わたこうの誕生日
9月11日はわたこうの誕生日だった。
前々からわたこうの誕生日には焼肉に行こうと約束をしていた。わたこうとはほぼ毎日のように通話をしながらApexをしている。これが最近だと一番癒やされるというか、いい息抜きになっている。
僕は2周間くらい前からその通話の最中に「わたこうの誕生日まで後○日だよ」とカウントダウンのようにして話していた。おそらく本人より誕生日を気にしていたと思う。これだけを聞くとすごく友達思いな感じがするが、正直なことを言うと、僕はわたこうの誕生日よりも焼肉のほうが楽しみだった。
というのも、行こうとしていた焼肉屋さんに1ヶ月ほど前にわたこうと初めて行ったのだが、今まで行っていた焼肉屋がカスに思えるほど美味しかったのだ。ちゃんと肉を出されたというか、これが本当の焼肉だったのかと素直に感動してしまった(多分その時期は疲れていたというのもあるが)。
僕とわたこうは食べ終えてから「またここ来たいね」「次行くとしたらわたこうの誕生日だね」などと話していた。焼肉なんてそんなしょっちゅう行くものじゃなくて、何かしらの節目やお祝い事の時に行くぐらいが丁度いいし、特別美味しく感じるのだ。
誕生日の当日、谷くんも誘って夜に駅で待ち合わせをした。
僕は集合時間の10分前という丁度いい時間に駅に着いた。電車を降りて二人に「着いた」とだけ送ると、「じゃあ○○広場で」と具体的な場所を決めて落ち合うことにした。以前視聴者と遭遇したことのある広場を僕たちは「○○広場」と視聴者の名前を頭に付けて勝手に命名し、当たり前のように3人で使っている。
広場に向かう途中でわたこうの姿を見つけた。おそらく同じ電車に乗っており、同タイミングで到着したのだと思う。わたこうに「もう谷くん○○広場にいるらしいよ」と言うと、「あれじゃない?」とわたこうは谷くんの方を指差した。
谷くんはTシャツに短パンといういつものスタイルにマスクを付けて待っていた。動画での谷くんに見慣れすぎて、マスクを付けた谷くんには少し違和感があり、課金アイテムを装備しているような感じがした。
僕は谷くんと合流すると、「彼は今日誕生日です」と念の為わたこうの誕生日であることを教えた。「おめでとうございます」と言う谷くんの表情からして流石に知っている様子だった。わたこうはよくわからない気味の悪いポーズを取って軽く喜びを表現していた。
僕たちは集まるや否や不謹慎な話題で盛り上がり始めたが、流石に誕生日に業を深めるのはよくないと思い、僕はそれを止めて店の方向に誘導した。
焼肉屋に向かっている途中、僕は店を予約し忘れていた事に気がついた。店の位置もわかりずらいし、前回も予約無しで入れたので大丈夫かなとも思ったが、もし入れなかった時のためにワンクッション置こうと「ちょっと無能だから予約するの忘れてたわ」と軽くジャブを入れた。
わたこうは「全然銀だことかでもいいよ」と笑っていた。なんて優しい奴なのだろう。わたこうの心の広さをもっと世間に知ってほしいと純粋に思った。「まあド平日だし空いてるでしょ」と続けてわたこうは言ったが、金曜の夜をド平日と言っていいのかは少し疑問だった。
店に着くと幸い座席が空いてたみたいで、予約していたかどうかも訊かれずに店の奥に案内された。席に着くと、先にドリンクを訊かれたので、谷くんはコーラ、わたこうは烏龍茶、僕は黒烏龍茶を注文した。少し前までは、こういう時に「コーラを3つで」と頼んでいたが、僕とわたこうは少し体に気を使うようになったのか、体に悪くなさそうなものを注文するようになっていた。
ドリンクが運ばれてくるまでの間、僕はコーラがホラー映画になったらタイトルは「黒い水」だよねと話したが二人にはややウケだった。わたこうは最近使っている食事管理アプリを谷くんに紹介していたが、谷くんがダウンロードするまでには至らなかった。セールスマンには向いていないなと思った。
しばらくすると僕たちのテーブルに大きな皿に乗った肉が運ばれてきた。肉は内視鏡の映像並に良い発色をしており、誰が見ても美味しそうと思うくらいに艷やかだった。谷くんは早速トングを持って3人分をせっせと焼き始めた。谷くんはこういう時、積極的にみんなの分を焼いてくれる。僕は谷くんだけに焼かせるのもアレだと思い、時折肉をひっくり返したり、トングをカチカチして何かをやってる素振りを見せた。一方わたこうは何もせずにただジッと肉を眺めている。誕生日だからそれでいい。
肉は火力が強いせいか、あっという間に食べられる状態まで焼けてきた。谷くんはそれぞれの皿に焼けた肉を運ぶと、効率よく次の肉を網の上に運び始めた。僕とわたこうは気を使わず先に肉を食べ始める。やはり旨い。ちゃんと肉を食べているという感じがする。この日をずっと待っていたということもあって、より美味しく感じる。僕はもう今日がわたこうの誕生日だということを忘れていた。
食べてる最中に新しい肉が谷くんのトングから運ばれてきた。もう焼けたのかと思い、網を見てみると次の肉も既にいい感じに焼けてしまっている。ちょっと早くないか。
火力の強さと谷くんの効率の良さが相まって、だんだんと肉を処理しきれなくなっている。僕がちょっと火力を下げようと提案すると、流石に谷くんも強すぎると思ったのか「そうだね」と火力を下げて調節した。
僕たちは肉を食べながら、学生時代の話をしていた。部活をやっていた時の話や、学内で起きたトラブルだったりと、別に久しぶり会ったわけでもないのに同窓会のような感じがした。わたこうとはネットで出会ったので共通の学生時代を過ごしてはいないが、僕は今までの思い出を書き換えて勝手にわたこうも学校に存在していたということにしている。
僕は最初に健康に気を使って黒烏龍茶を頼んでいたが、肉を食べているうちに徐々に気にならなくなり、終盤は普通にコーラを飲んでいた。やはり体に悪いものは美味いなと再確認した。
店を出た後、次に肉を食えるのはいつだろうと考えていた。谷くんの誕生日は4月だし、僕の誕生日は5月なのでまだまだ遠い。それまでの間になにか祝えるようなこと起きるといいなと思ったが、来月には特になんの理由もなしに焼肉屋に行っているような気がする。