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ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」

制度は過去のプロセスの産物であり、過去の環境に適応したものであり、それゆえ、決して現在が要求しているものに完全に一致することはない。
ものの道理として当然のことだが、この淘汰的適応のプロセスは、いかなるときでも、社会が置かれている状況の漸次的変化に決して追いつくことはできない。というのは、状況が、日々変化するからである。
したがって、社会の歴代の状況は、完成されてしまうや否や、それぞれ順番に廃れていくことになる。
発展の第一歩が踏み出されたとき、この第一歩それ自体が、新しい適応を要求する状況の変化を引き起こす。
それは、いつ果てるともなく続く適応への、新しい一歩を踏み出すための出発点になるのである。

ヴェブレンは、経済学でも制度学派と言われている。この制度学派、片足は経済学、片足は社会学みたいな微妙なスタンス。

ヴェブレンが全米経済学会の会長に推されたときに固辞したのは、自分は経済学の本流じゃないと分かっていたからだと思う。

それはともかく、冒頭の引用文。この文章って市場メカニズムにもそっくり当てはまる。

つまり、需要と供給によって決まっている今の価格っていうのは、過去の環境に適応したもの。そして淘汰のタイムラグによって、今の状況を反映しはしない。

こういった市場メカニズム≒社会進化論的な見方で、社会制度を捉えたのがヴェブレンだったのかな。

制度を競争的、社会進化論的な観点で見るというのは、日本人には馴染みにくい。

しかし主権国家の沢山ある欧州や、各州に立法権が大幅に委譲されているアメリカでは、制度間競争というのは日常的な風景。

欧州だったら、フランスではオフィスでランチ食べるのが禁止されたとかブルカ禁止とか、オランダが大麻を取り締まるのを止めたとか、イタリアでは精神病院を廃止したとか。

スイスは家を建てる時にはレジスタンス用の塹壕作らないとダメとか去年の麦のパンしか食べちゃダメとか安楽死を合法にしたとか。今はルーマニアで同性婚禁止法が問題になってるけど。

アメリカだったら、デラウェア州が法人税超下げた、カリフォルニア州ではガソリン車はもう走れない、同性婚を合法にだとか、中絶を認める州と認めない州があったり。

各国各州が勝手に色んな法律を作って勝手にしやがれ、というスタンスがある。

何が正しいかは時間が教えてくれる。ダメなところは勝手に廃れる。そういう思想なんではないか。そういう所は古典経済学の社会的応用って感じがしますね。

ヘンな法律を押し付けられる側になったら、たまったもんじゃないですけどね。


※因みに本稿は、ヴェブレンの本の要約でも趣旨でもありません。ただの断章の感想です。

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毛針
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