note始めました
”はじめまして”の方も多いと思うので自己紹介からさせていただきます。
SNSでは洸先生(こうせんせい)の名前で活動しており、14年弱【子ども×運動】の分野で仕事をしております。
仕事柄「うちの子運動神経悪くてどうしたらいいですか?」のように真面目な質問をいただくことが多いので、SNSでは真面目な洸先生が生息しているのですが
全然そんなことない
ので
仲良くしていただけると嬉しいです。
このnoteではちょっとでも親しみやすく、そしてふざけた洸先生をお届けできたらいいなと思います。(そのためにタイトルに変な写真くっつけました)
早速、脱線しましたが
簡単な生い立ちを紹介して初投稿を終えたいと思います。
生まれは東京
育ったのはジブリ美術館でお馴染みの「三鷹市」
年子で兄が1人います。
小さい頃から兄と遊んでいたからかわかりませんが、とにかく運動ができる少年でした。
兄はどちらかと鈍臭く、年齢が上がるにつれて兄が僕の真似をするという逆転現象が起き
兄はよく怪我をしていました 爆笑
洸先生の運動歴は
2歳〜小学校5年生までスイミングを習い、4泳法と”継続は美徳なり!!”という日本特有の続ける子が正義みたいなものを耐える精神力をGETしました。
本当にずっと辞めたかった。
小4・5とサッカーを習う
チームプレーの大切さと先輩後輩とのコミュニケーション能力に磨きをかけました。ただ、根性がなさすぎて勝手に毎週水曜日を定休日としていたところ
無事スタメンから外されました
負けた試合の後、学校に戻ってきて「校庭10週!!!」という監督命令も華麗にスルーし帰宅するなど、意志が強いのか弱いのかわからない洸先生が誕生します。
でも、三鷹市選抜、14ブロック選抜、東京都選抜など選ばれました。
カカトの成長痛が酷くて辞退しましたが
しかも成長しませんでした
ただ痛いだけ
そんな洸先生、年少から小6まで背の順の最前線を守り抜き9冠を達成しております。成長痛とは。
中学校に入り”部活”が始まります。
入学前の小学生最後の春休みに、僕は木登りをしていて利き手の右腕を骨折するというファインプレーをかましたことで体験入部と仮入部がほとんどできませんでした。
ただ友達はすぐできたので、市が運営している体育館でよく友達と卓球をしていました。
あ、気づきました?
骨折してた右手を吊りながら、左手で卓球してました。
骨ズレて手術
そうなんです。こういう性格なんですよ。
針金突っ込んで完治まで1ヶ月延長。
まあこれが後から良かったのか悪かったのかわかりませんが、この骨折を機に僕の人生で1番の青春時代を過ごせました。
体験入部も仮入部もしないまま、骨折が完治したタイミングで僕は陸上部に入部したんですよ。理由は、小学校の時に仲よかった友人が3人陸上部に入ったから。
ただ走るだけ。
そんなイメージを持っていた部活に入り、イメージ通りただひたすら走ってました。
走るの嫌で高跳びを始める
予想通りの展開でしょ?
根性の「こ」の字もないのが洸先生です。
でもこの高跳びが本当に本当に本当に楽しかった。
この種目の楽しさを超えるスポーツをまだ知らない。
結果だけ言うと、
記録1m80cm、都大会3位入賞、三鷹市新記録など
華々しい陸上部ライフを送りました。
高校は推薦で入学しました。
「うちの高校でも陸上をやってくれる?」
「もちろんそのつもりです!」
!!!合格!!!
サッカー部入りました
スポーツ推薦ではないので何も問題なし。
まあ3ヶ月で辞めましたが。
・・・約束通り、陸上部に入部したことになった。めでたしめでたし。
でも高校の陸上部は「指導者」がいない形だけ陸上部でした。うちの高校は全入部制といって、生徒全員何かしらの部活に入らないといけない決まりがありました。なので、運動好きだけどガチな部活をしたくない人が陸上部に来るみたいな流れが出来上がっていました。
ここで割と今の洸先生が出来上がっていきます。
そう、陸上経験者であり、そこそこ実績のあった僕は、メニュー作りや指導を行うようになりました!!
自分の記録が伸びなくてもすっごい楽しかった。
大学入学
指定校推薦で受験しました。
ここでも聞かれるんです。
「うちの大学で陸上部に入ってくれますか?」
「もちろんです!!」
フットサルサークル入りました
中学の実績が大学入学まで使えるなんて・・・得した人生だ。
でもここからのスポーツ人生は、自分がプレーヤーよりも指導の方に面白みを見出していきます。契機は大学1年生の時に始めたアルバイト。
スポーツクラブでのキッズスイミングのコーチでした。
指導の奥深さ、子どものかわいさに魅了されて早14年。
17、18歳の洸先生がこの後どのような経験をし、人と出会い、今の親子カフェ+体操教室立ち上げに至ったのか。ここからのストーリーは、また後日別の記事にでもしたいと思います。
またお会いしましょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
洸先生
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