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長崎市在住。男性。around70。

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記事一覧

あいうえお作文「を」

「を」(お) オノデン。秋葉原にはよく行った。石丸電気とかLAOXには必ず寄った。PCが盛んになるとソフマップか。PCが好きになってからが回数が多いような。もちろん自分で…

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2日前

あいうえお作文「わ」

「わ」 輪ゴム。小学生の頃女の子は輪ゴムで紐を作りゴム跳びをしていた。私もしただろうが記憶にない。女の子がパンツの中にスカートを捩じ込んでやる姿を見て、その心意…

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9日前

あいうえお作文「ろ」

「ろ」 ロケット。日本製のロケットを打ち上げはじめたころ私は夢中になって新聞記事を集めていた。ペンシルロケットとかいうものだった。アメリカやソ連とは比較にならな…

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9日前

あいうえお作文「れ」

「れ」 れんげ。叔母と一緒に住んでいた。昭和30年代デパートとに行くのは特別なことだった。叔母はデパートの食堂でワンタンを食べた。私は小さかったのでいつもお子様ラ…

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2週間前
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あいうえお作文「れ」

「れ」 れんげ。叔母と一緒に住んでいた。昭和30年代デパートとに行くのは特別なことだった。叔母はデパートの食堂でワンタンを食べた。私は小さかったのでいつもお子様ラ…

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3週間前
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あいうえお作文「る」

「る」 ルノワール。画家を思い浮かべる人が多いだろう。私は喫茶店を思い浮かべた。喫茶店にはよく行った。一人で行くことが多かった。アルコールを飲んでいたときはブラ…

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1か月前
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あいうえお作文「り」

「り」 力道山。今のプロレスにはついていけないが好きだ。ジャイアント馬場とかアントニオ猪木は私の世代でストライクかな。力道山となると私も小さくて小学校一、二年生…

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1か月前

あいうえお作文「ら」

「ら」 ラジオ体操。夏休みと言えばこれだった。ハンコを押してもらうのも楽しみだし、最終日にノートをもらえるのも嬉しかった。ラジオ体操は子供のものではなく大人にな…

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1か月前
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あいうえお作文「よ」

「よ」 洋楽。レコードを初めて買ったのはシングル版で洋楽だった。中学生になってからか小学生の高学年か思い出せないがそれくらい。もちろん内容は分かるはずもなくただ…

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1か月前

あいうえお作文「ゆ」

「ゆ」 夕立。カバンに折り畳み傘をいつも入れていた。晴れていても入れていた。私は用心深くていつ雨が降り出すかわからないから持っていた。使うときは年に一回有るか無…

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1か月前
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あいうえお作文「や」

「や」 屋根。小さい頃、記憶にないので5歳よりもっと前の話。私は屋根に登って降りれなくなって泣いていたらしい。母からは私が首を吊ったことや梅干しの種を喉に詰まらせ…

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2か月前

あいうえお作文「も」

「も」 妄想。子供の頃はよく妄想していたが大人になるに従ってしなくなる。東京に出たての頃は毎日が忙しくてそんな暇はなかった。今は暇だけどそんな気は起きない。私が…

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2か月前

あいうえお作文「め」

「め」 メガネ。中学2年のときから掛け出した。急に目が悪くなって黒板の文字がよく見えなくなった。一番前に座らされて板書を書いていた記憶がある。メガネをかけるように…

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2か月前

あいうえお作文「む」

「む」 虫。小学校にあがる前後、近所のガキ大将とセミ取りに出かけた。木がたくさんあるたぶん料亭かどっかの庭だったかな。長い竹竿を持ち(釣りで使うようなやつ)でかけ…

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2か月前

あいうえお作文「み」

「み」 三鷹。総武線沿線に住んだことがある。新宿で山手線に乗り換えるのだがその当時は結構混んでいた。東京に出て間もない頃で疲れていたせいかよく眠っていた。ぎゅう…

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3か月前
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あいうえお作文「ま」

「ま」 豆まき。子供の頃暗くして炒った大豆をまいた。どの土地でもそうだろうが、歳の数だけ炒った大豆を食べた。大きくなってやらなくなったのはそのせいかもしれない。…

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3か月前

あいうえお作文「を」

「を」(お)
オノデン。秋葉原にはよく行った。石丸電気とかLAOXには必ず寄った。PCが盛んになるとソフマップか。PCが好きになってからが回数が多いような。もちろん自分では買えないので見るばかりである。手作りPCとかできないのでもっぱら完成品を探した。PC本体に手が出ないのだからソフトなんてとんでもない。それでも秋葉原が好きだったのは電気製品が好きだったということか。まだ8801が出ていたかいない

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あいうえお作文「わ」

「わ」
輪ゴム。小学生の頃女の子は輪ゴムで紐を作りゴム跳びをしていた。私もしただろうが記憶にない。女の子がパンツの中にスカートを捩じ込んでやる姿を見て、その心意気に感心したものだ。唐突だがゴム跳びで思い出すのは女の子の毛糸のパンツだ。毛糸というぐらいだから冬に違いない。母親の愛情たっぷりな毛糸のパンツを履きゴム跳びに興じる姿はかっこいいに決まっている。あれは下着ではないので見ていいのだろうけど私は

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あいうえお作文「ろ」

「ろ」
ロケット。日本製のロケットを打ち上げはじめたころ私は夢中になって新聞記事を集めていた。ペンシルロケットとかいうものだった。アメリカやソ連とは比較にならないが私は夢中になった。安いボールペンのバネを使い友達と飛ばしっこしたのを覚えている。宇宙までは遠く打ち上げては落ちる代物だった。それでも私たちを夢中にさせたのはなぜだろうか。エンジンや燃料に期待してたのかなぁ。わからないまま年を重ねていく。

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あいうえお作文「れ」

「れ」
れんげ。叔母と一緒に住んでいた。昭和30年代デパートとに行くのは特別なことだった。叔母はデパートの食堂でワンタンを食べた。私は小さかったのでいつもお子様ランチだった。美味しそうにすする叔母を尻目に私はランチに夢中だった。そこは大食堂と言って女性が案内してくれて和洋中なんでも揃っていた。お子様ランチとワンタンしか思い出さないのはなんでだろう。その後も何度も行ったはずだけどなぁ。ちなみに叔母は

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あいうえお作文「れ」

「れ」
れんげ。叔母と一緒に住んでいた。昭和30年代デパートとに行くのは特別なことだった。叔母はデパートの食堂でワンタンを食べた。私は小さかったのでいつもお子様ランチだった。美味しそうにすする叔母を尻目に私はランチに夢中だった。そこは大食堂と言って女性が案内してくれて和洋中なんでも揃っていた。お子様ランチとワンタンしか思い出さないのはなんでだろう。その後も何度も行ったはずだけどなぁ。ちなみに叔母は

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あいうえお作文「る」

「る」
ルノワール。画家を思い浮かべる人が多いだろう。私は喫茶店を思い浮かべた。喫茶店にはよく行った。一人で行くことが多かった。アルコールを飲んでいたときはブラックコーヒーばかり飲んでいた。もちろんタバコも吸っていた。東京の神保町にはよく行った。あそこにも喫茶店があって私は休憩がてら利用した。そこもルノワールだったような。チェーン店のような気がする。雰囲気は一緒で安心する作りだった。私はなるべく目

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あいうえお作文「り」

「り」
力道山。今のプロレスにはついていけないが好きだ。ジャイアント馬場とかアントニオ猪木は私の世代でストライクかな。力道山となると私も小さくて小学校一、二年生か。「戦え!ジャイアント馬場」という歌があって当時は随分滑稽な歌だと思っていたがリスペクトしたものだと分かったのは後のことだ。一番好きなレスラーはスタン・ハンセンかな。ウエスタン・ラリアットを初めて見たときは興奮した。レスラーや技の名前で嬉

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あいうえお作文「ら」

「ら」
ラジオ体操。夏休みと言えばこれだった。ハンコを押してもらうのも楽しみだし、最終日にノートをもらえるのも嬉しかった。ラジオ体操は子供のものではなく大人になってからもお世話になっているのだろう。私が東京で見たのは一ヶ所だけだがおそらく全国の公園で朝早くやっているに違いない。私も参加したかったが仕事に追われてそれどころではなかった。ラジオ体操と聞くと夏休みと首にかけたカードとやかましいセミの声を

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あいうえお作文「よ」

「よ」
洋楽。レコードを初めて買ったのはシングル版で洋楽だった。中学生になってからか小学生の高学年か思い出せないがそれくらい。もちろん内容は分かるはずもなくただ大人になった気がして嬉しかった。その頃やたらと外国それも欧州、アメリカの音楽や映画に肩入れしていたようだ。邦楽や邦画は敬遠していたかもしれない。乾いた明るいものに憧れたんだろうなぁ。そういうことはつるんでいた友達にも言ってなかった。それは長

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あいうえお作文「ゆ」

「ゆ」
夕立。カバンに折り畳み傘をいつも入れていた。晴れていても入れていた。私は用心深くていつ雨が降り出すかわからないから持っていた。使うときは年に一回有るか無いかと言ったところか。いくら軽いと言っても傘だからある程度の重さはある。安心感だろうか。それとも私が天気予報を信用していないか。どっちだろうか。どっちもかな。職場にカバンを持っていくのがもうおっさんなのかあ。でも持っていかないと帰りになにも

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あいうえお作文「や」

「や」
屋根。小さい頃、記憶にないので5歳よりもっと前の話。私は屋根に登って降りれなくなって泣いていたらしい。母からは私が首を吊ったことや梅干しの種を喉に詰まらせたことやミシンの針に手を突っ込んだことや火鉢に手を突っ込んで腕を火傷したことを聞いた。腕の火傷は残っているからまぁ真実に違いない。母はできの悪い子供を持って苦労したと思う。私はそれでいて極度の人見知りでいつも母の後ろに隠れていた。幼稚園に

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あいうえお作文「も」

「も」
妄想。子供の頃はよく妄想していたが大人になるに従ってしなくなる。東京に出たての頃は毎日が忙しくてそんな暇はなかった。今は暇だけどそんな気は起きない。私が大人になったからかわからない。一所懸命つまんないことを考えている。それでいいような気もする。妄想はクリエイティブの源泉だと思っている。何故東京に出たての頃を思い出したのだろう。そこが分岐点かもしれない。段々妄想しなくなった自分を慰めている。

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あいうえお作文「め」

「め」
メガネ。中学2年のときから掛け出した。急に目が悪くなって黒板の文字がよく見えなくなった。一番前に座らされて板書を書いていた記憶がある。メガネをかけるようになって、長い時間が経つが今ではなるべく部屋で掛けないようにしている。東京ではいろいろ変えたがどれも自分の好みが入っていて面白い。私はいわゆるガチャ目なので度付きサングラスは掛けない。でもサングラスをかけたい時もある。コンタクトレンズにした

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あいうえお作文「む」

「む」
虫。小学校にあがる前後、近所のガキ大将とセミ取りに出かけた。木がたくさんあるたぶん料亭かどっかの庭だったかな。長い竹竿を持ち(釣りで使うようなやつ)でかけた。先端にハエ取り紙のベタベタを擦り付け静かに忍び寄りセミ取りをした。とったセミはベトベトになったが舌で舐めていたような気がする。虫籠とかそんなものはなく半ズボンのポケットに入れていた。セミの鳴き声を聞くと木や草の匂いを思い出すのはどうし

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あいうえお作文「み」

「み」
三鷹。総武線沿線に住んだことがある。新宿で山手線に乗り換えるのだがその当時は結構混んでいた。東京に出て間もない頃で疲れていたせいかよく眠っていた。ぎゅうぎゅうに混んでいるほうが立って眠るのに都合が良いと気がつくのに時間はかからなかった。座れることはなくていつも同じ車両に乗っていた。よく考えると私は三鷹で降りたことはなく総武線の終点のイメージしかない。吉祥寺や高円寺、中野には降りたことがある

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あいうえお作文「ま」

「ま」
豆まき。子供の頃暗くして炒った大豆をまいた。どの土地でもそうだろうが、歳の数だけ炒った大豆を食べた。大きくなってやらなくなったのはそのせいかもしれない。近くの神社でぜんざいを振る舞っていたのは節分の日だった気がする。暗くなって出かけるのは大人になった気がして誇らしかった。近所の友達に会うのも楽しかった。神社が2ヶ所近くにあるのも珍しいがそこでぜんざいを出すのも珍しいことかな。今はたぶんやっ

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