大人しいって大人びてるって認識でいいの?
こんばんは。
生ハムって生なわけじゃないらしいですよ。
「じゃあなんで生って付けるんだ?分かりにくいだろうが!」という感想をお持ちになられた方。
僕はそんなアナタたちの味方です。
なんてどうでもいい前置きはさておき。
今回は「自分史シリーズ」ということで、今までの自分の歴史を喋っていければと。
主観マシマシなので、もしかしたらこのnoteを見た同級生からDMが来るかもしれません。
では、まず自分史第1弾。
今回は幼稚園の時期を話していこうと思います。
本当は小学校まで書こうと思ったんですが、長くなりそうだったので断念しました。
① 田舎に生まれて
僕の地元は「宮城県大崎市鳴子温泉」という地域。
宮城県の北西に存在し、仙台から2時間くらいかかります。
どれくらい田舎かというと、地元に帰ったら唯一のスーパーが撤退してたくらい田舎です。
詳しくは今後投稿するであろう、地元についての記事を参照してくださいね。
まあ、それくらい田舎ではありますので、当然人口は少なく。
昔、役所で見た人口は8000人でした。
最近また見る機会があったのですが、そこでは5000人となっていました。
それくらい田舎だと、当然子供の数も少ないわけです。
僕が入園した「鳴子幼稚園」は、同級生が4名、全校で10名程という少なさ。
入園当初は7名もいた同級生も、みんな都会の光を求めて引っ越してしまい、結果的に4名となってしまったのでした。
② 恥ずかしがり屋な僕
鳴子幼稚園はこじんまりとしながらも、居心地の良い幼稚園でした。
訪問者を迎えてくれる、色とりどりのアーチをくぐった先には玄関。
玄関を抜けると、円形のホールがあり、正面には小さいステージが。
円形のホールを囲うように、教室が配置されており、天井はガラス張りで、暖かな光が差し込む。
とても良い幼稚園だったと、幼いながらもそう記憶しています。
隣が墓地だったのはいただけなかったですけど。
当時の自分はどういう子供だったかというと、
引っ込み思案で、恥ずかしがり屋で、大人しい子。
って感じでしょうか。
人前に出るのも恥ずかしく、また、友達に積極的に話しかけるタイプでもありませんでした。
そんな僕が、幼稚園の発表会で白雪姫の王子様役をしたのは驚きです。
まあ、そんな大人しい僕だったので、自分から友達を巻き込んで遊んだりする訳もなく。
友達が当時好きだった「ドラゴンボール」の遊びに巻き込まれ、トランクスをやらされた記憶があります。
当時はドラゴンボール改が放映された時期でしたし、友達はベジータ、僕はトランクスとして、バトルを繰り広げてました。
また、運動はというと、あまり得意ではなく。
鉄棒の時間とかはもう地獄でした。
上の参考画像くらいまでの段階までは出来るのですが、永遠に前に回れないという地獄の時間を過ごしてました。
公開処刑という言葉がピッタリです。
そんな幼稚園時代でしたが、前に述べた通り、園児が少ないこともありみんな仲良かったんです。
ですが、そんな時に閉園が決まったとの知らせが。
③ 鳴子幼稚園の閉園
鳴子温泉には当時幼稚園が2つ、保育園が1つあったのですが、その2つあった幼稚園が合併することに。
僕たちの代で最後になってしまったのです。
つまり、最後の卒園生となりました。
卒園生は卒業制作として、大きな板にみんなで絵を描くという決まりがありました。
鳴子幼稚園の外壁には、歴代卒園生の絵が貼られているのですが、その絵のラストは僕たち。
それぞれの似顔絵を書いたのは覚えてますが、具体的な事は覚えてません。
今度地元に帰ったら見に行こうかな。
④ 幼少期の体験って一生モノ
幼少期の体験や経験って自己形成に大きく関わってくるって言いますよね。
その点から語るのであれば、良い幼少期を過ごせたのでは無いかなと個人的には思います。
何かに急かされることもなく、のびのびと成長できました。
やはり、こう幼稚園の事を書いてると色々思い出してきますね。
幼稚園の近くにある池にアメンボがいて、それを友達と不思議に眺めたことだったり。
消防車が来て、放水体験をさせてもらったり。
男性の実習生と一緒に遊んだことだったり。
夏にみんなでスイカ割りをした事だったり。
走馬灯ってこんな感じなのかな?って思ったりします。
「桃栗三年柿八年」って言葉、皆さん知ってますか?
読んで字のごとく、桃と栗は育つのに3年、柿は8年かかるよって意味です。
なんでこの言葉を出したのかというと、幼稚園を卒業する時に、柿の種を広場に植えてきたからです。
卒園したのは14年前なので、もう立派に成長していることでしょう。
ですが、まだ実がなっているのを見に行けてません。
幼稚園ってのは不思議なもので、意外と過去を語る時に忘れ去られてたりします。
でも、そこには意外と自分のルーツがあったりするのではないでしょうか?
幼少期の時の体験は一生モノ。
ですが、それは今も変わってないと思います。
今の自分が体験していることも、一生モノです。
自分が価値を提供する側になって思ったことは、
「体験を1次元的に捉えてはいけない」ということ。
今自分が相手に与えている体験が、今後のその人の将来の夢へと繋がるかもしれない。
今自分が相手に与えている体験が、もしかしたら今後自信を失ってしまう原因となるかもしれない。
良くも悪くも、可能性を孕んでいます。
なのであれば、無責任に体験価値をデザインするのではなく、責任を持って、相手のことを精一杯考えた上で、価値提供をするべきなのでは無いか?
という風に僕は思います。
結局長々と喋ってしまいましたね。
幼稚園時代でこの長さなら、今後はどうなってしまうんでしょうか。
恐ろしくてたまりません。
では、今日はこの辺で。
次の記事も楽しみにしておいてください。