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「考え方1つで感じ方無数」

こんばんは。木下です。

ここ最近仕事をしながら思うことをつらつら。

「みんな人のミスをやたら責めるなあ」と。
もちろん自分もそうです。人には言えたもんじゃないんですけどね。笑

今日自分の配属店舗から1人異動した人がいました。
ざっくりその人の特徴をいうと

・男性
・丁寧な接客
・綺麗な顔立ち
・天然
・不器用
・鈍感
・年齢は自分が上、社歴は自分が下

この人の最大の特徴は不器用、鈍感が
まぁ仕事に生きる生きる。笑
良い面が悪い面で消されてしまうような感じ。

(うちの会社は店内美化、接客にすごい厳しい為、細かいところに厳しさがあるゆえに)
廊下にゴミが落ちていても気づかない
カウンターが散らかっている
こんなことで怒られるわけです。

終いにはその上司のミスではないものを
「またお前がやったのか」という始末。

冒頭の話に戻ると、
ミスする側にももちろん問題あるが、
ミスを責めるというより、
そんなミスをも、カバーして、許してあげれないのかな
と私は思っちゃうわけです。

なんか悲しくないですか?
俺はすごい悲しいんですよ!

誰かを責めて「ごめんなさい」より
誰かを助けて「ありがとう」で溢れる
そんな素敵な環境づくりにしたいな。と。

今現在ストレス社会と言われてる中で

あなたの心にストレスを生んでるのはミス、失敗をした人プレッシャーをかけてくる人じゃない。

あなたがストレスを自ら作ってる。感じてる。

もうもはやその人のキャパオーバーって感じです。

でも自分は見つけたんです。
「ありがとう」という言葉を探しにいこうっていう、これまたポエマーな自分だからこそなのか、伝わる人には伝わる感覚。

たまにある業務的、形式的な「ありがとう」。
野球部のグラウンドに向かって挨拶する「ありがとうございました!」
これなんか毎日やってると特に業務的、形式的な感謝ってやつにしか感じないなあと。
自分が野球部出身で学生だった頃、ずっと疑問だったことです。みんなで並んでまで声を揃えて大きな声を出してまでする意味を。
(これはあくまで個人的な意見なので聞き流してください。不快に思った方はすいません。)

そういうありがとうではなく、
ふとした瞬間の「ありがとう」。
あれがたまらなく良い。
もはや「ありがとう」フェチなのかも。笑

でもやっぱり「ありがとう」探しを始めたおかげで周りの環境が本当に穏やかになる。
これは是非オススメです。
自分も他人もいい気持ち。そしてその場にいやすい。
必然的にみんながみんなでフォローし合う。
ありがとうが増える。職場の雰囲気も良くなる。

現代社会にある何気なく存在している
「ありがとう」の本質に触れた時、
自分の心がすごい豊かになった気がする。
いや豊かになってる。
気づいたら幸せのハードルなんて下がりに下がりまくって幸せ感じまくり。

もちろん異動した上司の方にも
「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」

上司の方には異動してもたくさん「ありがとう」っていってくれるような環境で働いて欲しいな。

皆さんも1日1個でも5個でも何個でもいいから「ありがとう」に触れ合ってみてください。
言う側でもいいし、言われる側でもいいので。

何かの道が切り開けるキッカケとなるかも…?

日付変わって今日6月1日から
また新たに1つ上の立場に立たせてもらうようにもなったので、前回の記事で述べたみたいに思ったことを言葉にして行動に移してみたいと思います!

#出会いと別れ #ありがとう #そもそも論
#豊かにしようよ #自分の幸せ計画
#テレビ台は #相変わらず #キャリーバッグ

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