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cheap化現象

高校時代の仲間とご飯に行った時に話題となった「cheap化現象」

これは、高校2年生の時に、その時の先輩が全員を集めてのミーティングを度々行っていたことに対して、
「このミーティングcheapやな」
って言っていたことが始まり。

その当時は何気なく、頻繁にミーティングをすることで、ミーティング1つの価値が下がるということだけで「cheap」という言葉で表現していた。

だから、自分が3年生になった時もあんまり頻繁にみんなを集めすぎないとか、できるだけ「cheap」にならない工夫はしていた。
他にも、自分が言いたいことをどういう言葉で、どういう話し方で、「少し遠回しに言おうかな」とか「あえて感情的にぶつけてみようかな」とか色々考えながらキャプテンをやってきた。

そして、このご飯に行ったタイミングで本当にミーティングの頻度だけなのかという話になって、色々と解明してみた。

まずひとつ仮説として挙がったのが、
「言われたことに対してどういう変化がもたらされるかによる」
ということ。

例えば、部活動においても、3年生のキャプテンが声をかけることで、ものすごくチームが引き締まれば、下級生も「この人の言うことは聞かないと」と感じるに違いない。
だから、その先頭に立つ人に問題があるのではなくて、その人にある程度近いところに付く人たちの従順度のようなものがその人のキャプテン・リーダーとしての価値を生み出すのではという仮説である。

そして、次に挙がったのが、
「何を言うかではなく誰が言うか」
じゃないかということ。

無意識のうちにも、キャプテンやリーダーの下に付くような人は、その人がどんな人かということを見ている。今回でいえば、上の人とどう関わるか。
より小さいコミュニティになればなるほどそうである。


実際、俺らが2年生の頃のキャプテンは、結構先生からも怒られるようなタイプだった。それは俺ら(下につく人間)にもそういうイメージがついていた。
一方で、1年生の頃のキャプテンは、絶対的な権力を持っているように見えたし、先生たちとも対等に接していた。
この差なんじゃないか。
実際、自分たちの代もどちらかといえば、先生たちに信頼されていたと感じたし、そこそこ対等にも接していたと思う。

決してその人が悪い訳では無いが、上の立場の人に怒られまくったり、ヘコヘコしているような自分の上に立てば、いくら人格者であって尊敬し、好きな人でも、「この人の引っ張る集団に属したい」とは思わない。どちらかといえば、「可哀想だからなんとかしてあげたい」という情けのような感情が生まれる。
それはより高みを目指す集団としては2流、3流である。

下に付く人たちがそういう上に立つ人の姿を見て「ついていこう」という思考に至る。



何度も言うが、これは間違いなく「無意識に」である。

だからこそ、集団を引っ張っていくことは難しい。
言葉が説得力を持つのは、日々の取り組む姿勢や行動、言動による。アスリートに関していえば、プレーの質や監督、コーチからのプレーヤーとしての信頼も関わってくる。
そこをどれだけ意識していても、人間は、無意識のうちに、人を見て判断するのだから、自分ひとりが操作できるものでもない。

最強の集団を作っていこうと思えば、それを引っ張る人間には、「なんでかわからんけど何か惹きつけられるな」というカリスマ性が必要。

じゃあ、カリスマ性がない人にはそれは難しいのか。
センスがない分、考えればいいのではないかと思う。
自分が思うには、今書き出したような
「どういう人間に付いていくのか」
「それはなぜなのか」
ということを考えるのである。
そこを突き詰めれば、センスだけでなんとなくキャプテンやリーダーを務めてきた人を追い抜かすことが出来る。

この話題を通じて、

ある出来事に対して、初めの終わりの部分(起承転結でいえば、起と結の部分)が見えていても、その過程の部分(なぜそうなったのか、どういう要因が絡み合っているのか、それを論理的に説明できるか)がうまく見えていないことが多い

ということに気づいた。

過程が見えていないことが多い。


そこが見えていないと、それが起こっていることには気づいているのに人にはうまく伝えられない。
なんともできない現状にムズムズしてしまう。
大学生の間にとは言わず、人生においてこのような過程をしっかりと捉える力を養うことはものすごく重要である。
もっと注意深く観察して、もっと理解しようとする。

今の自分に置き換えてみれば、Dチームで今までのギャップや自分自身がうまくいかないというところ。そこを伝えるべきかどうか確信が持てていなかった。色々な人の話を聞いたりして、最近そこに確信が持てるようになった。
今回の内容のようなことを、1回生がするとなると難しい部分はある。
周りは先輩だらけで、プレーでもあまり違いを見せられない中で、高い基準だけを求めると
「あいつまた言ってるわ」
という状況になりかねない。

下級生、特に1,2回生のうちは、若気の至りが通用する。
尖りまくればいい。
別にチームをまとめようとしなくてもいい。
今、自分がチームに関して抱いている不満は勝ちたいからこそ、勝ちに必要だから生まれるものである。
だから、そこに自分勝手とかそういうことは無いと思う。
ただ、普段から周りに信頼されるような取り組みは必要。口だけにならなければいい。


また、特例として、突き抜けたものは説得力を持つことがある。
「あいつは盛り上げ隊長として必要や」
という人がチームにいたことがある人も多いかもしれない。
そういう一面も持ち合わせていれば、必然的に人から必要とされる人間になれるのではないかと考える。

話は左右したが、言葉に、人自体に説得力をつけるにはまずは過程を捉えること。
書き出した内容だけにとどまらず、常に考え続け、起こっている事象について、ある意味研究し続ける。
それが唯一の方法ではないかと思う。

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