キャリアパスは必要か?
仕事柄、キャリアパスという言葉に触れる機会が多くある。
自分自身や部下のキャリアパスというのもあるし、採用面接でキャリアパスに関する考えを尋ねることもある。
そもそもキャリアパスとは何だろうか。(という書き出しがフォーマット化されてきた気がするのでそろそろ別の書き方も試したい)
キャリアパスとは何か?
例によってWikipediaに依るとこうある。
キャリアパスとは経営学用語の一つ。 企業においての社員が、ある職位に就くまでに辿ることとなる経験や順序のこと。 また個人の視点からは、将来自分が目指す職業を踏まえた上でどのような形で経験を積んでいくかという順序・計画を指す。(出典:Wikipedia)
計画的に経験を積んでいき、効率的に成長して行きましょう、という話だと思う。計画的である以上、必ず目的・ゴールが存在する。
つまり、キャリアパスを考える上で、まずは目的を明確化することから始めないと行けない。が、そもそも仕事をして行く上での目的やゴールを明確に持っている人は果たしてどのくらいいるのだろうか。
前回、「仕事をすることについて」を書いた。その中で僕個人としては、仕事の目的は「一生を掛けた暇つぶし」と書いている。ふざけた目的である。が、これを目的とした場合のキャリアパスとは何なのだろうか。
おそらくもう少し「暇つぶし」をブレイクダウンして、目的を具体化しないとパスが描けない。何をしたら暇を潰せるのか、面白いと思うのか、を考えて行く。モノを作ることが楽しい、システムを作るのが楽しい、他人と協働して何かを成し遂げるのが楽しい、そういう風に要素を分解していき、それらを経験して身に付けていく順序を考えて行くことがキャリアパスとなる。
キャリアパスはもっと簡単に考えていい
面接などの場で「あなたのキャリアパスは何ですか?」と尋ねると、当然さまざまな答えが返ってくるのだけれど、多くはちゃんとした答えが出てくる。それはそれですばらしい。ただ、本当に心の底から「それがやりたい」と思っているのだろうか。本当に思っているならそれでいい。キャリアパスは本人のものであるから、誰かがどうのこうのと言うものではない。
でも、質問されるから答えを用意しておく、というのであるなら、そんなキャリアパスは捨ててしまい、もっと楽に考えればよいと思う。
思うに「キャリアパス」という言葉が良くないのだと思う。必要以上に格好付けていて、頭良さげで、ちゃんとしないと行けない気配が漂ってくる。本質は「何のために仕事をしたいのか」であり、そのためのアクションプランがキャリアパスである。
キャリアパスは手段
つまりキャリアパスは手段である。キャリアパスだけ考えていても様式に拘っているだけなので、まずは、やりたいこと・関心があること・達成したいことを考える。あとで変わってしまっても一向に構わない。一度決めた目的や目標を変えていけないなんてルールは誰も決めていない。むしろ、経験を重ねていくことで、目的が明確になったり変化していくことの方が多いはずである。この気付きや変化が成長であり、人生の面白みと言えるだろう。
果たしてキャリアパスは重要なのだろうか
こう考えていくと、キャリアパスにどれほどの重みがあるのだろうか。目的が変化していくということは、アクションプランであるキャリアパスもまた変化していくことになる。20歳そこそこから仕事を始め、仮に65歳まで働くとした場合、45年間のキャリアパスを精緻に描ける人など希有だろう。というかそんなに計画通りに進められるとしたら、その人は天才かも知れないが、同時にあまり面白くない45年間のような気がする。まあそれはその人の人生なのでその人次第だとして、多くの場合、変化していくキャリアパスをそこまで重要視しなくてよいのではないかと考える。
大事なのは目的やゴールの方である。ここを見失ってしまうと何のためにキャリアを重ねているのかわからなくなってしまうので、ここを真剣に考えよう。とはいえ年に数回くらいで良いと思う。たまに考え直してみて調整していく。必要に応じてキャリアパスを見直す。
ただし、目的やゴールが変わらない間のキャリアパス(アクションプラン)は有効である。ゴールにどういう経路で向かうのか、その経験の積み重ねが何らか影響してくるし、効率性や成長性が変わってくる。
まとめ
キャリアパスは手段であり、まずは何のために仕事をするのかという目的を明確にする。目的はあとで変わっても良い。目的が決まったら、そのために必要なアクションプランをまとめる。これがキャリアパスである。目的が変わったらキャリアパスも見直そう。当然、早い時期に考えた方が可能性は拡がるが、遅過ぎることはない。いつでも見直して最適なアクションプランを描こう。
注:僕個人の現職における行動と本稿で「キャリアパス」に対するスタンスが異なる場合がありますが、そのどちらも真実であり、どちらもポジショントークです。人間はこうやって複数の考えを内包して生きていける生き物であり、詭弁を弄する能力もまたその人間の能力であると勝手に書いておきます。:-)
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