5月15日

どうもコウイチです。
東京に引っ越してきてからもうすぐで1ヶ月が経とうとしています。体感的にはもう3ヶ月くらいなのですが、まだ1ヶ月なんですね。それだけ濃い日々を送っているということなのでしょうか。新居にもだいぶ慣れ、居間で見える景色が日常の一部になってきているなと感じます。しかし、未だに札幌に戻ればあの狭いワンルームが待ってくれているような気もします。

ついこの前、kouichitvのチャンネル登録者数が20万人を越えました。冷静になるとすごい数字だなと思います。20万人を越えたときの率直な感想としては「無」でした。あぁ20万人いったんだなと。
動画を始めたばかりの頃は登録者が1万人を越えれば人気者で幸せなんだろうなと思っていたのですが、それを更に越えた20万人になった今、全然そんなことないんだなと思ってしまいます。なんだかもっと有名youtuberと仲良く遊んだり、夜の高いお店で華やかに飲んだりするのを想像していました。実際はyoutuberの人と遊ぶことなんて滅多にないし(他の人曰く素がわからないから近づきにくいらしい)、お酒なんてほとんど飲まない生活を送っています。移動は基本タクシーみたいなのも想像していましたが、タクシー運転手とのコミュニケーションが憂鬱でイヤホンを着けて電車移動です。なんだか自分は幸せというもの勘違いしていたのかなと思います。ちやほやされたり有名人と遊んだりとかではなくて、何気ない日々を送れることが幸せなんですかね。前の部屋にはなかった洗面所が新居に付いててなんとなくそう思いました。


話は変わりますが、なんだか世の中思った通りにはいかないという法則がある気がします。僕は今までの人生で期待通りになったという事があまりありません。みなさんはどうなんでしょう。例えばある出来事が起こるとして、想像した良いルートはもう想像したその時点で消えてしまうというか、希望は持った時点で幻想といった感じで、上手い具合に人生の脚本は期待を裏切ってくる気がします。僕はそういう時に傷つかないためというか、どんな状況でも対応できるように常に最悪なルートを考えるようにしています。意識的なネガティブといったらいいのでしょうか。そういう考えのもと生きてきたのですが最近それに歪みが出てきたような気がします。最悪を想定することで凹んだりすることは減ったのですが、逆に嬉しいことにも喜べなくなってきてしまいました。なんでしょう、トータルで見た時に感情のないロボットみたいになってきているような気がしたのです。凹むという負の感情を抑えたことで、そのバランスを保つために喜びの感情も抑えられてしまったのかなと思います。よくよく考えたら自分が最近で感動したことはどれも映画を観たときで、それも自分の感動じゃなくて映画のキャラクターに感情移入して感動してるだけだよなと。
嬉しい時にはちゃんと喜びたいから傷つくことも受け入れるべきというか、感情の振れ幅はやっぱりあったほうが良いよねっていう話をこの前わたこうと露天風呂で話してました。いっつもこんな話ばかりしてるな。

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