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【小説】根ネギのねぎぃ(1/5)

【あらすじ】
 「あたし、ねぎぃ。根ネギのねぎぃよ」。少し前に母を亡くし、失意の中仕事も辞めた主人公の田之上アサギは、動画サイトに投稿されたネギの水耕栽培に興味を抱いた。自分も真似してみようと、ジャムの瓶にネギの根を入れると、なんとそのネギの根に話しかけられた! 「あなたが水を替えてくれるだけで、あたしは満たされるの」、「あたしを食べて、強く生きなさい」。よくしゃべる奇妙なネギ・ねぎぃとの同居生活を送るうちに、アサギを取り巻く環境にも少しずつ変化の兆しが見えていく。アサギとねぎぃの生活は、どんな結末を迎えるのか。

【本文】
 「コップか何かに水を少量入れて、そこに根本を入れておくだけでできるんですよ。簡単だし、うまくいけばわりと経済的なので、みなさんも挑戦してみませんか?」
 もはや日常的に閲覧するようになった動画投稿サイトで、たまたま水耕栽培のVlogを見つけた。年齢不詳の(でもきっとそんなに若くはない)、清潔感と胡散くささが同居したような見た目の女が、中年親父相手に詐欺でも仕掛けるみたいな口調で「挑戦してみませんか?」なんて言うもんだから、まんまと乗せられてしまう。
 動画内では5日後、7日後、10日後、そして収穫を迎える14日後と日を追ってネギの根本の成長具合を紹介していた。根本だけだったネギの中央部がだんだん伸びてきて、伸びた先が深い緑になってまた伸びて、根本の下部にちょろちょろと生えていた「ひげ根」も太くなって伸びて、ぐんぐん育ち切った結果青果店で見かけるようなザ・ネギとなる様はちょっとしたドキュメンタリーのようで、インテリジェンスな面白みがあった。正直、ネギにここまで注目したことなんてこれまでなかったし、たぶん、今後もそうないことだと思う。
 ちょっとやってみようかな。
 視聴後数分経ってから意を決し、ちょうど今日のお昼流しの三角コーナーに投げ入れたネギの根を拾い上げ、捨てるタイミングを失ってずっと食洗機の脇に置いてあるジャムの瓶に水を注ぎ、根を浸してみた。「コップか何かに」と動画の女は雑に言っていたくせに、彼女は金魚鉢みたいな丸みのある可愛らしいグラスでネギの根を愛でていた。うちにはそんな洒落た形のグラスはない。動画内の、彼女のあのネギの根を思い浮かべつつ、今まさに私が手に持っているネギの根入りの瓶を改めて眺めてみる。
 ……貧乏くさいな、やっぱ。
 チャンネル登録者数が十数万人のあの女がやっている感じでは、細く白い女神みたいな手元でスイレンの花でも咲かせているような可憐さがあった。それなのに、いざ庶民の私がやってみると、生ゴミを資源ゴミに入れて放置しているような、不衛生さとケチくささが強く漂っている。このネギが育ったとしても、たぶん食べたいとは思えない。食材というより、これはもう観賞用植物だ。そうやって割り切って、アサガオ観察するくらいの気持ちで育てようと思う。せっかく拾い上げたネギの根をまた捨てるのも、ネギの根側からすればなんだか不憫な気がするし。
 寝室の窓際にネギの根入りの瓶を置くと、瓶のガラスに透過する光が虹色を放っている。小学生の頃、この光をフラスコが並んだ理科室の片隅で見たのをふと思い出す。網戸から吹き抜ける晩春の風と、ネギのほんのり辛味のある香りが混ざりあって、私の鼻腔をさわやかにくすぐる。さっき感じた不衛生さが多少薄らいでいくよう。でも、この季節特有の健康的なムードが、正直、今の私にはキツくもあった。
 ネギに名前でもつけようか。
 気分を変えたくて、そんなことを思いつく。そういえば学校の授業で育てたあのアサガオにも名前をつけたっけ。その名はもう思い出せないけど、ペットでも飼っているような気分になって楽しかったような気がする。まあ、ひねくれながら大人になった私からすれば、品種改良までして生み出されたペットなんて人間のエゴの象徴にしか思えないのだけれど。
 ネギにどんな名前をつけようか。キラキラした凝った名前じゃなくて、できるだけ親しみある簡略的な名前がいいな。緑色だし、みどりちゃんとか。薬味だからやっちゃんとか。……やっちゃんはヤクザ感あってヤダな。
 「あなた、名前どうしよっか」
 「ねぎぃよ」
 え? 唐突に声が聞こえた。
 「あたし、ねぎぃ。根ネギのねぎぃよ」
 きゃあ! と驚愕すると同時に、久々に女らしい声が出たな、と自覚する。思わず手で窓際の瓶を振り落とそうとすると、
 「待って待って待って待って待って待って」
 と、逼迫した声がまた脳に流れてくる。
 「脅かしてごめんなさい、でもちょっと待って。落ち着いて聞いて。大丈夫なの、これ。ほんと大丈夫なやつなの、これ」
 「しゃべっ……てるの……?」
 ネギに目をやる。当然のことながら、ネギに口はない。発声できそうな器官はどこにもない。
 「そう! あたしがしゃべってるの。しゃべるっていうか、まあ、言葉を香りに乗せて、あなたの脳に直接届けてるの」
 「待って、ネギってそんなことできるの?」
 「できるけど、基本みんな黙ってるわ」
 「じゃあ、なんであなたはしゃべってるの?」
 「そりゃあ、しゃべりかけられたら、こっちだってしゃべりたくなるじゃない」
 「だからって、あなたネギじゃない。私は人間。ヒトとネギよ、私とあなた。お話できる間柄じゃないわ」
 「そんな冷たいこと言わないでよ。まあ、寒さには強いんだけどね、あたし」
 口がない相手とこんなに違和感なく会話できるのは、いよいよ私の方がヤバいような気がしてきた。そもそも、人以外とこれほど明確に意思疎通できているのがヤバいか。心因性、という、近頃ではあまりにも軽率に使われすぎている三文字が頭に浮かぶ。
 「心配しなくったって大丈夫よ。世の中じゃあ、『ヒト以外の生物と話せるとか言うヒトは精神的に健康ではないヒト』みたいな風潮があるんでしょ? 精神疾患呼ばわりみたいな。別に心因性の病を患っている人たちのことを特別だとは思わないけど、軽々しくそう判断するのは失礼よね。そのあたりの事情はよく知ってるわ。おかあさん……からそう聞いてるもの、あたし」
 おかあさん? 首を傾げそうになって、ハッとなった。
 「あ、え? 私もしかして、あなたのおかあさん食べちゃってる? 根本からうえの部分があなたのおかあさんとかじゃないよね?」
 「あなた、やさしいのね。あたしを慮ってくれるの?」
 問いを問いで返すのはマナー違反。でも、このネギはどうやら知識人ぽい。日本人でもよく読み間違える「おもんぱかって」を誤りなく言った。
 「安心してよ。あたしの言うおかあさんは地球のことよ」
 「ちきゅう」
 「そう! 地球」
 ネギの根っこが地球を語る。そんな規模の話になるとは思っていなかった私は、ネギと話しているこの現実含めて、ネギの言葉を真に受けるかどうか測り兼ねた。その心中を察してか、ネギは呆れた語調で続ける。
 「あのね、まあ、人間はよく天をあおいで『おお、神よー』とか言うじゃない。でもね、現実問題あなたたちの足元には、大いなる存在があなたたちを支えているってこと、忘れちゃだめよ。足元からだと大事なことがいろいろ見えてるんだからね。スカートの中のパンツとか、鼻の穴の鼻毛とか」
 冗談を言う余裕もあるのか、このネギは。そして今の私にもまた、その冗談を適当に聞き流す余裕があるらしい。自分は取り乱しているのか、意外と冷静なのか、よくわからないままネギの言葉を聞いている。
 「というかあなた、心の中でずっとあたしのこと『ネギ』って呼んでるでしょ? 『ねぎぃ』よ、あたし。根ネギのねぎぃ。さっき名乗ったでしょ。どう? ちょうどいい名前じゃない?」
 ねぎぃ。ねぎぃねぎぃねぎぃ。安直な名前だと思うけど、本人がそう名乗っているのだから、私はこのネギをねぎぃ、と呼ぶしかない。
 「じゃあ……じゃあね、ねぎぃ。改めて聞きたいんだけど、あなたの声って、ほかの人にも聞こえるのね? 私だけが聞こえる声とかじゃないのね?」
 「そんなこと知らないわ。でも、あたしとあなたがしゃべれるだけでいいじゃない。ほかにだれか住んでいるの?」
 住んでいない。ひとり暮らしだ。つい最近まで母と一緒に住んでいたけど、数ヶ月前に脳溢血で突然旅立った。年明け早々の話だ。今は私ひとりだけ。ひとりで住むにしては広すぎる二階建ての家に住んでいる。
 「今は私ひとりだけど、今後だれかと住むかもしれないじゃない」
 「あら、近々そんな予定があるのね。じゃあ、そのとき試してみるわ。だから同居人にあらかじめ伝えといてちょうだい」
 うちにしゃべれるネギがいるんだけど。そんなことを伝えて、信じてくれるほどの関係を築けているかどうか。伝えたところで、もしこのネギ……じゃなくてねぎぃがその人としゃべれなかったら、どう落とし前をつけてくれるのか。私の心配をよそに、ねぎぃはあっさりした口調で続ける。
 「その話は同居人ができたら、またよくよく考えましょうよ。それより、もうちょっと水を足してくれない? この量じゃあ、夕方までにカラカラになっちゃうわよ。あなたもあたしの世話するのに、手数が少ないに越したことはないでしょ」
 混乱した頭のまま、私はネギ……ではなくねぎぃに命じられてキッチンまで彼女(女だよな?)をキッチンまで運び、水を足した。
 「あー、そうそう! 潤ってる潤ってる!」
 満足そうな声が私の頭に反響して、くらくらとめまいを起こしながらも、あすにはこのしゃべるネギの存在が私の夢か妄想だと明らかになってくれと、祈るように思った。

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


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