2019/08/01
今日の何気ない1日を適当に書いていく。
起きたのは9時ごろ。寝た時間が遅く、睡眠時間が短かったのもあり、頭が回らないので、まずは熱めのシャワーで寝汗を流した。朝食は解凍したご飯に納豆というシンプルなもの。最近は前日に買っておいたパンばかりだったので、家で炊いた米を食べること自体が久しぶりだったと思う。ご飯を冷凍したのも一ヶ月ほど前だったので、食べても大丈夫だったのかは少し不安なとこではある。
朝食を食べた後はパソコンを開いてYouTubeで適当な動画を流し、何も考えずただぼんやりとそれを眺めていた。やはり睡眠時間が短いと頭が働かないというか、体力が全然回復していない気がする。最近ハマっているドラえもんの牧場物語でも、のび太を働かせるためにはしっかりと寝かせてスタミナを回復させる必要がある。それと同じである。
とりあえず15分だけでも眠ろうと、目を瞑ってるだけの時間を含めた18分間にアラームをセットし、布団も敷かず床に寝転がった。目が醒めると2時間経っていた。ゾッとした。冗談かと思った。
寝過ぎてしまったのは仕方がないのでそこは切り替えて、本来ふわふわと観に行こうと思っていた『チャイルド・プレイ』の上映時間を確認してみると、まだまだ時間に余裕があることがわかった。しかし2時間も寝てしまったという負い目があったので、顔を洗ってすぐに出かけることにした。ドアを開けて家から出ると、クーラーの効いた部屋とは一変、モワッとした熱気に体が包まれた。これは汗をかかないためにも、上手くクーラー空間を乗り継ぐ必要がある。そう思い、駅に向かった。
劇場に着いたのは上映開始の30分くらい前で割と丁度いい時間だった。チケットを発券した後、ポップコーンとコーラを買い、入場時間になるまでロビーにある大きなモニターから流れる予告編をコーラを飲みながら眺めることにした。コーラを少し飲んだだけで、「もういらない…」という萎んだ気持ちになり、Mサイズで買ったことを少し後悔した。最近特に飲食物を頼む時の「丁度いい」という感覚が掴めないでいる。飲める量と飲みたい量が釣り合っていないのだ。いい加減学習しないといけない。
入場開始時刻になったので劇場に入ると、公開してから割と日にちが経っているにも関わらず、ほぼ満席に近いくらい席が埋まっていた。こういう時に都会を感じてしまう。自分は映画を予約する際、左右に誰もいない席を確保するようにしている。今回は左後方の壁側の席を予約し、スペースに余裕を持って映画を観るつもりだった。しかし上映ギリギリになると隣の席に女子グループがきてしまった。なんだかキモがられるのも嫌なので、壁側にそっと身を寄せた。結局上映中はほぼ壁にもたれ掛かるような形で映画を観ていた。劇場の壁は夏の暑さも忘れるくらい冷たかった。
映画が終わり外に出ると、既に日は沈み、街は夜に切り替わっていた。ライトに照らされた夜の街は、不思議と昼よりも明るく感じられた。夜だというのに外は湿気を含んだ暑い空気でモワッとしており、歩くだけで気だるさが充満していく気がした。ポップコーンを食べていたのであまり空腹感はなかったが、なにかしら腹に詰めておこうと思い、適当なラーメン屋に入った。夕食のゴールデンタイムが過ぎていたこともあり、並ばずに座ることができたが、大声で騒ぐ飲み会終わりと思しき酔っ払い集団がいたので、少し緊張感を持って麺を啜った。大声と酔っ払いの組み合わせは人の緊張感を煽るとつくづく思う。
ラーメン屋を出る頃には21時を過ぎていたが、このまま帰るのも物足りなかったので、駅近くのカフェに入ることにした。店内は割と混雑しており、カウンターには列ができていた。最後尾に並ぼうとすると、先に並んでいた若いサラリーマンのクシャミを少しくらってしまった。サラリーマンは人にかかっていることに気づいていないのか平然としていた。多少のショックはあったが怒るほどのことでもない。しかし、どこか受け入れることができなかったというのもあり、屋内であるにもかかわらず、雨が当たったと自分に言い聞かせた。そうすることでしか、このどうしようもない気持ちをなんとかすることができなかった。席に着き、30ページほど本を読むと、そそくさと店を後にした。
帰りの電車で今日観た『チャイルド・プレイ』のことを考えていると、車内に誰が見ても泥酔している中年男が乗ってきた。隣にだけは座らないでくれと心の中で祈ったが、しっかりと隣に座ってきた。どうしてこういう時はいつも自分の所に来るのだろう。前に電車の中で踊り狂っていた蛾が自分の所に襲いかかってきたのを思い出した。あの時もそうだ、来るなと願うといつも来る。そういう設定のもと自分は生きているのかもしれない。
隣で瀕死のようにうなだれている泥酔男は電車が揺れると慣性に従い、僕の肩に密着してきた。サウナ上がりかと思うくらいのジメッとした体温がシャツ越しに伝わってくるのがわかる。向かいに座っていたおばさんが哀れみの表情でこちらを見つめていた。次の駅に着き、電車が停車すると泥酔男は立ち上がったので、一駅だけの苦行かと一安心したが、降りる駅が違うと確認した後、再び隣の席に腰を下ろし、体を密着してきた。おばさんは変わらず哀れみの表情をこちらに向けていた。これが2回も続いたので、その後は自分から席を立ち、違う座席に移動した。これが夏の東京の日常なのかもしれない。8月1日はそんな一日でした。