八丈島で車に乗せてくれたオヤジさん
大学1年生の春休み、八丈島に行った。春休みも残り1週間というタイミング。誰かを誘うわけでもなく、入念なプランもなしにのんびりと船に揺られて、島に向かった。
底土港からすぐ近くの民泊を借り、着いたその日は当てもなく近くをぶらついた。雲が地上に近くずっと雨が降っているみたいで、海沿いをひたすら歩いた。その日は船が港に入れるか怪しいくらい波があり、風も強かった。海沿いは岸までやってきた波が風にゆっくりと持ち上げられ、白い波しぶきを上げていた。肌には潮のべたつきがあった。
海際の――とはいってもこの島で海際かどうかという議論がどこまで成り立つのかは怪しいが――建物のいくつかはもう随分と長いこと人の気配がないようで、錆びて崩れかけている建物もあった。赤茶色に焦げた鉄骨がむき出しになっている。そうかと思うと、大きなホテルが見えてくる。かなり大きい建物だが明らかに寂れ、中には到底入れそうにない。現に立ち入りは禁じられていた。これだけ大きな建物が使われずにポツンと残されているのは不思議な感じがした。聞くところによると、あれはホテルだったらしい。今はもう使われていないホテル。
歩いているうちに、バス停を見つけた。あてはないが、時刻表とシンプルな路線図を見ているとどうやら温泉があるらしい。次の日は温泉に向かうことにした。
行きは昨日見つけたバスを利用し温泉に向かったが、帰りは何となくそういう気になれなかった。なぜか、自分でも理由はよう分からない。お湯から出てさっぱりした顔で畳み寝そべるおじい、おばあが懐かしの朝ドラに釘付けになっていたが、1時間に一本しかないバスが来るとすっかり消えてしまい、私一人だけがテレビを見つめていた。懐かしの朝ドラとはいっても、私の生まれるずっと前のものだ。旅館に球児が来たシーン。名前もよく知らぬ朝ドラ。あとで調べてみると「純ちゃんの応援歌」という作品であったらしい。
たった15分のドラマの間にバスが来てしまうとはどうにも間が悪い。私はバスには乗らず、テレビを見つめていた。バスが出発して少し過ぎたくらいのタイミングでドラマも終わり、1時間後のバスを待つかどうか悩んだ。暇つぶしに歩いて見ることにした。後で地図を見て到底歩く距離ではないと気づいたが、そのときはどうにかなるだろうくらいにしか思っていなかった。
歩きながら、何を考える訳でもなく時折横切る車とアカコッコを見ながらあるいた。アカコッコが八丈島で見れるとは聞いていたが思ったより紅くはなかった。その代わり、鳴き声が特徴的で、アカコッコが近くにいるときはすぐに分かった。
どれくらい歩いただろうか、少し空には雲がかかりだし道並みは相変わらずだった。温泉の方に引き返しバスを待とうかとも考えた。あるいは、次に巡ってきたバス停でバスを待とうかとも思った。上手い具合に損切りの判断をしかねているときだった。私の横を過ぎ去った一台の車が目の前で車を脇に寄せた。何かあったのだろうかと横を通り過ぎようとすると、声を掛けられた。「お兄ちゃん、ここは歩く道じゃないからね、乗っていきなさい」オヤジさんは見かねて声を掛けてくれたんだと思う。一瞬、見知りもしないオヤジさんの車に乗るのはどうかと悩んだが、絶好の機会に違いはないのだからと、親切に甘えて助手席に乗り込んだ。
こういう経験は初めてだった。ヒッチハイクをしていたわけでもないから、こういう場面に準備をしていたわけではないが、オヤジさんとの会話は弾んだ。島で生まれ、島で育ち、島で働き、そんなオヤジさんは気さくで、この記事を書きながら残念ながら顔は思い出せないが、その会話の断片はみずみずしく蘇ってくる。
オヤジさんは定年を過ぎ、今は仕事をしていないらしい。元々は空港や港で輸送されてきた荷物やコンテナを捌き、それを配送する仕事に当たっていたらしいが、今では足腰が悪く一日中働くのが随分としんどく、定年じゃなくても仕事は続けられないと言う。今は、偶に友人らと酒を交わすのが楽しみらしく、今日も私を下ろした後は飲みに行くとのこと。この車をどうするかは聞かなかった。島での仕事は限られているらしく、そのことも話してはくれたが、内容が内容なだけにどこか歯切れ悪く、その印象だけが今でも残っている。「兄ちゃんは旅行?」と聞かれ、一人で旅行に来ていると話すと不思議そうな顔をしていた。あまり、一人で旅行に来る若者は少ないらしい。まぁそうかもな。
×××
友達と旅行をしたことはない。おそらくないと思う。記憶を辿ってみてもそんな気がする。もちろん家族とはあるが、それ以外はいつも一人で旅行をしている気がする。何故だろうか。一つには、思い立って誰かに相談する間もなく旅に出ることが多かったというのはある。もう一つには、旅にでていつもと変わらないことがしたい。きちんとプランを立ててどこかを時間通りに巡ったりするのがあまり好きではない、とか。前日の夜になって、明日の行き先やバスの路線を調べ、早朝発に頭を抱えながら眠りに就く方が良かった。それから、よく知らない道を散歩したり、読みかけている小説を読み切ったり。見知らぬ土地で本をゆったりと読みたいと言って、寛容に認めてくれる友人はなかなかいない。少なくともまだ出会ったことはない。こういうことを言うと大概の場合は理解できない風に眉間に皺を寄せ、奇妙な冗談はよしてくれと旅行の話は有耶無耶になる。
×××
オヤジさんと色々な話をした。特に印象に残っているのはコロナ禍における島での話。
東京の竹芝からおよそ半日を掛けてたどり着く八丈島。船以外では飛行機もあるが、とにもかくにも交通手段は限定的で、感染症流行は島内でも大きな不安であったらしい。高齢者から順次ワクチンを打ち、流行の当初は皆当然マスクをつけていたと。
オヤジさんは笑いながら、「でも、途中から誰もマスクしなくなったよね」と。確かに、島内でマスクをつけている人を見かけない。船を下りてそう思った。私は、春先のまだまだ空気の冷える季節、どうしてもマスクがないと気管が痛む。コロナの始まるずっと前からこの時期はマスクを外せなかった。コロナ禍で例年はマスクを見かけない時期でも、人々はマスクをつけ、それだけにマスクのない島での光景はどこかいつも通りの感じがした。
オヤジさんにはホテルから徒歩圏のスーパーで下ろしてもらった。「楽しんで」と何の気もない別れの声をもらい、去って行く車に手を振った。その日は名物の寿司を買って、ホテルに戻った。
時々、オヤジさんのことを思い出す。車に乗せてもらい、車内で話したいくつかのエピソードだけが思い出せる。顔も声も今は分からない。多分、もう会うことはないんだと思う。
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