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東京そば考1
(はじめに)
本拙文は、東京そばというのは何かというお話です。
1. 1950年代青森の「東京そば」
Facebookに載った1950年代(昭和25~35年)青森の日常を撮った写真、
https://www.facebook.com/photo?fbid=1050511897087441&set=a.718497616955539
をたまたま見ました。この中に書かれている崩し字を解読すると、のれん=手打 東京(小さい字) きそば(大きい字) ふじた 電話四七七三;看板=(右から)もりそば、中華そば、ざるそば、でした。
でも、私、青森で、東京そば、ってどういう意味と思いました。
以下は、東京そばの私なりの考察です。
2. 1906年に書かれた「坊っちゃん」に出て来る「東京そば」
よくわからないまま2,3日過ごしていたところ、たまたま、NHKらじる★らじるで11月4日午後9:15-9:30分放送の「朗読の世界夏目漱石「坊っちゃん」(6)」を聞いていたら、2‘:05“あたりから、「…郵便局の隣に、そばと書いて下に東京と書いて注を加えた看板があった…」という朗読にでくわしました。わたしは、あ、これだと思いました。
「坊っちゃん」が書かれたのは1906年(明治39年)ですから、この青森の写真より40年も前です。これにも、四国松山で「東京そば」という表現があったのです。
3. うどんは讃岐、そばは信州
私は四国の香川県(讃岐)の出身で、讃岐うどんの本場の出身です。香川県じゃあ、私の子供のころの60年前1960年代(昭和35年~45年)には、「うどん屋」というのはありましたが、「そば屋」などというのは全く見たことがありませんでした。今はあるかもしれません。私は、不思議なご縁で、そばの本場の信州(長野県)に今住んでいます。42年前の1982年(昭和57年)に信州に来たころには、うどん屋などというものは、ここでは見たことがありませんでした。でも今じゃあ、「丸亀製麺」といううどん屋さんがあって、信州でも流行っています。
しかし、昔は、うどんは四国や関西、そばは信州や関東というのが相場でした。これを端的に表しているのは、落語です。上方(関西)落語の演目の「時うどん」は、江戸(東京)では、「時そば」として演じられています。したがって、うどんは四国や関西、そばは信州や関東というのが相場でした。
(おわりに)
だから、1950年代の青森や、1906年ごろの四国松山では、そばというのは東京から来たものというイメージじゃなかったのかと思います。それで、のれんや、看板に「東京そば」と書かれていたのでしょう。
以上は、東京そばの私なりの考察ですが、皆さんはどう思われますか?
*なお冒頭のそば屋の写真は、下記のURLから引用させていただきました。
https://www.facebook.com/photo?fbid=1050511897087441&set=a.718497616955539
令和6年(2024年)11月8日随筆
令和6年(2024年)11月9日加筆修正