50万という数字
この前久しぶりに「リスナーのお便りをガン無視するラジオ」の新作をアップした。てっきり前にアップしたのは半年くらい前かなと思っていたのだが、調べたところ、前にアップしたのは1年も前だった。このシリーズは基本的にやっていることがほぼ同じなのだが、アップするとなぜか喜ぶ人が多い。
アップしようと思ったのもチャンネル登録者数が50万人を超えそうだったので、せっかくだし喜んでもらえるかなと思ってのことだった。普段だったらあまりこういうことはしないのだが、しばらく動画を出せていなかったという後ろめたさもあってアップしたのだと思う。
それはそうと50万人というのはかなり大きな数字だと思う。50万人を大きな広場にズラーっと並べたら、これから戦でも始まるんじゃないかという光景になるに違いない。感覚が麻痺してきているがとてつもない数字だ。
本来ならばこの数字をもっと喜ぶべきだと思うが、僕としてはやりづらさが増してくるような気がして純粋には喜べない。確かに嬉しい気持ちもあるが、世の中本当に色んな人がいるわけで、僕が出した動画が誰かの逆鱗に触れて面倒なことになる可能性も高くなる。
外で撮影するのにも登録者が1000人とかなら無許可でもいけちゃいそう気がするが(本当はダメだが)、50万人となると話は変わってくるだろう。街で歩いていると「お前コウイチTVだな」とヤバイ奴に声を掛けられて雑な絡み方をされる可能性だって高まる(現にそういうことがあった)。
色んな人に見られるというのはそういうリスクも高まるということだ。
それが嫌なら動画なんてやめてしまえと言われてしまいそうだが、人間自分にとって都合の良いことだけを求めてしまうところがある。世の中的には正論でバッサリ切っていくのがウケていたりもするが、「正論とかそういうのはもういいからさ…そういうもんじゃん…」と辟易してしまうことも多々ある。
かくいう自分もそういう正論でバッサリ切っていくのを面白がって見てしまう面もあるのだが、これもまたそういうのを都合良く使い分けているのである。
人の感情なんて常に変化するもので、一概に言えるものじゃないから、あの時こうだったじゃないか!なんて言うのは無駄なことのように思える。
話を戻すと、僕はこの世界から自分の存在だけを消したもう一つの世界があれば都合がいいなと思う。自分はその二つの世界を自由に行き来できて、もう一つの世界では自分のことを知っている人が誰1人としていない。
YouTubeの動画はいつもの世界でアップして、普段の生活はもう一つの世界で過ごす。それならヤバイ奴に絡まれる心配も無いし、伸び伸びと悪さができる。もちろん自宅を特定される心配もない。
最初は悠々自適にもう一つの世界で悪さをしたりして楽しく過ごすのだが、ある時急に元の世界に戻れなくなってしまう。自分のことを知っている人が誰もいない世界で徐々に孤独に苛まれていくのだが、あることを思いつき、街を駆け回る。そしてようやく見つけた谷くんとわたこうに、「初めまして」と僕は声を掛けるのだ。