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「ハクチョウ」かつては狩猟鳥だった大型水鳥
能登に800羽の
白い巨鳥が群来
2024年は年明けから大災害が発生し、年末の現在でもまだ国の対応の遅れが指摘されている状況が続いています。そんななか、被災地の能登に冬を象徴する渡り鳥・ハクチョウの群れが同年11月に飛来しました。
ハクチョウは、個体によっては10kgを超えることもある大型水鳥。そんな巨鳥が邑知潟(おうちがた)に、なんと800羽も姿を現したとのこと。今回はこのハクチョウを主役に、あまりに知られていない意外な歴史についてまとめようと思います。
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(撮影場所は北海道)
ちなみに、一口に「ハクチョウ」といっても、野鳥ではおもにオオハクチョウ、コハクチョウの2種が日本では一般的(外来種のコブハクチョウは除く)です。本記事では歴史的な文献などに準じ、「ハクチョウ」の表記で統一させます。
汁物の具として
扱われたことも
現在では狩猟鳥から外れているハクチョウですが、かつては食利用のために狩猟されていました。先述した通り、ハクチョウは10kg超の個体も存在する大型の水鳥。ほかのカモ類と比べても、たくさんの肉が取れそうな気がします。
鴨肉ならぬ「白鳥肉」は、どのように調理されたのでしょうか。永正元年の史料『続群書類従』や寛永期の『料理物語』には「白鳥の汁」という記載があり、中味噌で仕立てられたり、すましにしたりして汁物として食べられたそうです。
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トキなどよりも
遅れて禁猟扱い
国産猟銃が普及した明治期、全国で野生鳥獣が乱獲される事態が生じました。そこで政府農林省は明治28(1895)年、狩猟法を制定し、トキやコウノトリといった野鳥の捕獲を禁止しました。ところが、この捕獲禁止にハクチョウは含まれておらず、全国の至るところに飛来していたはずのハクチョウは各地で狩猟され、次第に南限を狭めらる事態にまで追い詰められました。
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ハクチョウが狩猟禁止に指定されたのは、大正14(1925)年。その後になっても密猟という形で昭和20年から30年代まで散弾銃で撃たれる事態となりました。
ハクチョウの肉ははマガモの肉よりも旨くはなかったそうですが、成鳥より幼鳥のほうが肉が軟らかく高値で売買されていたそうです。また、羽毛は防寒具や羽布団に使用されていたという記録もあります。
現在ではすっかり保護鳥としての位置付けが定着し、全国各地で飛来しているハクチョウ。それは日本での生き物への保護意識が高まったことに加え、食糧事情などの改善も影響していると私は思います。現在の人とハクチョウの関係を保てることは、ハクチョウにとっても、人にとっても健やかなことなのだと感じます。
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参考文献
・能登被災地にハクチョウ飛来、1月の地震で一斉に飛び去り「来るかどうか不安だった」読売新聞2024年11月12日
・本田清『白鳥のいる風景 文化・生態・保護』NHKブックス 1979年
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