挑戦がくるしい君へ
挑戦している真っ只中。
焦っていて、不安に飲み込まれそう。
じりじりと戦う日々。
この段階でくじける人ってたくさんいるんじゃないかな。
結果が出る前の、挑戦の途中。一番辛いとき。
そんな人にお話しできることがあるかもと思って、noteに書くことにしました。
ライターをした半年間の話
休学していた1年前、ライターをしていました。
なぜ、やっていたかは、文章を書いて仕事をしてみたかったから。そして、なにか結果を出してみたかったから。
野心だけでうごいていました。
想いがある面白い会社で働かせてもらって、自分の書いた記事も自分が添削した記事もたくさんの人にみてもらえるようなものに育ちました。
(みんなで育てあった、というのが一番しっくりきます。むしろ、育ててもらったのかもしれないです)
勢いとエネルギー溢れる大人と朝から晩まで働きました。慣れない大人との会話に苦戦したり、会議、取引先についていったり、朝礼の司会をやったり(?!)、ノルマもあって。
上司のスピード感に遅れないように、必死にしがみつきました。ライター以上の経験をさせてもらったような気がします。
種に水をあげる粘り強さをもてない
ハードだったけれど、やってる仕事は種に少しずつ水をあげるような仕事だったのです。
サイトを大きくし、記事を見てもらえるようにする仕組み、そして記事を良質にすることを考えていく。それは、お客さんが助かるようにという優しさからでしか、つくることができません。
一方で、結果はいつ出るかわからないという気長な姿勢をとり続けなければならなかったんですね。
当時は、「ゴールが見えないこと」に不安になり、
終わりのない挑戦の毎日に対して「こんなに辛いことが永遠に続くのだろうか?」と疑問に思っていました。
コントロール不能になっていく
辛すぎて、私の本当にやりたいことって何だろう?と問い詰めて逃げてみたり、結果が出ないのは努力不足だと更に活動を増やしてみたり。
要するに、焦りが出てきました。不安と焦りに負けてしまったような気がします。
体調もメンタルもだんだん崩れていきました。
超スピードで高実績を積む大人と対等にできないのは当たり前なんだけど、わずか数ヶ月でのギブアップでした。
自分の器を手にとって見てみよう
今思うのは、私の器が小さかったということ。
焦りと不安はどこからきたのだろう?と今考えると、自分の中に大切なものが消えたからだと思います。
「お客さんを思う気持ちよりも数字」
「わたしの休学期間でより結果を残すには?」
「もっともっと、結果を残したい」
これがあるから、先を急いだんだと思います。
働くとは、人に与えてお役に立つことでしか成り立たないのにもかかわらず、自分のことばかり考えたんですね。
わたしができることなんて、何もないはずなんですよ。自分1人で結果なんて出せないし、自分1人で結果を出すものじゃない。
自分を知らなすぎていて、周りが見えなすぎたのかもしれません。
もっともっと、長い目で見て。
もっともっと、遠くから見て。
目の前で一喜一憂すると、折れてしまうから。
器を大きくするには?
願いを叶えるために努力することで器は広がり、人のことを想い行動することで器は深くなる。
と、思っています。
それがないと、長い目で見て、落ち着いて、
今に没頭することはなかなかできない。
自分の願いを叶えるのならたった部屋の掃除でも。人のことを思い行動するなら、道端のゴミを拾ってみることでも、広げて深められる。
小さなことの積み重ねでしか、自分は大きくならない。
そして自分の器の大きさ以上に、
結果はでないんです。
すぐには飛躍できないかもしれない。
時間はかかるかもしれない。
でも、いつでもどこからでも準備はできる。
それって、苦しいことに見えるけれど
素敵なことのような感じもするのです。
挑戦がくるしい君へ
とはいえ、長い目でみるとか、器を大きくするとか、分かってるよ!と思ってるのかもしれない。それをすることさえも辛いのかもしれない。
もしかしたら、ひとりで戦ってるのかもしれない。
すぐに隣に行くことはできないけれど
わたしはここで応援することはできる。
あなたのその挑戦が、宝物で、
かけがえのないものだと思う。
失敗したとしても、絶対にあなたのかけがえのないものになるんです。大丈夫。
一歩だけでも進んでることのすごさ。
ちっぽけと思うかもしれないけれど
その力強い一歩に
わたしも勇気付けられているから。
一緒にがんばろう。