当に偶然の重なりでお世話になり始めて、もう何年だろう。途中なんどか転職や離職も考えましたが、そのたびに良い出会いがあってお付き合いが続いています。

企業というのは賢い仕組みで、膨大な人数で作戦を分担して遂行していく事で大きな価値を創り出す事が出来ます。その価値は概ね平等に賃金として分配され、その絶対額は、田舎のローカル経済で作り出すのに比較すると大きい。もちろん、企業の向かう所とそこでの役割に納得出来るかどうか、という問題はありますけれど、いつか、こういう仕組みを自分で創り出す事が出来たらいいのにって思います。

楽しみ

  • 遊ばせてもらう場所は少ないけれど、遊べる場所はたくさんある

  • お家での楽しみ、外での楽しみ、どちらも

田舎の良い所の一つとして、住環境が挙げられます。要するに中も外も広い。楽器やら道具ものの趣味もやりやすい(音漏れも場所によっては許容されるし)し、乗りもしない趣味の車をガレージに置いておくなんてことも出来そう。一方で、同じ趣味を持つ人が近くにいる可能性は低く、集う場も限られているかもしれません。また、少し外に出ると、綺麗な場所がたくさんあって、アウトドアアクティビティを楽しくことも出来そうです。

でも、地元の人は意外に遊びに出ないような印象があります。自転車に乗ってサイクリングをするのも、決まって遠くから遊びに来て下さる方々のような感じ。例えば、電動アシストの自転車などがあれば、山に近い所に住んでいても登りが億劫でなくなることなくなり、自由に走り回る事ができます。

出来れば、地域の人と一緒に何か楽しい事が出来ると良いな、と思います。例えば、地域での芸術祭なんかが開催されていたらりすると、ボランティアの方々とか楽しそうにつるんでいて、素敵ですよね。

人生は楽しいな、って感じることが重要ですね。そのために遊ぶ時間を作ることはとても大切なのでしょう。

私は、夜に自転車でのんびり外を走るのが好きです。夜中一人で移動していると、世界全体に包まれていくような不思議な感覚。以前はあとで登るのが嫌で坂を降るのが嫌、みたいな気持ちを持ったりしていましたが、電動自転車を思い切って購入してから、一層楽しくなりました。

お金

  • 市場が成り立っているからこそ価値がある

  • 必要なモノに使っていたら、恐らく足りなくなる

  • 意外にもお金儲けの話は多いけれど、不確実さ(リスク)と比例する

相対的に考えると、田舎のほうが、金融資産に依存しないで暮らせる余地が大きいように思えます。野菜を作ったり、時間をかけて美味しい料理を準備したり、近所の人と何か交換したり、手伝ったり手伝ってもらったり、地域経済圏というか、モノと役割が狭い範囲で回る分には、お金の介在する役割は小さい。

一方で、何かを所有しようとしたり(家・車・パソコン・スマホ)、高等教育を子供に提供したり(大学・仕送り)、外の世界とのやり取りをしようとすると、当然ながら大きなお金が必要です。そして、絶対的な必要額は都会の人と変わらないわけです。昔は子供を都会の大学に送るために田畑を売ったりしていたわけで、厳しい。

田舎でもキャッシュレスの波が、お財布もコンパクトにしました。

しっかり働いて社会からお金を頂くということも大事ですが、やっぱり節度ある消費生活を行い、メンテナンス知識を身につけて良いものを大事に使うのが基本になってくるかと思います。

クレジットカードやコード決済など、キャッシュレスの仕組みが急速に普及しています。でも、少しの現金は必ず持ち歩きましょう。少し歩いてコンビニがある都会とは違い、いざという時は足を棒にして歩き、おじいさんやおばあさんが営む小さいお店で買い物をする事になるかもしれません。

もう一つ、田舎では意外にも「儲け話」へのお誘いが多かったり、地元の金融機関に資産運用をお任せする風潮があったりします。そう、深く考えずに手数料の高い商品を買ってくれるいいお客さんがあふれているんですよ。太陽光発電に投資してみたり、お勧めの投信を購入してみたり。地元で代々つながる家にはそこそこお金がある場合も多く、失敗した話も見聞きします。確実に儲かる話が自分にだけ舞い込む事は無いわけで、ちゃんと周りに相談する習慣をつけましょう(あなただけに特別に教えてあげます)。

お金は、見えない所有物であり、でも、未来を開いたり縛ったりします。本来の「物々交換の円滑化ツール」みたいな役割に将来も戻っていってくれるといいんですが。「モモ」などで有名なミヒャエル・エンデの負の利子、ルドルフ・シュタイナー的な老化する紙幣、そういう姿のお金と仲良く付き合っていきたいですね。

私は、お財布を三つに分ける(日々のお金、目的の決まっているお金、なくても困らないお金)考え方や、マネーフォワードというサービスによる見える化などを組み合わせて、なるべくシンプルにお金と付き合おうと思ってはいるものの、ついついメンテナンスだから仕方ないと細かい支出を積み重ねてお金を使いすぎてしまいます。でも、車も含めてちゃんと現金で購入出来ているのは我ながら偉いと思います。

近所

  • 隣組など、地域を成り立たせている組織との付き合い

  • お悔み欄を確認する為の地域新聞

  • 新聞が意味を持たなくなる時代の共通の話題

田舎に移り住んで課題となる事の一つとして、近隣の方々とのお付き合いがあります。例えば、隣組というような行政と半ば一体化した住民組織があって、そこに入るとなんやかんや役が回って来て、しょうもない行政イベントに付き合わされる(口が悪くて失礼)、でも入らないと近くのゴミ捨て場を使わせてもらえない、みたいな、そういう話ですね。

もし、移り住んできたら周りの人がとても好意的で、取れたお野菜などを分けてくれたりするとします。それは有難い事でもあるのですが、つまり、そういう風に振舞えよ、という圧力でもあります。私はお昼は仕事があるし、畑もないからお返しするものはない、なんて思っていると、失礼な人たちだと思われかねません。

地域でずっと暮らしている人は、先祖が成し遂げた仕事を引き継いでいます。だから、今の世代も次に引き継がないといけない、と考えている気がします。新しく移住してきた人たちに対して、好意的にしても、そうでないにしても、様子見な感情を持つのは当然で、信頼には時間と実績が必要になるってことですね。

地方にはたいてい、地域に密接した地域新聞があります。そういう新聞は数ページ構成ですが、全国紙にセットした感じで配送してもらえます。地元の人はその「お悔み欄」を毎日チェックしていたりします。良い悪いではなく、「生まれてからずっと、ここに住んでいる」というのは、義理のある人のお葬式に欠席してはいけない、みたいな規範を親の代から引き継ぐということ。そうなる必要は無いにしても、そのような心情を理解しないと間違えなく嫌われます。

若い世代だと消防団活動があったり、神社が近いと氏子の話があったり、その先は公民館活動、いろんな人が居て、気分の良い事ばかりでもないでしょう。少しずつ世代が変わって、LINEグループで連絡が流れてくる、というような時代になりつつあるのかもしれませんが、難しさは場所によって異なりそうです。でも、孤立してしまうと田舎暮らしの心地よさは半減してしまうので、頑張りどころかもしれません。

私は、先々代の土地と家を引き継いでいるので、地域の常会にも、代替わりという形で参加し始めました。消防団には参加しないのか、という声もあったのですが、常会長として地区の名簿を整理し直したり、仕事の内容を分かりやすく文書化したり、面倒ごとを楽しく引き受ける事により、いい感じのポジションを確立する事が出来ました。でも、もう少し歳を取って、地区の役やらのお話が来たらどうなるのか、悩ましいです。

養育

  • もし子供を育てる機会があるのなら一緒に成長するしかない

  • 教育機会の課題は、本質を柔軟に考えていきたい

  • 公教育や私立高校など、ある程度の下調べは必須かも

田舎に移り住むきっかけが、子供を育てる良い環境選びたいというのは、実にもっともな理由ですよね。特に幼児の時は、公園に遊びに行くような自然の「お客様」体験と、自然の中で遊ぶのは大きく異なるように思えます。自然に生えている花の蜜を吸ったり、一日中雪遊びをしたり、全体の体験そのものが何かを形作る時期にどういう環境に身を置くか。

成人したから養育能力が身につくはずもなく、最初はみようみまね、試行錯誤な日々、少し仕事にあてる時間を減らし、田舎での暮らしを創り出していくのを子供の成長と一緒に楽しくというのは、とてもいい選択に思えます。探してみると「野外保育」を実践しているサークルとか、同じような想いの仲間にも会えるかもしれません。

難しくなってくるのは、小学校・中学校の  義務教育からです。田舎では地域によっても違うと思いますが、子供の数が減って公教育が困難な状況になりつつあります。そもそも近くに学校があるかどうか、先生たちとはちゃんと対話出来て信頼関係を作れそうか、PTAが村社会の延長の面倒な場所になっていないか、近所とは一定の距離を保って生活する事は出来ても、友達と友達の親はそういうわけにはいきません。

そして、行かせたい高校はおそらく近くにはありません。公立校はヒエラルキーがあって、私立校は特徴を出そうとして多様性がありすぎるでしょう。寮に出すという決断を除外すると、通える範囲にどれだけの選択余地があるのか、なかなか難しい所です。

小学校に子供を毎日見送っていた日々もありました。

教育機会の課題は、このタイミングで田舎暮らしをやめる決断につながるかもしれないほど大きく、それぐらい地域の教育環境は困難だと予想しておきましょう。ここらへんの事情は住み始める前にもある程度予想できるので、それを踏まえつつ、一定の時間田舎で暮らすのは悪くない選択だと思います。

私たちの場合、小さい頃から野山を「おさんぽ」する活動に参加していて、そのまま野外保育を実践していました。その先は公立私立、通学通信、いろいろなパターンを、その時々で選び、概ね納得感のある結果に繋げる事が出来たのではないかと思います。ちゃんと子供と対話しながら、一緒に道を探していくのが大切で、そのプロセスによって得られる信頼感は一生続くと信じています。

結び

哲学

  • 基本的に田舎生活は哲学者になりがち

  • 内側にこもりすぎるのは良くない

  • 世の中の多様性をどのようにして感じるかが重要ではないか

田舎の生活って、必然的に哲学者を作りがちな気がします。農作業とか草むしりとか、単調だけれど無限の多様性のある作業みたいな事を繰り返していると、ついいろいろ考えちゃいます。私は雪かきという作業がとても嫌い(だって溶けるんだよ、すぐに)なのですが、それでも作業に意味を見出そうとするタイプなのでなおさらです。

古代ギリシャのアリストテレスは、存在一般の根本原理と原因を探求する学問を第一哲学、その原理や原因の結果によって観測できる自然学を、第二哲学と呼びました。第一哲学を突き詰めていくと、結局どのように生きるべきか、みたいな話になって来て、現在を個人の意思でとらえるロマン的な考え方と、規範的に捉える古典的な捉え方との争いになって来て、まぁ、右とか左とかそういう概念に繋がっていくわけです。

でも、テクノロジーの進化によって両者の視点は急速に入り乱れ、これからどうなっていくの?という時代になって来ています。これを落合陽一さんは「魔法の世紀」と呼んでいますが、AI技術とそれを支える半導体の進歩によって、人間の過去の知的成果を低コストでアクセスできるようになると、じゃぁ、次どうするんだよ、って気持ちになりますよね(なりませんか?)。

静かな月の綺麗な夜とか、しずしず考えていると、とても不思議な気持ちになります。自分の目の前に見える範囲で世界を理解したいと思う願望と、世界からみたら吹けば飛ぶような小さい自分。

田舎での暮らしは限られた人との関係性に固定されがちなので、思った事は誰にも伝えられずに、ただ時間が過ぎていきます。こんなにテクノロジーが進歩して、地球の裏の人との間でも無料で何時間でもお話が出来る世界だからこそ、地域や自然環境と対話して、ゆっくり哲学しながら田舎暮らしの価値が出てくるのかと思います。

禅とオートバイ本は、昔の職場の上司がプレゼントしてくれました。

私は、「禅とオートバイ修理技術」という書籍が好きです。最近は老子・荘子を少しだけ学んでいます。結構物事をややこしく考えるタイプなので、逆に直観的に捉える人とお話をすると、いつも刺激を受けます。

そういうこともあり、いろいろ考えて、学校に行ってみることにしました。具体的には通信の経営系大学院(要するにMBA)なのですが、中国古典の科目が必須だったり、ちょっと変な学校です。まだ始まったばかりですが、学びたいと思っている人達と一緒に学ぶのは、それ自体が刺激的な体験ですね。

長い文章を読んでくださってありがとうございます。拙いものですが、皆さまのよい田舎暮らしに繋がるヒントとなることを期待して網羅的に記述しました。

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