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評論家にはなりたくない。

こんにちは。今日は週末のこの時間に思うことがあって投稿しました。思うこと、とはタイトルにある『評論家にはなりたくない。』ということ。評論家というワードはワーママはるさんがよく話していて、「そうだよな」と思っていましたが、仕事をしていると本当にそう感じることがあります。

私の言う、評論家とは

テレビでのワイドショーのコメンテーターを想像していただけるといいかと思います。高いところから、とある事象に対してモノ申すだけ。自分は手を貸さず、助言をするだけ。良い、悪いはその人の物差し次第。

評論家マネジメント

悪い例でよく思うのが、上司がこのパターン。その物事に対するジャッジだけで、自分は特に何もしない、動かない。その割には『全てを分かっています』という感じで上に伝える。

その人の助言はあっているのかもしれない。でも、みんな人で感情がある。

やってない人(かつてはやったことがあるけど見たことはない)と言う場合に、その人のアドバイス、部下は信用するのでしょうか。一度は信用しやってみるかも。でも、それがうまくいかない、できないことが続いたとしたら。本当にこれでいいのか悩み、それに一緒に汗をかいてくれないんだとしたら。信用はできなくなります。

会社は選べるかもしれないけど、上司を決められる会社はそう多くない。誰の元で働くかもキャリアや成長に影響しそうだな、と思いました。

評論家営業

それは社外でもそうですね。『こうやるといいですよ。』言うのは簡単。でも、実際に動かすのは難しい。机上の話ばかりで自分は汗をかこうとしない営業は、淘汰されていくと思います。

私は評論家になりたくない

まず、私は、自分ができないことを部下には要望したくない。そしてやるなら一緒にやることで達成の喜びを分かち合いたい。そう感じます。

自分の発言や行動がそうなっていないか、自分に言い聞かせながら中間管理職を務めています。

今日もお疲れ様でした。

では、また。

こなつ



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