リレーコラム: バトンタッチ(花岡)
桜の季節も過ぎましたね。早い。2年て早い。
鈴木さんからようやくバトンが回って来ました。
2年ぶりのバトンなので、まあそれなりに受け取ってみようと思います。
昔っから「バトンタッチ」は苦手だった。
徒競走なんかで私にバトンが回ってくると私のせいで順位が下がっていくし、次の人にバトンを回そうにも「あ、ああ、あ」ってなって上手いことバトンが回らない。
「あ、すみません…」って感じでいつもバトンを受け取ることを躊躇したし、バトンを回すにも遠慮していた。
小学校の頃、交換日記がクソほど流行った。
周りの女子たちはこぞっていろんなコミュニティで交換日記を回し、多い子は20冊近く交換日記を抱えていた。
私は本当に友達が少なくて、なけなしのコミュニティでなけなしに2~3冊程度やったことがあると思う。
だいたい毎度私のターンで滞る。
みんなよくもまあこんなにつらつら常日頃のことを書けるなぁと感心していた。
好きな人のこととかその人とのエピソードとか何でも書いてたし、恥ずかしいったら。
つまり20冊の交換日記を抱えている子は「みんなには内緒だよ❤」を20回言っていることになるわけで、それってもう内緒ってどういう意味なのだろうか。
秘密も隠し事もなんもねぇな。女子という生き物は共同体である。
そんなもんで、だいたい私が面倒くさくなって交換日記を突っぱねた。(もちろんいじめは加速した)
このときもうちょっと頑張ってバトンを上手いこと転がしていれば、もう少しマシな大人になれたような気もする。
会話なんかで、だいたい私のターンで空気が止まる。
「あ」と思って急いで馬鹿なふりをするけども、まあ突発的なもので片付け方がわからず、空気を散らかすだけ散らかしてあとはのすりに片付けさせている。
(のすりからはよく「自分で回収しろ」と怒られる)
ここからは少し自慢になるけども、私の周りは私の世話を焼いてくれる人しか残っていない。
「こいつまた散らかしやがったな」「こいつまた寂しがっていやがるな」「こいつまた調子乗ってんなクソが」と思いながら、その私の後始末をしてくれる人が最終的に周りには残っているように思う。
(本当にごめんなさい)
感覚的にはバトンが回ってきたら受け取り方も回し方もわからないからとりあえず恐々拾って、拾ったはいいけど「やべ拾い方わかんねぇ」ってなったらバトンをブンブン振り回して宙に放る感じ。
はた迷惑だと思う。
しかし言う人から言わせれば、それは私の「案外優しいところ」だと言う。
「意外と周りとのバランス取ろうとしてるもんね(取れてるかどうかは別だけど)」と。
モノは言い様によって短所にも長所にもなるんだなぁ…と思うし、これは気持ちの良いバトンだった。
相手の方が気持ちよく投げてくれたバトンを、私も気持ちよく受け取れた。
発信と受信が上手いことできたなと久しぶりに思った。
あ、これがコミュニケーションというヤツですか?と気付かされた。
みんなこれを無意識に普通に日常からやっているのか…すごいな…。
私なんて偶然成立するだけで、なかなか自分から狙って成立させることができないのに。
バトンを受け取るのも回すのも苦手だ。
逆に舞台上での会話のほうが会話できている気がする。
自分の言葉にも相手の言葉にも怖がる必要がないから…という、この考え方自体が役者として致命的なので、自分のブログを持ってみたりもしているのですが。
→花岡ブログ:https://note.com/kiminokoe
→「ブログ始めてみました」(初投稿):https://note.com/kiminokoe/n/ne107feecb2d2
難しいものですね。
未だにコミュニケーションというものを頑張ってしまいます。
「コミュニケーション」って一方が頑張ってしまった時点で「サービス」になってしまうので、ちゃんとしたコミュニケーションが取れるようになりたいものです。
ツラツラと自分のコミュ障話をしてしまいました。
では次、鈴木さんは「サービス」で。
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